だって日本は遠いから。感謝から学ぶこと。

まずは、阪神淡路大震災から23年。

ここウィーンの地から1分間の黙祷を日本時間に合わせて捧げます。

 

多くの犠牲の中から、私たちは学んでいるようで、まだ十分じゃない。そのことをヒリヒリと治らない瘡蓋のように感じます。ずっとぐずぐずと、普段は少し忘れられるけど、毎晩お風呂で思い出す。私は私にできる方法でこの傷を癒すパーツとなるしかありません。

 

ウィーンは少し寒くなってきました。今日からインナーダウンを着始めました。友達には「えっ今更?」と笑われましたが、確かにウィーンの人はダウンを着始めるのが早いなぁと思っていました。むしろそんなに着込む?ってよく電車の中で思います。

 

そんな寒空の下、ここ数日は素材集めに生地屋さんを行ったり来たり。もうすぐ大学のオープンアトリエ(本当は違う名前があるけど説明が面倒なので省略)があり、その準備中です。今回はなんだかおかしな展開。このオープンアトリエでは大学から予算が出ます。私はてっきりみんなでアイディアを出してコラボーレションするか、予算を個人に割り振って、それぞれで制作するのかのどちらかだと思っていました。ところが数回のミーティングの結果、数人のアイディアのみを教授が採用し、それを残りの人がサポートするグループワークに変更されてしまいました。

 

私はアイディアが残ったため、ウィーン生活3ヶ月、どこで素材を手に入れるかも不透明なのにグループに指示を出さねばならぬという立場に。グループの子にジャッジを迫られドイツ語やら英語やらで四苦八苦。どう考えても、今の私にはtoo muchな状況に追いやられています。ですがノーチョイス。やるしかありません。

やるしかないアートって初めてです。義務的思考錯誤。笑

 

今のアトリエは嫉妬で空気が悪いです。

 

アイディアを採用されなかった子たちが影でこそこそ。バレてるから影でもなんでもないけれど。こういうところは、そうか若いんだな、と思わされます。年齢じゃないかもしれないけど。こういうのが、全然気にならなくなり、へっちゃらになってしまった私は社会に揉まれた30代のようです。1人飄々としてるのも風当たりが強いので、ふんふんとみんなの話を聞いてるのか聞いてないのか。のらりくらり。さらにシタタカさも加わってます。こうやって強くなるんだな、人は。

 

不満と嫉妬が渦巻く、最悪な空気の中。ずっと気になるけど聞けなかったことを聞いてみました。私と同じファーストセメスターには他に2人ドイツ語が母国ではない子がいます。1人はすでにドイツに3年ほどいたので、ペラペラです。もう1人のドイツ語レベルは謎。この謎の彼、この間の最終プレゼンテーションで不思議な批評を受けました。簡単に言うと「この大学に入りたい多くの人の中から選ばれ、国が教育費を負担しているにもかかわらず(彼はEU出身)サボってる。失礼だ」と。さらに、3年の先輩が彼を擁護して「新しい言語の中で全てを頑張るのは大変だと思う」と言うと

 

「でもKikiは?日本から来てるけど?やってるやないか〜」と。

 

私はもうびっくりしすぎて、あんぐり。なんで私を引き合いに出した?っていうか日本ってどれだけ未開の地なの?と。

 

どうして彼があんなに責められたのかわからない、と言うことを今日聞いてみました。友達の見解はドイツ語とほどほど遠い日本語の私はとにかく大変で、EU出身の彼は少なくとも言語は似てるんだし状況が全然違うとのこと。

 

なるほど。

そりゃ確かに、日本人が英語やドイツ語を覚えるのはヨーロッパの人に比べたら時間がかかりますとも。でも少なくとも私は30代のまぁまぁな大人で、彼はまだ20歳そこそこ。背負ってることの大きさではなく、精神的なことではないだろうかと思うのです。私のように「疲れた」「わからない」と言えるキャラクターでもない。でも彼もわからないことが沢山あり、もしかしたらドイツ語のレベルも私と対して変わらない可能性があります。「こういうことらしいよ〜」と情報をシェアするといつも「ありがと〜」と言ってくれる。でも結局ここでは「わからない」と言う表現をしないと助けてもらえないようです。

 

例えそう思っても意見できない私は、心底ダメなやつだなぁと思いました。皆にこれだけ親切にされていて、私は何も言えない。お前が言うな、だろうなぁと。ただ、彼に私が知りうる情報を提供することしかできない。

