祖母。

祖母が亡くなった。

 

涙が枯れるほど泣き、自分の言葉で書くことを選び、そして数日経った今、落ち着いたのでそれを投稿することにしました。

 

急死、というわけではなくここ何年も入退院を繰り返し、最後は老衰に近い状態で穏やかな表情で亡くなった。そう、母から連絡があった。

 

すぐに日本に帰ろうと思い、泣きながら、パッキングをしながら、とにかく母に電話すると「帰ってこなくていい」と言われた。

 

もう、ここには抜け殻しかない。穏やかな顔の。あなたのおばあちゃんは苦しみから解放されて、今頃あなたに会いに行っていると思う。だからそこで、おばあちゃんのことを思い出して泣いてる、それで充分。帰ってきても、もうここにはいないんだから。

 

ずっと面倒を見ていた叔父は、最後に間に合ったそうだ。母は間に合わなかった。延命処置をせず、自然に息を引き取らせてあげて欲しいとそう伝えていたそうだ。叔父は泣きながら葬儀の準備を始めた。叔父も電話口で「kikiちゃんは、そこで出来ることを一生懸命やりなさい。両親に心配かけないように、一生懸命頑張りなさい。次に日本に帰ってきた時にお線香を上げに来ればいいんだから、今帰ってくる必要はないんだから」と。

 

あんなに早口な叔父さんの話口調は初めてで、どれだけショックを受けているのかが伝わってきた。覚悟をしていても、目の前でその糸が切れた瞬間を冷静に見つめることなど出来ない。叔父さんは火葬されるその日まで祖母の側に布団を敷いて眠っていた。

 

葬儀には私と最後に撮った祖母の写真を使うと母が言っていた。

 

私は心底、自分がウィーンで勉強していることに罪悪感で一杯になった。私は祖母のために、何もしてあげられなかった。一度だって一緒に旅行に行くことも、何かお願いを叶えてあげることもしてあげられなかった。母や叔父のそばで葬儀の準備を手伝うことも出来ない。

 

 

何もしてあげられなかった自分、今も何も出来ない自分、そんな私自身を蔑み泣いているのか、祖母を想い泣いているのか。目が開かないほど、泣き腫らし、ぼんやりとした。

 

そして祖母が亡くなった正午がウィーンにもやってきた。

泣き疲れて、呆然とした気持ちで、その数分を過ごし、ただ彼女の最後の写真を前に絵を描き始めた。描き始めて、初めて晩年の祖母の顔が私の記憶の中の祖母と一致しないことに気がついた。それがまた悲しくて、目の下がヒリヒリするのに、やっぱり視界は不良のまま。

 

いつも夜は化粧台の前で、いろいろなクリームを塗っては、小顔ローラーのようなもので顔のシワを伸ばしていた。お肌がテカテカツルツルした丸顔でいつも笑ってた。

 

カタカナが苦手でブロッコリーがいつもブロコリーになってしまい、よく私たちに笑われていた。

 

天然なところがあり、冬場はなぜか卵焼きをこたつに入れて予熱するという最強に不衛生でかつ一切の悪気のない持て成しをしてくれた。

 

働いたこともなければ、趣味もなかった。でも子供を産み、育てることが女性の生き方だった祖母の時代。一日中新聞のテレビ欄を見てはテレビをつけてお菓子を頬張り、ご近所さんと噂話をしていた。

 

お盆にはシワシワの手で大きな真っ白まん丸のお団子を作っていたのを横で手伝った。私はまだ6歳くらいで、祖母のような大きなお団子は作れなかった。作れるようになった頃にはもうあまり手伝わなかった。

 

昔の人だった。女性は結婚して子供を産み、家を建ててくれる旦那さんと同じ土地でずっと暮らすことが全てだと信じていた。唯一私に「結婚はいつか。ひ孫が見たい」と言ってくる人だった。そして私が唯一、その価値観を押し付けられても嫌だと思わない人だった。私の顔色など伺わない。祖母が心からそう信じていることがわかっていたので、いつも「頑張るよ」と答えていた。

 

私には親戚づきあいの経験がほとんどない。家族は一般的な穏やかな歴史を辿っておらず、私は親戚が一堂に集まる行事をほとんど経験してこなかったし、亡くなった祖母と叔父以外の親族との繋がりは今や全くない。そんな記憶はすべて祖母の隣に居た幼少期の思い出だけだ。そこには最後に祖母と二人で撮った写真の中のようなシワシワの小さな鞠のようなおばあちゃんじゃなくて、顔中のシワをコロコロ伸ばしていたピカピカのおばあちゃんが居る。

 

だから絵を書き直した。

ツルツルピカピカのおばあちゃん。

 

また明日も泣くと思うし、この後悔はなくならないけれど。

ここからでも、お線香を買ってきて、あげようと思う。

痛いところが、今はもう痛くないといいな。軽くなって、日本でみんなとのお別れが終わったら、私のところにも会いに来てね。ごめんね。ありがとう。

 

それでも人生は続いていく。人は死ぬのよ。だから今を生きる言い訳に、亡くなった人を持ち出しちゃいけない。母にそう言われて電話を切った。