午前3時の授業。笑われるくらいがちょうどいい。

色々とバタバタとしながらも、去年の今頃より元気です。9月のドイツ語に追い詰められていた頃よりはかなり元気です。ドイツ語に追い詰められている状態は変わらないのに、どうもにも単純な自分が若干心配です。そういえば、去年の今頃何してたかなぁと思い、ブログを見返してみました。

 

kiikiii.hatenablog.com

 Sturm飲んで酔っ払ってました。今年もSturmは飲んだのですが、さらなる変わり種。

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この下に見えるパープルピンクはSturmアイスです。昨日、授業が夕方に終わったので、これを逃すまいと友達といつものアイスサロンへ。メニューにSturmの文字。店員さんに聞いたら、味見させてくれて、美味しかったのでキャラメルとダブルで買ってみました。お味はラムレーズンとかバーボンアイス的な感じでほんのりアルコール感があるかなぁ〜くらいでさっぱり。ちなみにこの写真の状態は私が引っくり返したわけではなく、お姉さんが「安定感悪いからね!」とカップに逆さまにズポッと入れてくれました。大胆さが好きです。笑

 

さて、セメスターテーマが発表され、毎日黙々と制作への糸口を探し、頭も身体もウロウロしています。月曜日は朝10時から授業を受けて、夜19時に一度帰宅。その後23時にまたアトリエに戻りました。えぇ、なぜなら深夜0時〜午前3時に授業が設定されていたから!

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どこからきていてどのように作られたものなのか。

海外生活をしていても、なるべく日本のニュースに目を通すようにしています。どこで生活していても、私は日本人で、そうである以上、人々は私に「日本について説明出来る」ことを期待しているからです。そしてそれ以上に1人の社会で生きる人間として「世界の出来事について意見を述べる」責任もあるだろうとも思っています。

 

一つ、最近のニュースからシェアします。今年のノーベル平和賞を受賞する婦人科医のデニ・ムクウェゲさんの2016年のインタビュー記事です。

 

www.huffingtonpost.jp

――世界各地の人道危機により、「難民問題」が注目されています。日本にもシリアやコンゴ民主共和国などから難民が逃れてきていますが、日本は非常に厳しい政策をとっており、難民をほとんど受け入れていません。世間の「無関心」がその消極的な政策をつくっていると思いますが、「無関心」を乗り越えるために、日本の人へどんなメッセージを送りたいですか?

情報を与えなくてはなりません。十分に情報が届いていないなかで、人々をただ「無関心」だと責めることはできません。これはメディアの役割です。

訪れた多くの国でコンゴ人と会いましたが、この人たちは皆、コンゴでは非常に有用な人材です。コンゴがもし平和になれば、彼らはコンゴで多くのことができると思います。しかし、ナイフで殺し合いが起き、女性たちがこんな扱いを受けているような国へどうして帰れますか。皆さんは何が起きているのかを知るべきで、私たちはそのためのキャンペーンをする責任があります。

ヨーロッパでは今日、「難民はいらない」ということばかりが言われていますが、なぜ国を去らないといけないのでしょうか?すべてをやり直さなければいけない外国に逃れるのは賢い選択ではありません。難民となることは楽しいことではありません。

コンゴの普通の人たちは鉱物のために戦ったりはしていません。私の母は携帯電話の使い方を知りませんし、村の多くの人たちは電化製品の使い方を知りません。しかし、彼らは、国外の人たちがこれらの製品を得るために命を懸けているのです。まずはこうした情報を与え、次に、こうした不条理と闘うべきです。消費者である人々が、自分たちが消費しているものが、どこからきていてどのように作られたものなのかを意識するよう、目を覚ませと私たちは言わないといけません。

コンゴで人間らしさを実現するには、それしかありません。「私たちは日本で平和に暮らしています。私たちには関係がない」といっても、身に危険が迫ったとき、国を逃れようとする難民は日本を目指すかもしれません。世界中から難民が押し寄せたら、大変なことです。 自分たちだけで平和を得ることはできません。すべての人々にとって平和がなくては、真の平和にはならないのです。

 

色々な国の、異なる文脈を持つ人に人生ではたくさん出会います。

その一人一人が、根本的には理解し、理解されたいと願っていると私は思っています。

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Back to normal.