 

でも、もしこの先同じようにドイツ語を習得しながら勉強している子がいたら、私は分け隔てなく声をかけようと思います。見た目や出身ではわからない苦労があるんだということを、残念ながら自分を比較対象にされた彼を見ていて本当に実感しています。

 

どうも私は、ずるい人間になってしまったようです。

 

 

 

フォルケホイスコーレから6年。デンマークの友人たち。

今日のウィーンは雪が少し積もりました。本当はアトリエに行く用事があったのですが、この3ヶ月休日もアトリエ、呼び出しにもひたすら答えてきたので今日は自分を甘やかしスキップしました。必要な素材は提供したし、たまにはいいよね、と。

 

久しぶりにデンマークのホイスコーレ時代の友達とグループスカイプをしました。

私たちは2012年の冬から夏の間、デンマークのフォルケホイスコーレで一緒に学びました。あれから6年、顔を見て会ったのは私がデンマーク旅行に行った1度きりです。でもずーっとコンスタントにスカイプやフェイスブックで連絡を取り、誕生日にはプレゼントを送ってくれたりとのんびりとした友人関係を続けています。一つ変わったことといえば、私がネイティブのデンマーク語についていけなくなってしまったことでしょうか。リスニングとリーディングはそこまで問題ないのですが、スピーキングはひどいもんです。今は私に合わせて英語でのコミュニケーションになりました。

 

ちなみに、私が居たデンマークのホイスコーレは通称DSD

Den Skandinaviske Designhøjskole

http://www.designhojskolen.dk/

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ファッション、建築、グラフィック、プロダクツの4つのコースがあります。ホイスコーレというのは簡単に言うとデンマークでの生涯学習の場のようなところです。18歳以上であれば入学でき、外国人でもリミットはありますが在籍することができます。DSDはその中でも美大受験前のファンデーションコースのような場所です。受験のためのポートフォリオの準備を目的にしている人が多く、年齢も20代前半が平均的。ほとんどの生徒がデンマークかEUの美大を受験します。

 

私の友人たちもそれぞれ在籍中だったり卒業したり、とバラバラですがグラフィック、建築、ファッションとDSDから専門の大学へ進学しました。

 

私が居た時は、他にアジア人が居ませんでした。北欧とアイスランド、イギリスから一人、そして私。下手くそなデンマーク語を話す私とわざわざコミュニケーションを取りたいという人は少数。表面上はみんな笑顔ですが、どこか壁を感じていたし、私も壁を作っていた。当時は初めての海外生活だったので、私自身も閉鎖的でした。周囲の反応も「そんなもんか」くらいにしか思いませんでした。少なくとも作品を通じて興味を持ってくれる子が居たことで、スタジオで作業している分には疑問もありませんでした。

 

とはいえ、初めての海外生活、日本人の全くいない環境というのは慣れるのに時間がかかりました。簡単ではなかった。

 

そんな中で、いつも側で私の拙いデンマーク語を笑うこともなく仲良くしてくれたのが今もスカイプする3人。私が落ち込んでいれば励ましてくれた。デンマーク語をチェックしてくれ、森へ散歩に連れて行ってくれた。受験で大変な時は私が相談に乗ることもあったけれど、フォルケでの生活は彼らなしにはいい思い出として残らなかったかもしれない。笑うための多くのことを彼らは私に与えてくれました。人をジャッジしない、とても素直で純粋な自慢の友人です。

 

そんな3人も6年の間に多くの経験をしてきたようです。スカイプをするたびに、変わる環境に最初は驚きました。デンマーク以外の国へ行き暮らし、学ぶ。社会人として働く経験を通して、6年前は「若くて可愛いな」なんて思っていた私ですが、すっかり逞しくなった彼らと今は年齢のギャップも感じなくなりました。彼らの経験や考えを聞くのはとても刺激的であり、それと同時に変わらない笑顔にホッとします。

 

彼らは私がウィーンの大学に行くことを本当に喜んでくれました。「これでやっと会える距離だね!」と。実際に今日のスカイプで初めて具体的に今年の夏どこで会えるか、という話になりました。ウィーンへ来るか、私がデンマークへ行くか。ドイツやスイス、オランダなど、どこも飛行機に乗れば2時間程度。コストも変わらないのでワクワクしながら話していました。

 

