読書日記。ドナウよ、静かに流れよ。シリアの友人との出会い。

今から7年前。デンマークへ留学する私にその当時お世話になっていた職場の先輩が餞別にある本をプレゼントしてくれました。

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ドナウよ、静かに流れよー著者 大崎 善生

ドナウ川で邦人男女が心中……その小さな新聞記事が頭から離れなくなった私は、二人の足跡を追ってウィーンへと向かった。もはやこの世にいない19歳の少女、日実(カミ)は、異国の地でどんな恋をし、何を思い、そして何ゆえに追いつめられていったのか? 悲劇的な愛の軌跡を辿る、哀切さにみちたノンフィクション。解説・川本三郎

 

当時26歳の私に、30代の先輩からのプレゼント。この本の帯を読むと純愛物かと思いがちで、著者の解釈も若い行き場のない男女の純粋な恋愛としてルポルタージュされた作品という印象です。いい本とか、好きな本、というわけでもないのですが当時日本を息苦しく思っていた私への先輩からの精一杯の愛情だったんだな、と今になって思います。

 

根のないところで生きるのは寂しいものです。寂しさと自由さを天秤にかければ、寂しさの方が瞬間的な重さは圧勝です。時々押し寄せる、その重さは「どうしてこんな遠くで生活しているのか」を考えてしまいます。唯一自分を鼓舞する正当な理由は「自分で決めたから」の一点かもしれません。この本の主人公でもある19歳の少女はその一点を持ち得ず根無し草になってしまった。どれだけ相手の男性を愛していたか、どれだけの孤独の中にいたか、著者は取材を重ねながら彼らの心情を推し量るのですが、長期留学をしたことがある人なら事実を重ねなくともその心情が痛いほどわかるような気がします。

 

今、7年たって、毎日家の前のドナウ川を眺めながら橋を渡り大学へ行っています。この本を読んだ当時も、今もまさかウィーンでこの本を思い出すとは思いませんでした。

 

自分を世界の果てへ追いやることは、想像以上に簡単です。別に海外留学しなくても、人は孤独であることをいつか受け入れなければならないのかもしれません。私が仲の良い夫婦や家族、子供を見てホッとするのは、孤独は持ち寄れば、その隙間風ぐらいは埋まるのかもしれないという期待からかもしれません。

 

シリアからの友人達が、ある日集まって話し合いをしていました。シリアの内戦が激化してきた頃でした。物資の流通が滞り、ある街ではトマトが1000円する。とてもじゃないけど暮らせない。爆撃のニュースの裏に、爆弾のすぐそばで日常生活を送る人達がいる。彼らはある一定額を毎月みんなで持ち寄ることを決めました。集めたお金を、毎月シリアに住む家族の元へ仕送りする為です。十分な額をまとめて送ることが出来ないことを悩んでいた彼らは、お金を持ち寄り、互いの家族を順番に支援することを思いついたのです。ですが銀行経由でシリアへ送金することは難しい。そこで、シリアへ定期的に渡航している信頼できる人にそのお金を預ける、そういう案でした。その話を聞いた時、私は正直本当に大丈夫かな?と思いました。でも彼らは疑うことなく、その支援を開始し遂行しました。

 

彼らは具体的な方法論を話す時以外はシリアの内戦の話を互いにすることはありませんでした。話しても暗くなるだけだから、冗談でも言い合い笑おうと。

 

私が彼らと知り合ったのはデンマークです。彼らは誰一人として、シリアを出て暮らすことなど望んでいませんでした。デンマークからの支援に感謝こそしても、その地で暮らすことは彼らの選択のようで、そうではありませんでした。根こそぎ引っこ抜かれて、移植され、でも安全なんだ幸せだろうと花壇で生活しているような。税金払ってるその国の人から非難されようがリアルはそうであったろうと思います。

 

根のない場所で、孤独に負けずにどうシンプルに生きるのかを私は彼らから学びました。この本の彼女がもし彼らに会っていたら、自分で決めた世界以外でも人は強く生きられるということを伝えられたかもしれない、とその時思ったことを覚えています。