ギャラリートークを入り口に。

今週は3つの授業が並行して走っていて、セミナー(授業A)⇨美術館(授業B)⇨アトリエ(ミーティング)⇨セミナー(授業C)⇨美術館(授業A)と今日もいい汗かきました。頭がパンパンとはまさにこのこと、恐るべしディプロマ課程…。

 

授業Aは作品分析、とは言っても制作者視点からのもので批評とはまた違うのですが。月曜日から今日まで3日かけてMQにあるmumok, kunsthalle wien, Architekturzentrum Wienの3つを見尽くしました。

疲れた。笑

 

mumokは近代・現代美術館の香りプンプンな建築なのですが、内装は外観ほどのインパクトはありません。いたってシンプルなホワイトキューブ。個人的な感想です…。

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これだけの観光地で、ここまで作品そのものから読み取り感じよ!という展示方法を貫いてるのは、さすがといいますか。芸術の基礎知識とか一切ない人が見て「楽しむ」というチョイスではない感じなので、そこはエンターテイメント性に親しい日本の美術館のイメージで来ると、びっくりするかもしれません。ただ情熱は相当なもので、今日チーフキュレーターの方が私たちのために時間を割いてトークを開催してくれたのですが、並々ならぬものを感じました。知識ではなく、ご自身の言葉で作品解説している姿は「プロ」の一言。もしかしたら、ギャラリートークに参加すると面白いかもしれません。ドイツ語の日と英語の日があります。

www.mumok.at

 

とはいえ、私は作品に入り込めず消化不良で3日を終えました。ただ、好き嫌い、良い悪い、以外の鑑賞軸があることは大事なので、また行くかもしれません。

 

「現代アートは苦手、意味がわからない」私の周りにも多いです。

 

 

でもちょっとした鑑賞サポートで、そのハードルは下がると思います。

 

私も子供の頃はただ好きか嫌いか。それしかありませんでした。ただ好きが振り切ったときの尺度が大きく、好きな作品を永遠眺めているような子供だっただけです。それが自分の絵を描いたり作ったりする行為に比例して、中学生くらいから作品の背景や作家にも興味を持つようになりました。芸術作品に自己や他者が反射して見えるようになったのは大人になってからだと思います。作品を通じて何かに出会う、その初めての瞬間がいつだったか覚えていません。徐々にだったと思います。知らぬ間に私のミラーニューロンは活性化されていたようです。

 

私は自分の行為や思考がたまたま、アートと親和性のあるものでした。親和性のあるものとは、他人のものでも自分を通じて関係できるものです。

 

料理が好きな人は、人の料理を食べて、どんな隠し味があるか想像できます。

音楽が好きな人は、その音楽を自分が演奏してみる姿を重ねるかもしれませんし、もっとライトなことでいえばカラオケで歌ってみたりしてより好きになったり。

スポーツをする人はスポーツ観戦中に、自分なら、と手に汗握ったり。

 

アートは時代と常にリンクしています。特別に絵を描いたりしていなくても、新聞やニュースを読んだことがあるだけでコネクトすることができるという側面もあります。

 

大抵のギャラリートークはアーティストが垣間見せる、そういう入り口まで一緒にたどり着く為の近道を一緒に探す感じだと思います。そのアプローチは数多、一人で鑑賞している時は個人に委ねられるものですが、初めの一歩までつかまり立ちするように、そういう支えは頼もしいものです。

 

美術館のキュレーターが開催しているギャラリートーク、オススメです。大抵どの美術館でも週に1度くらいは開催していると思います。芸術は感じるものだから、話を聞いたって、ねぇと言わずに、ぜひ。芸術を勉強する私は、みなさんの想像を絶する膨大な時間、言葉を交わしています。言葉を通じて芸術に触れてみるのも、いいと思います。

 

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くたくた、アトリエに戻ったらスプーンクッキーが机にお供えされてました。ありがたく頂戴して、スープご飯。