前の記事で書いた、「私は日本人問題」も3人は笑ってくれました。3人とも、文化のギャップについての理解が深いのです。なぜなら彼らは移民2世。両親は移民、自分は生まれも育ちもデンマーク。二つのナショナリティを持って生きている。そんな彼らに軽〜く「しょうがないよね、日本って魅力的だもの〜」と言われれば、そんなもんか、という気もしてくる。「君のスタイルとして昇華すればいいだけ。ヨーロッパではあなただけ、が大事だからむしろラッキーだよね」と。

 

私のドイツ語の箸休めに会いに行くよ〜と笑っていた3人。夏が待ち遠しいです。

制作における「私は日本人」問題。

眠れない1週間がやっと終了。今日は今セメスターのメイン科目の最終プレゼンテーションでした。この1週間、ちょっと仮眠しても夢で制作してるという末期具合。今日はBarの誘いも夕食も全て断って直帰。18時から泥のように眠りました。

 

プレゼンは一人持ち時間30分、ひたすら自分の作品について喋り続けます。教授を筆頭にほぼ全ての講師の先生と全学生の前でプレゼンします。3ヶ月の集大成。評価は期末のマップ(作品集)、製図、模型、プロセスブックなど諸々、エッセイの提出と過去2回のプレゼンなどを加味して下されます。

 

今日のプレゼンは内容よりも、色々と考えさせられることが多く、帰路で涙が出るほど。ちょっと途方にくれました。でも熟睡したけど。笑

 

私はこの専攻、正確には今の教授に変わってから初めて採った日本人学生のようです。

今日、私が気づかされた私がヨーロッパで制作していく上での課題は「日本人」である自分と作品との位置づけ。

 

おそらくヨーロッパ諸国である程度コモンセンスだと思いますが、「日本」と言うトピックはヨーロッパ美術界隈において興味をそそるもの、のようです。簡単にいえば、「日本好き」の芸術家が特に教育機関に多い気がします。デンマークの先生も日本好きでした。正直、どうしてだろうという疑問はありません。言ってしまえば日本人でヨーロッパのヨーロッパらしいところが好きな人がいることの対義。パリ大好き!な日本人の逆みたいなもんです。

 

個人的な考察ですが、日本が島国であることが大きいと思います。大陸であるヨーロッパとは明らかにテイストの異なる文化、宗教、民族、風習、風土。さらに言うなれば色彩感覚から、表現へのつなげ方もヨーロッパのそれとはアプローチも違うというのが、私が今セメスターで強く感じることです。日本では「共感」と言う根強い文化があります。単一民族国家、というのが理由でしょうが「共通の認識」が暗黙としてあった上で物事が自然と流れていきます。それは芸術作品一つとっても、説明のない暗黙があるからこそ、日本人の作品は個人的な主題や感情に終始する傾向があると思うのです。これに対して多民族のEUでは主観の共通性が薄い分、例えば哲学や政治的な下地の上をもって作品が成り立つ、という違いがあるのではないかと思うのです。

 

風呂敷が大きくなりましたが、3ヶ月少々の浅はかなアナライズはここまでとして。

 

この3ヶ月、そして今日何に気づかされたかというと私はこの皆とは明らかに違う、さらに興味をそそる文化を持った「日本人」というトピックを持ってしまっている、ということです。例えば自分の作品のコンセプトの一単語にしても、それはどの文化から見た意味合いで話しているのか、を説明する必要があります。時として、私の作品より、私の文化的背景に興味の対象が移ってしまうのです。

 

「私」より「日本」が前に出てしまうことがある。

 

ヨーロピアンが話しても疑問に思わないことも、黒い髪の黒い目の私が話すことには違う視点があるのでは?という興味が教授たちに生まれてしまうのです。そして、幸か不幸かそれに答えられるだけの考察を私がすでに終えているが故に議論に乗りやすくなる。デンマークの先生が昔みんなに私について話したことを思い出します。「私は多くの日本人学生を見てきた。彼女の何が特異か。多くの日本人学生はヨーロッパの風土に自分の作品を馴染ませようとする。デンマークが好きなのでしょう。ヨーロッパが好きなのでしょう。でも彼女は常に客観性を持って文化を比較し制作する。混ぜるけど、混ぜない。あなたたちが国際的に何かする時、それがわかるかもしれない」

議論に乗りやすい理由があるようです。元来コンセプチャルであることは私の強みの一つで、そもそも話がディープになりすぎる、という自己責任。

 

気がつけば、私の作品の素材やテンション、構築技術ではなく、私の文化的背景に主題が移ってしまい作品の細かい批評の機会を逃しがち、というのが今の私の課題です。これはこの先、日本人以外を相手にした時についてまわる、いわば何か落とし所が必要な問題です。

 

You are a very interesting person. we are happy, you are here.