冬セメスターが始まりました。Back to normal.

 

まだ4日。すでに、終電に駆け込む毎日に戻りました。

1年生はあまりのハードさにすでに目が回っています。新しい仲間が増えて、慣れ親しんだ人たちが外へ勉強しに行っていて、まだ賑やかというよりは寂しい気持ちがあります。みんな新しい国で、新しい空気の中どんなスタートを切ったのかな。

 

1年前と段違いにドイツ語が聞き取れるようになりました。

まだ50%くらいな気がしますが、それはより成長した時に初めてわかることのようです。去年の私が、あの状態でどうやって授業に参加していたのか、もはや謎です。クラスのみんなに「kikiとドイツ語だけで会話してるなんて〜!嬉しい」と今日言われて、まだまだ赤ちゃんドイツ語で言葉を選ぶなんて夢のまた夢ですが、私も嬉しい。

 

ただ、赤ちゃんドイツ語だけでサバイバルし始めたので、私はより一層コミカルなキャラクターとして認知されてしまっています。昨日も、長期でスイスへインターンに行く友達に「寂しくなるよ〜」と伝えたかったのに何故か動詞だけが頭に浮かんで、手を振りながら「vermisse~」と言って爆笑をかっさらいました。友達は「パーフェクトすぎる」とお気に入りで、同じようにVermisse〜と手を振りながら去って行きました。

*vermissenはドイツ語で”〜がいなくて寂しい”という意味の動詞です。

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恥ずかしくても甘え続けた1年。

ウィーンに来てから、一番堪えた9月が終わろうとしています。

でも、振り返ればギリギリな私を救ってくれたのは、ここウィーンで出会った人達でした。ウィーンで暮らし始めてもう直ぐ1年が経ちます。とても濃い1年でした。なんだか2年ぐらい過ぎたような不思議な気持ちです。

 

10月から3rdセメスターが始まります。

 

結論からいいますと、課題だったB2試験にはまだ合格していません。大学の規定ではその証明書が無いと3rdセメスターが始められないのですが、今回私は特別処置をいただきました。お恥ずかしい話で、ブログで堂々と書くようなことではありません。ですが、同じように言語の壁で悩んでいる芸大生がいればと思い私のケースを残しておこうと思います、恥を承知で。そんな情けない話を長々と書きました。

 

前回書いた、自己責任の話。

 

kiikiii.hatenablog.com

 友人たちとドイツ語の先生たちからの強い勧めで、大学の先生に先週メールを書きました。B2試験に期限までに受かる自信がないこと、その場合にどういう手順が必要なのか、エキストラセメスターを取った場合のことなど、すべて洗いざらい書きました。

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祖母。

祖母が亡くなった。

 

涙が枯れるほど泣き、自分の言葉で書くことを選び、そして数日経った今、落ち着いたのでそれを投稿することにしました。

 

急死、というわけではなくここ何年も入退院を繰り返し、最後は老衰に近い状態で穏やかな表情で亡くなった。そう、母から連絡があった。

 

すぐに日本に帰ろうと思い、泣きながら、パッキングをしながら、とにかく母に電話すると「帰ってこなくていい」と言われた。

 

もう、ここには抜け殻しかない。穏やかな顔の。あなたのおばあちゃんは苦しみから解放されて、今頃あなたに会いに行っていると思う。だからそこで、おばあちゃんのことを思い出して泣いてる、それで充分。帰ってきても、もうここにはいないんだから。

 

