この数週間、ビザやら、ビザやら、ビザ…で落ち込み気味だった私。
ブログで励ましてくださった方がいたり(ありがとうございます!)、クラスメイトが話を聞いてくれたり、そして母の母なる愛によって。
制作にカムバックしました。
落ち込んだ時は、もう制作が逃げ道です。
というのも、アトリエで皆に会うととてもハッピーな気分になります。
みんな制作で病み気味だけど、それでもアトリエにいる時間が至福の時。
思えば、入試試験の時に、このアトリエで制作に没頭したい!合格したい!と思ったことがよく言えば現実になってるわけですから!頑張れ私。ノーモアストレス!
さて入学して1ヶ月半。
最初の中間プレゼンテーションが4日後に迫っています。
私の専攻では「セメスター課題」という1セメスター通しで教授が担当する科目があります。この科目の比重が一番大きく、これを落とすということはすなわち留年を意味します。ウィーンに住んでいる先生方は私たちの制作状況を知っているので、この科目のプレゼン前などに他の科目で課題を出すことを控えてくれます。
ですが、授業をしているのはウィーン在住者ばかりではなく、基本的にはヨーロッパ各地から先生を招いていて、1ヶ月半に1回の割合で1−2週間ウィーンに滞在し集中講義と実習という授業スタイルが多いのです。そうなると、私たちの現在の状況まではわかりません。
2日前、プレゼン直後にやってくる別の課題発表ついて皆で話していました。
ベルギー在住のアーティストの先生が教える科目。この状況で、手出せるかな?皆んなで手分けする?うーん…。
大事な科目だし、素敵な先生だし、楽しんでいる授業なだけに悩ましいところです。でもやるしかないよね〜頑張ろう〜と。
すると翌日、仕事でウィーンにきていたそのベルギー人の先生がアトリエに夜やってきた。そしてみんなの所を回って何か話している。
「この前出した課題だけど、宿題にするのやめるわ!今やらないきゃいけないことじゃないし。皆プレゼンに集中したほうがいいわ。課題は授業日に皆んなで一から取り組みましょう。必要な素材は用意しとくから!」と。
そう、なんと。課題がキャンセルされました。びっくり。笑
他のテクニックの先生も「大学時代に厳しい提出期限をもうけるのには反対だね!大学時代こそ、ディープに制作に打ち込むべきだ」と自分はスーパー細かいスケジュールをこなしているのに声を大にして言っていたのを思い出しました。
甘い、といえばそれまでですが。
私はここにヨーロッパの芸術教育の真髄があるような気がしてならない。
「生徒が萎縮しないこと」
「平均的にこなさせないこと」
「才能の方向を矯正しないこと」
もちろん教授や先生とミーティングすれば、いわゆるダメだしを沢山されます。
生徒間でも、別にほめ称え合うわけじゃない。それでも
それが例え辛辣な言葉だとしても伝え方がうまいので、ストレスにはならない。
先日見に行った新しい演劇のリハーサルでも同じような光景を目にしました。
ディレクションを手掛けるのは欧米圏でも超巨匠。1つのシーンに平気で1日かけるほど情熱的です。でも驚いたことに、役者に与える「自由度」が高いのです。
リハーサルに連れて行ってくれた先生はこのディレクターともう数十年、多くのプロジェクトを作ってきました。彼女曰く「優秀なディレクターの多くは威圧的に細かいディレクションはしない。素晴らしい作品を作る人ほど自由の使い方がうまい」
彼は一人の役者の演技をわずか2時間で始めとは比べ物にならないほど、深い方向へと導いていました。一度に多くは求めません。少しずつ、少しずつ、彼の中に積み重ねるように演出を加えていきました。そして2時間後、彼の肩に手を置き「今のは良かったよ!」と褒めました。彼の演出を受けていたこの役者は非常にナイーブなタイプだそう。そのパーソナリティを知っているからこそ、そうしたのかもしれません。
ドイツからセメスター留学できているファインアートの学生。
彼女の主専攻は立体制作。私たちの専門分野と交わる所はあるけれど、イコールではない。なぜわざわざ?と質問すると
「芸術のマーケットは非常に厳しく、私は自分を変える必要があることに気がついてた。特に私の専門分野では卒業後、どう活動できるかが、マーケットとの関わり方で変わってくる。多くのエレメントを抱える違う分野で、特に対話を多く持つこの専攻で一度自分と向き合うことを先生に勧められた」のだそう。
「枠」がないのです。こうすれば成功できる、とか。こうあるべき、とか。
ただ、苦しむなら、前を向こう。そういう教育が根底に流れていると感じます。