 

何度となくこの3ヶ月、教授に言われた言葉です。もちろん彼女的にポジティブに。

でも意味合いとは別に、特に今日はこの言葉は辛かった。

私、日本人だから受かったのかな?という疑問が頭を離れません。you are very welcome because you are Japanese.という被害妄想。 もちろん、何度となく「そんなバカな」と周りには言われますが、でもある側面ではそうなのです。アドバンテージとして捉えられるほど楽観的になれないし、私がコンセプチュアルアートの分野にいる限り、または私の特性がそこにある限り、この先の制作において「日本」との距離感を計り続けなければなりません。

 

おそらく、私の作品はまだ弱いのです。

日本という背景に負けるほどに弱い。それをアドバンテージに変えられるほどの強さを持っていないから、簡単に主題をそちらに持っていかれるのかもしれない。

 

でもこの先どんなに、何を作っても、作らなくても。ただ生活をここでしていく限り、私はこの「私は日本人」問題とうまく折り合いをつける必要がある、ということだけは明白です。本来は親日の一言で片付くのに、どうも複雑になりがちなのはご愛嬌。

 

兎にも角にも、「そういえば日本人だった」と言われるくらいにドイツ語と英語の能力を高め、作品を組み立てられるようになることがまずは第一歩。

 

あ〜もう、何も考えずにぼーっとしたい。笑

アトリエ生活。

ただいまウィーンは早朝5時。

 

お正月感もなく、3日には朝からアトリエ生活に戻りました。昨日も朝からモデルの塗装をしていたので頭痛が治りません。アトリエには塗装室なるものがあるのですが、爆音の換気扇を回してもスプレーの匂いでクラクラです。鼻水も真っ黒です。笑

 

普段は23時まで居られるアトリエですが、まだクリスマス休暇中、警備の問題でアトリエは18時過ぎに閉まってしまいます。最近はそのまま直帰してシャワーして20時に一度就寝。0時前に起きてご飯を食べて家で作業、というのが習慣化してきてしまいました。睡魔に抗うことなく作業できるので、結構気に入っているのですがこれも今日まで。来週には授業が始まります。

 

そういえばアトリエ、アトリエって言ってもどんなところよ?って感じですよね。

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こんな感じです。初日の写真なのでスッカラカン。今の乱雑具合とは大違い…。個人のデスクが2つにボードなどが支給されて制作を自由に行えます。このワンフロアが私たちの専攻のアトリエとなっていて、講義もほぼ全てここで行います。写真にはありませんがこの奥に1:1のモデルが作れるようなスペースと、資材置き場と化してるロフト、ライブラリーとシャワールーム、キッチンがあります。誰かが夕食を作って「お腹すいた人〜」って呼掛けと共にキッチンからいい匂い。匂いにつられて、持参したご飯がある人も集まってテーブルを囲む。ストレスフルな時はヨガを始める子もいれば、スクリーンにポルノが流れる時もあります。カオス。

 

とても古い建物で、たまに建築ツアーのお客さんがエントランスで説明を聞いているのに遭遇したり、日曜日にホールで映像作品の撮影をしていたり。

 

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螺旋階段。画材を持って登ると息切れ。

 

特に年齢や年次、セメスターに関係なく使用しています。今の所、私のウィーンでの社会はここに集約されています。ブログで出てくる皆んなもここの人。いつも総称が定まらず、友達やらクラスメイトやら専攻の〜と表現しているのですが、ドイツ語でKollegeのみんな。アトリエ以外でも先輩、後輩と言う括りもなく和気藹々としていてます。

 

ウィーン生活の8割(時には9割9分9厘)を過ごす場所。観光名所もまだ手付かずで、こうなったら日本から誰か遊びに来てくれた時に一緒に初見しようと思っています。私が案内できるのはアトリエ周辺と激安スーパーです。無能ガイド。

 

ここで出会うのは教授や講師の先生方、警備さんとお掃除のお姉さん。

 