ずっと面倒を見ていた叔父は、最後に間に合ったそうだ。母は間に合わなかった。延命処置をせず、自然に息を引き取らせてあげて欲しいとそう伝えていたそうだ。叔父は泣きながら葬儀の準備を始めた。叔父も電話口で「kikiちゃんは、そこで出来ることを一生懸命やりなさい。両親に心配かけないように、一生懸命頑張りなさい。次に日本に帰ってきた時にお線香を上げに来ればいいんだから、今帰ってくる必要はないんだから」と。

 

あんなに早口な叔父さんの話口調は初めてで、どれだけショックを受けているのかが伝わってきた。覚悟をしていても、目の前でその糸が切れた瞬間を冷静に見つめることなど出来ない。叔父さんは火葬されるその日まで祖母の側に布団を敷いて眠っていた。

 

葬儀には私と最後に撮った祖母の写真を使うと母が言っていた。

 

私は心底、自分がウィーンで勉強していることに罪悪感で一杯になった。私は祖母のために、何もしてあげられなかった。一度だって一緒に旅行に行くことも、何かお願いを叶えてあげることもしてあげられなかった。母や叔父のそばで葬儀の準備を手伝うことも出来ない。

 

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自己責任に押し潰される前に。

 家での生活が中々ハードです。

 

住んでいない管理人への不満や悪口、そしてあなたはこんな所に長く住むのか?という質問。3週間目にして、とても疲れてしまいました。

 

部屋をきちんと整備すると約束したけれど、管理人の彼女は今日もドタキャン。

そしてその不満を私が聞く。でも私が掃除したりすれば、それはあなたがやることじゃないと言われる。でもここはホテルじゃないし、一緒に暮すなら、共に居心地を追求するのは普通のことなんじゃないかなぁと。現に私は自分の部屋を自分で整備して住んでいますし。そもそもすべてのスペースを住める状態まで掃除したのも私だし…でもすでに多くの不満を抱えた彼らにそんなこと言えるわけもなく。申し訳ない気持ちで聞くしかありません。

 

彼らから毎夜、家の不満を聞き続けて、いよいよ自分はとんでもないところに住んでるんだという不安感が募って夜もなかなか寝付けません。

 

そんな最中、昨日友人が心配して訪ねてきました。彼は「別に悪い家じゃないのに、何がそんなに悲しいのkiki?古い建物だから?」と言ってくれました。そして私が今、自分ではどうすることもできない問題を沢山抱えていることを心底心配してくれました。せっかく会いに来てくれたのに、その空気に居た堪れなくなり「何か楽しい話をしよう!もし私が日本に帰ることになっても遊びにきてね〜」と明るく別れたつもりでした。

 

今日、彼はガールフレンドを訪ねてパリへ。そうパリにいるそのガールフレンドは私の大学での友人です。彼が私の状況を彼女に話したようで、今日彼女から長いメールが届きました。

 

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【カナダ回想録】ハミルトンの安全エリアと街の様子について書いてみる。

いきなりのカナダ回想録。今回は全くウィーンのお話は出てこないです。まぁ元々ウィーンらしいヨーロピアンな日々も特に綴っていないので関係ないですかね…!

 

さてカナダのハミルトンとは?とご興味のある方はこちらへ

 

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 ハミルトンは私がカナダでワーホリをしていた時に住んでいた街です。

私のブログを見に来てくださっている方の中には「ハミルトン」を検索ワードに来てる方が結構いらっしゃるようで…。こんな僻地ブログにたどり着いてしまうほど、情報が少ないってことのようです。何かハミルトンについて書けることあるかなぁ〜と思ったのですが、そもそもグーグルでも写真なんかも少ないでしょう。そしてグーグルの画像検索で出てくる写真はだいぶ私の知るハミルトンとは様子が違います。なぜ。笑

 

というわけで、まずは写真を大量放出。写真も大きめでいきますよ〜!

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こちらは私が住んでいた「マウンテン」と呼ばれる丘の上にある住宅街の様子。

こんな感じの家がズラ〜っと並んでいます。

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