数えるのは優しさだけ。

とうとう夏の終わりのようです。突然長袖が必要な気候になったウィーン。ようやく自宅でお勉強できるのでありがたい〜!8月の怠慢は暑さのせいとして、9月は心を入れ替えてラストスパート頑張ります。

 

新しいお家の全貌も見えてきました。

今わかっていることは、初日はベットが無いということです。笑

 

家具付きのはずだったのですが、あれやこれやありまして、すっからかんのお家に入居することになりそうです。こちらのルームシェアではルームメイトのうち1名が代表者となって、家の大家と契約を交わしているケースが多いです。そしてそれ以外の人は代表者の子と契約書を交わす。ケースバイケースですが、まぁそんな感じです。まだアドバイスなんて烏滸がましいほど、WG探しについては素人です、私。

 

話はそれましたが、その代表者の彼女と大家さんとの最初の約束は家具付きで家を明け渡すはずでした。ただ、やっぱり何やかんやあったようで、今日ルームメイトの彼女から「ベットの手配したけどkikiが入居した次の日に着く…ごめん!」と。

 

ちょっと困ったなぁとは思いましたが、でも彼女は私の友人でもあります。悪気もなく、ベットが無いことを知って手配までしてくれました。1日遅れるくらい、仕方ないよねと思い「大丈夫だよ〜1日目はフラットでキャンプでもするわ〜」と軽く返しました。「ありがとう〜(泣)」みたいな返事がきました。気にしてくれてむしろありがとうだよ!

 

今回のWGは以前住んでいた大家さん一家が丸っと退去して、私たちが順次入居するタイプです。なので先住は誰もいません。何なら仕事で海外にいる他2人は後から入居するので最初の数日は私一人です。そのことも彼女は「大丈夫?」と眉を下げていました。「後で私の彼氏の写真送るね。困ったら彼が物の移動から何から手伝うからさ!」って。そこまで、大丈夫だよ〜。笑った。

 

世界中どこに住んでいても困ること、傷つくことは山ほどあります。

私はそのことを棚に上げて「海外生活だから大変だ」と驕っていたような気がします。余裕が無いので、と言い訳もありますが、ウィーンだけが大変なんじゃ無い。日本に居れば楽なわけじゃ無い。現地のパートナーが居れば楽になるわけでも、語学が堪能だったら余裕なわけでも無い。でも一つ思い出したのは「大変なことばかり数えるような人生は嫌だ」ということです。ウィーンにきた時、「ネガティブに自分を閉じない」そう決めたのに、この夏でそれをすっかり忘れてしまっていたようです。

 

引っ越しが決まったと話せば二言目に「引っ越し手伝うよ!」と言ってくれる友達がいます。ウィーンに居ない大学の友達からも「〜してたらkikiのこと思い出したよ。元気にしてる?もう直ぐウィーンに帰るからそしたらお茶しようね」ってメールをくれる友達もいます。

 

先日、みんなといる時に一人だけ英語で話しかけられた私。すかさず友達が「彼女はドイツ語がわかるから!」と言ってくれました。彼女は私のドイツ語が全く完璧じゃ無いことを知っています。でも私なりに踠いて頑張っていることを応援してくれています。

 

クラスの友人たちは私一人が「外国人」扱いされることに時々、私なんかより心を痛めてくれます。

 

誰も私に「あなたはドイツ語が上手じゃ無いから」なんてジャッジしてきません。

それはひとえに彼らの優しさ。

そして大学での教授の振る舞いも大いに影響しています。

「たとえ彼女がまだ言葉を勉強中だとしても、彼女のマップはとてもtoll.作品から聞こえることがすべてだと思うわ」と。教授は新しい生徒が来るたびに、新しいゲスト講師が来る度に「kikiはドイツ語を勉強中なの、でも彼女は大丈夫だから」とはっきりと言い切る。本当は私が自信を持ってそう振る舞わなければいけないのに…。

 

この2ヶ月間ドイツ語ばかり、正直、お勉強が得意じゃない私が海外の大学を卒業するなんて無謀過ぎたんだと思う朝が沢山あります。「語学留学にきたわけじゃ無いのに」としんどくなることがあります。制作できてないんじゃ本末転倒なんじゃないかって。でも語学の重要さもわかっています。地平線を広げるため。みんなが優しく守ってくれるのも私がドイツ語と向き合っているからこそだと。

 

昨日、友達からもらったメールを読んで、スタジオでの日々を思い出しました。

数えても数えても抱えきれないほどの優しさを私はもらってきたじゃないか。だから、そういう温かいものだけを時々取り出して数えて暮らしていけるはずじゃないの、と。

 

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ich war kaputt, aber...

どこで生活していても、季節の変わり目はメランコニックになりますね。