毎朝お掃除にきてくれるお姉さん。私たちがそこいらじゅうで作品を広げ制作している合間をひょいひょいと抜け、どれがゴミでどれが素材かも分からないような状態のアトリエで間違うことなく上手にお掃除してくれます。プロ!お掃除のお姉さんも警備さんとも毎日顔を合わせるので、私たちが朝食会をしている時にお姉さんがくれば「一緒に朝食食べよう!」とテーブルを囲みます。クリスマスパーティーの最中に警備さんがくれば「一緒に食べましょう!」とお皿とフォークを用意します。どうしても制作が終わらなくてアトリエを出られない時はこっそりビールを賄賂にしてちょっと延長してくれたりします。愚痴を聞いてくれることもあります。警備さんたちは私たちの顔写真入り入館リストを持っていて、入り口でチェックしてくれるので、安心して作品を置いたまま帰宅することができます。よくYouTube見てゲラゲラ笑ってるけど、必ず挨拶を笑顔で返してくれるので、なんだかホッとする存在です。安らぎの大男集団。

 

教授がふらりと現れることもありますが、先生方が仕事の途中に立ち寄ってくれることも多いです。昨日もお昼頃、メイン科目の先生が現れて私のデスクにどどんっと紙袋を置いてニコニコ笑顔。何かと思って覗いたら、なんと日本語の本の数々。「昔、日本で仕事した時の友人に貰ったんだけど日本語で読めないからね。君にあげるよ!プレゼントフォー・ユー!」

 

本は重たいので、日本からは数冊しか持ってこれませんでした。まぁ、日本語読んでる場合じゃないから、と言い聞かせていたけれど

 

「OMG〜!!!」ってなりました。単純。笑

 

しかも帰宅してポストを開けたらさらに日本から国際郵便で本のプレゼントが送られてきました。なんという偶然。


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先生からのプレゼント。ハイナーミュラー作品たち。

プレゼントの1冊とともに、読み耽るご褒美タイムが待ち遠しい〜。

ラクレットでhallo 2018.

Gutes Neues Jahr!

明けましておめでとうございます。

 

2017年こっそりこのブログを覗いてくださった皆様、日本から生存確認のため読んでくれていた友人、知人のみなさん。顔を見てご挨拶できない代わりにここで新年のご挨拶とさせていただきます。本年もダラダラと徒然なるままに、私のどうしようもないウィーン生活を見守っていただければ幸いです。今年もよろしくお願いします!

 

日本のみなさんはこたつでお節でしょうか?もしくは初売りで新年早々お忙しいか。

私も日本では初売り戦線のため、お正月はバタバタしていた印象です。ですが年越しは神社へ行くのが毎年の通例でした。火柱と甘酒、鐘の音が私の新年の象徴でした。最近折に触れ、私は意外と信仰深い部類なんじゃないかと思うことがあります。節目には神社へお参りをしに行く、お礼参りをする習慣がありました。今は神社がないので、なんだかぽっかりと穴が空いたようです。

 

ここウィーンでの年越しはどんなものかというと、他のヨーロッパ諸国と同じく花火がバンバンと打ち上がるお祭り騒ぎです。友達と夜通しワイワイと過ごす。観光名所ではイベントが盛りだくさんです。中には不思議なイベントも。

www.vienna.at

 

路上でワルツ。

 

先日街中でこのイベントのお知らせを目にしました。ワルツのステップレッスン付きです。どんな人がやってくるんだろうと思ったのですが、写真を見る限り大盛況だったようです。他にも探せば、なんだそれ?みたいなイベントがありそうなSilvester。個人的にはこの商業根性の薄さがオーストリアの好きなところです。

 

私はクラスメイトのお家でフランスの冬の醍醐味、ラクレットパーティーに参加してきました。ラクレットチーズを使ったフランスの伝統料理。例のごとく写真を一切撮っていないので、代わりにこちらのリンクを。

www.springlane.de

チーズ、具材と写真がわかりやすい記事を選んでみました。ドイツ語だけど伝わるんじゃないかと。いわゆるインス映えなお料理かもしれません。私たちは花より団子。ただひたすら美味しくいただきました。

 

集まったメンバーはドイツ人、フランス人、イタリア人、韓国人に私。私以外はドイツ語もペラペラですが、いかんせん時間も長いので気がつけば英語にスイッチ。申し訳ないやら、有難いやら。家族の話や、それぞれの国の話などたわいもない話をして気がつけば0時。シャンパンをあけて、酔っ払いついでに外をぶらぶら。

 

すると友人達より「頭上に気をつけて!花火降ってくるから!」

 

年越しの花火はだいたいが個人的に打ちっ放しているものです。そう酔っ払い達が勝手に、適当に打ちっ放しているのです。打ち上げというよりまるでゴルフの打ちっ放し。イタリア人の友人曰く、彼の地元では路上に洗濯機を置いてその中にねずみ花火を放り投げる強者がいるそう。いろいろと危ない。無事に新年を迎えられて何よりです。笑

 

結局、寒くなりパブへ入りビールを飲んでダラダラ。新年はどんないいクラブに行ってもイマイチだ、という話になって解散することにしました。どちらにせよ私はクラブとは無縁なタイプなので、もうただ睡魔との戦いでした。年取ったなぁ。

クラスメイトのドイツ人の彼女。私が日本に帰らないのを不憫に思い家へおいでと誘ってくれました。美味しいチーズを食べて、彼女の笑顔にほんわかした日でした。

 

 

2018年、特に目標は設けないことにしました。

必然的に超えなければいけない山が多いのです。

・エッセイ(ドイツ語、英語のバイリンガル)随筆×2

・ドイツ語B2試験突破

・アルバイト

・ビザの更新

・新居探し

これに加えて2セメスター目は今期より必須科目が増えます。ただひたすらに忙しい予感しかしません。

もうすでに手一杯です。笑

 

強いて言うなら、少しずつ前に進めばそれで上出来。自分を追い詰めて他人に迷惑をかけることのないよう生活できればいいなと思います!


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窓からの景色。ここ数日は夕日がとても綺麗です。

2017年までを総括。未来は予想を上回る。社会人から留学生への編年。

タイトルそのままに。

 

ウィーン情報もカナダ情報もありません。いつも通りの、それ以上の独り言です。

 

私の2017年は自分でも全く予想外の展開となりました。1年前はまさかウィーンに住んで、大学生になり、ドイツ語を勉強しているとは想像もつきませんでした。もちろん全て自分で選んだ道なのですが、「どうしてこうなった?」と自分でもよく思います。

 

朝起きて、電車に乗り、通学する。ドナウ川を車窓から眺める。ウィーンの街並みに普通に溶け込んでいる(つもりの)自分に不思議な気持ちになります。

 

ターム1:デンマーク

そもそもはデンマーク留学が発端でした。デンマークのフォルケホイスコーレで過ごした10ヶ月が私の人生を変えました。それまで日本で悩んでいたことから、不思議と解放されました。日本人であるこや、母国とはなんなのか、外国人としての生活、芸術や創作や制作が日常の延長に存在するってどういう空気なのか。そういう新しい空気が私の人生に風穴を開けてくれました。それが26歳。10ヶ月を経てデンマークに残る選択肢もありましたが、その時は心の底から「日本に帰りたい」と思いました。ただ漠然と、30代はまたヨーロッパに戻るかもしれない、もしそうなら根を少し下ろそうとだけ思っていました。専門的に勉強するのがいいかもしれない、くらいに。

 

ターム2:日本での3年間

日本に戻って、興味の赴くままに好きなアルバイトをしてぼんやりと日本の生活に戻りました。自分が住んだことのない土地に住みたい、好きな場所に住みたい、と日本の中で数ヶ月別の土地でも生活しました。ただ時間の流れがどんどん早くなるのを感じて少し焦っていました。私はそれまでフリーランスとアルバイトしかしたことがなくて、社会を知らないんじゃないか?という不安に駆られました。ちょうどそんな時に、家族ごとで実家のある土地へ戻ることに。先のことはわからないけれど、日本の今を知りたい、普通の生活(いい意味で)を知りたい、と思い会社員になりました。

 

会社員生活は最初こそとても戸惑いました。アルバイトを除けばそれまでの仕事は「成果」「結果」しか求められませんでした。そこまでの過程は関係ありません。誰かと工程を共有する必要もありません。周りで働いている人は全員プロ。誰かのお世話をする必要もありませんでした。私に期待されていたのは「良い結果」であり、その期間「付き合いやすい人」であり、自分の専門分野を全うすることでした。でも会社は組織です。工程を共有し、人を育て、全体で達成されていく。働いている目的が違う人たちの集まりです。8時間働いて、それで終わりという人もいれば家でも新しいことを考えてくる人もいる。環境にこだわり、公平を求めて訴えを起こす人もいる。

会社員を経験したのは、とてもいい選択だったと今でも思います。私は幸いとても素敵な人に囲まれていました。もちろん苦手な人もいたし、悩みもありました。傷ついて泣くことだって人並みに。ただ近しい人達は明るく、楽しく、一緒に頑張る。そういう人達でした。お給料も安定していたし、上司も人情味のある優しい方々で評価もオープンでした。注意もしてくれ、褒めてもくれる。辞めずに働いていても幸せだったろうなと思います。

 

じゃあどうして辞めて、今ウィーンに居るのか。

 

2年が経った頃、30歳になりました。私は会社で自分が何を求められているのかを考える余裕が少しですが生まれました。直接聞いたことはありませんでしたが「人を育てる」そういう年代に入ったのだということだけは感じていました。私は「人を育てる」ことから逃げたんだと思います。今の自分にはまだ早いと思いました。でも30歳になると後輩が増え、職場に2年いれば自分より社歴の浅いアルバイトの人も増えます。私がどんなに人間として未熟でも、「先輩」として立ててくれます。それが怖くなりました。気がついたら偉そうな自分に幻滅しました。私は謙虚に自分を見つめ律することができるほど成熟していませんでした。このまま、この恵まれた環境に居たら、私はとても嫌な部分だけがどんどん増長していくような気がしてしまい、安定した生活に恐怖感が募って行きました。贅沢ですが、違う未来を考えるようになったんだと思います。

 

でも、いつかは誰かを育てられるような、手伝えるような人間にはなりたい。

少なくとも家族を養えるだけの力はつけたい。

こんな邪念が生まれないほどの、何かを勉強して、情熱を傾けて、自分を磨きたい。

 

そういう気持ちと同時に、デンマーク時代の恩師が未だに「あなたは何をしているの?」と問いかけてくれることで、忘れていた制作すること、芸術の世界への未練を思い出しました。デンマークから帰国した時にぼんやりと考えていた「専門的に勉強したい」という気持ちが帰ってきました。それが30歳、会社を辞めようと決めた時です。

 

ターム3:カナダ

そこからは、行き当たりばったりでした。

あと数ヶ月で30歳から31歳になる自分に何ができるのか、どこに行けば無理のない環境なのか。日本の大学や通信教育も最初は考えました。弟子入りするとか、バイトから何か極めるとかいうことも考えました。でもどれもピンとくる道が見つかりませんでした。そして、漠然と海外の大学で勉強しよう、という目標を立てました。それが2015年。そこからギリギリのタイミングでワーホリビザを申請してカナダへ渡航したのが2016年4月。当時の私は英語なんて中学生以下、大学へ行くなんて夢のまた夢でした。それが想像以上の孤独なカナダ生活を経て、現実になりました。バイトと勉強以外やることがない、遊ぶ人もいない、自然と自分と向き合う時間だけが積み重なりました。そこで徹底的に「自分がどの表現で行きていくのか」を考えました。考えて、考えて、考えました。その上で、自分が何を習得し、何を専門的に学ぶ必要があるのかを見つけることができました。それが2017年の年明けです。そしてその時に見つけたのが今在籍している大学の専攻と教授でした。

 

ターム4:ウィーン

漠然と見えた道を手繰り寄せて、日本に帰り、準備をし、ウィーンへ試験を受けに行きました。試験前日まで本当に受けるのか正直悩んでいました。もう32歳、順調に卒業できても36歳。大学出たからってどうなるんだろう。ウィーンなんて縁もゆかりもない土地で、資金もなくやっていけるわけないのに。私って本当の馬鹿なんじゃないかって。

 

でも母に言われました。「何者かになる必要なんてないじゃない。一度きりの人生で、それがどうなるか気にせず、今を生きることの方が大事だと思う」と。

 

「あなたはアルバイトで生計を立てることを恥ずかしいと思わないだろう。どんな仕事も馬鹿にせず、働けるだけの体力を社会人の10年間でつけた。人生の中で振り返りたくなるほどの瞬間を持てるかもしれない、それだけでいいじゃない。将来小さなアパートであの時ウィーンで頑張ったな、と思うのはそんなに不幸だとは思わない」

 

結局悩んでいた気持ちを吹き飛ばす嵐に呼ばれるように、大学に受かり、今ウィーンで生活しています。ここまで悩んで迷って5年。今もそれは変わらない。五里霧中。

 

これが私の編年。

先が見えないので、もう見ないことにしました。

いつか霧が晴れるのを、手が伸ばせることに集中して、ただ待つことにします。

 

みなさま良いお年を!

2018年。穏やかでありますように!

情報収集の成果。野外オペラ上映とオレンジPunsch。

気がつけば今年もあと3日。

ウィーンの中心地はSilvesterのお知らせで賑わっています。

 

私はというと、図書館の本を読破(という名の引きこもり)生活を送っていましたが

祝日があけたのでアトリエ生活リハビリ中です。どうにも、注意力が散漫で、アトリエに行ってもぼ〜っとしてしまいます。まさかまたスランプなんじゃ…

 

昨日はそれでも資料をコピーしにアトリエが閉まるギリギリに滑り込みました。

ちょうどみんな帰るところだったので、ぶらりとお茶をして帰ることに。

おしゃれに言ってますが、マクドナルドです。笑 だっていつでもオープン。

 

そこで私が、最近「情報収集するように心がけている!」という話をしました。

ウィーンで生活すること早3ヶ月。ふと思ったのです。

 

私の生活とっても静か。

 

ここで得る情報は非常に能動的です。テレビも無いし、街頭テレビジョンもなく、宣伝カーも走っていません。いや、あるかもしれないけど、生活がアトリエと家の往復なので見ていないだけかもしれない。とにかく、簡単に言っても「自分の興味あること」の情報しか入ってきません。

日本では歩いてるだけで情報の渦。街に出れば興味がなくても新譜の邦楽が流れていて、新しい映画の予告がいたるところでされています。電車では沿線のイベントがチェックできて、HanakoかGinzaを買ってスポット開拓も簡単。私は本屋と図書館が大好きで、週4日は本屋に行き、図書館には週1で通っていました。そこでも、いろいろな情報が目に入ってきます。でも今はそれすら薄っぺらいもんです。

 

このままでは浮世離れした人間になるんじゃ無いかと心配している、と言うと

友達は笑っていました。「日本で一体どんな生活してたんだ」と。笑

 

そんなどーでもいい話の流れから、じゃあ何か今やってるイベントを調べて行こう!という流れに。そこでちらっと検索。見つけました、アトリエから歩いて数分!

 

www.wiener-staatsoper.at

 

なんか想像していた「情報」と違うけど、これがウィーンのトレンドだ!と無理やり。

 

ウィーン国立歌劇場の野外オペラ鑑賞

もちろん、無料です。12月27日から1月2日まで、1日1公演がライブ中継されています。夏にやってるのは聞いていたけれど、冬もやってるなんてびっくり。そもそもライブ中継って発想がすごいなぁと思います。

 

ウィーン国立歌劇場は、世界最高峰の素晴らしいクラシック、バレエのレパートリーを誇ります。私もここでラフマニノフを聴くのが目下の楽しみです。いつかな〜

オペラについてはとても伝統的なプログラムが多いのが特徴です。解りやすく、有名で演出もストレートな伝統的なオペラが楽しめると思います。家族連れや、初めてオペラを見る方にはとてもオススメです。ドイツ語やイタリア語が解らなくても安心です。

なんと日本語字幕も選べるタブレットが観客席に今年から設置されたそうです!

 

そんなオススメしておいて、なんですがまだチケットを買ったことはありません。

専門的に勉強している身としては「新しい解釈の何か」に観劇が偏りがちで、ついクラシカルな演出は後回しに。友達も同じで、じゃあ行ってみよう、無料だし、と。

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ででん。大きい。

ドイツ語の字幕付きでこの日は19時から「魔笛」がライブ中継されていました。

幸い風も弱く、そんなに寒くなかったので、道路の向かいのクリスマス屋台でオレンジプンシェを買ってしばしの立ち見。椅子も置いてあったので、早く行けば座って観られそうです。

 

正直、本当に正直に言うと、このチームについては好みじゃない…

歌手の歌は素晴らしいと思うし、オーケストラはさすがです。ただ衣装とセットが好みじゃなく。Scenographyチームと気が合いませんでした。なぜ、その色?その足元のライトは一体…いや、わかるよ、フリーメイソン…でも、えっ?て。

 とはいえ演出はストレートですし、変なクセもなく。生で劇場で観たら迫力があって、歌とオーケストラで十分満足なんだろうと思います。生に勝ものなし、ですね。

 

我々はオレンジプンシェを飲みきり、女王の登場を待つことなくその日は退散。

全体を観ていないので、なんの批評もしてくれるな、という感じです。

 

もし、チケットないけど、興味あるのよね、という方にはいいオプションです。

 プログラムは劇場のリンク先にあります。個人的には元旦のウィーンフィルの中継がちょっと気になってます。またフラット立ち寄ろうかなぁ。無料には弱い貧乏学生。笑