どこからきていてどのように作られたものなのか。

海外生活をしていても、なるべく日本のニュースに目を通すようにしています。どこで生活していても、私は日本人で、そうである以上、人々は私に「日本について説明出来る」ことを期待しているからです。そしてそれ以上に1人の社会で生きる人間として「世界の出来事について意見を述べる」責任もあるだろうとも思っています。

 

一つ、最近のニュースからシェアします。今年のノーベル平和賞を受賞する婦人科医のデニ・ムクウェゲさんの2016年のインタビュー記事です。

 

www.huffingtonpost.jp

――世界各地の人道危機により、「難民問題」が注目されています。日本にもシリアやコンゴ民主共和国などから難民が逃れてきていますが、日本は非常に厳しい政策をとっており、難民をほとんど受け入れていません。世間の「無関心」がその消極的な政策をつくっていると思いますが、「無関心」を乗り越えるために、日本の人へどんなメッセージを送りたいですか?

情報を与えなくてはなりません。十分に情報が届いていないなかで、人々をただ「無関心」だと責めることはできません。これはメディアの役割です。

訪れた多くの国でコンゴ人と会いましたが、この人たちは皆、コンゴでは非常に有用な人材です。コンゴがもし平和になれば、彼らはコンゴで多くのことができると思います。しかし、ナイフで殺し合いが起き、女性たちがこんな扱いを受けているような国へどうして帰れますか。皆さんは何が起きているのかを知るべきで、私たちはそのためのキャンペーンをする責任があります。

ヨーロッパでは今日、「難民はいらない」ということばかりが言われていますが、なぜ国を去らないといけないのでしょうか?すべてをやり直さなければいけない外国に逃れるのは賢い選択ではありません。難民となることは楽しいことではありません。

コンゴの普通の人たちは鉱物のために戦ったりはしていません。私の母は携帯電話の使い方を知りませんし、村の多くの人たちは電化製品の使い方を知りません。しかし、彼らは、国外の人たちがこれらの製品を得るために命を懸けているのです。まずはこうした情報を与え、次に、こうした不条理と闘うべきです。消費者である人々が、自分たちが消費しているものが、どこからきていてどのように作られたものなのかを意識するよう、目を覚ませと私たちは言わないといけません。

コンゴで人間らしさを実現するには、それしかありません。「私たちは日本で平和に暮らしています。私たちには関係がない」といっても、身に危険が迫ったとき、国を逃れようとする難民は日本を目指すかもしれません。世界中から難民が押し寄せたら、大変なことです。 自分たちだけで平和を得ることはできません。すべての人々にとって平和がなくては、真の平和にはならないのです。

 

色々な国の、異なる文脈を持つ人に人生ではたくさん出会います。

その一人一人が、根本的には理解し、理解されたいと願っていると私は思っています。

 

ただ、報道は世界中平等でも均一でもありません。このデニ・ムクウェゲさんがインタビューで提言している「十分に情報が届いていない中で人々をただ無関心だと責めることはできない」という意見には心から共感します。日本の報道にも多くの不思議な規制があり、私も日本語の情報だけでは真実をフラットに把握するのが難しいと感じることが沢山あります。

 

9月に一緒に生活していたセルビアからのアーティストたちと話していて、同じようなことを感じました。セルビアは旧ユーゴスラビアで、今も経済的には裕福とは言えない国です。GDPは世界平均の半分だし、現に2人から聞いたお給料事情は日本に換算すると同じ職業では5分の1くらいじゃないかなぁと感じました。薬に処方箋が必要になったのもつい最近、色々な事柄が私が今まで生活してきた国とは違います。

 

彼らはアーティストで、セルビアでも広く世界にコミットしている部類に位置付けられる活動をしています。現にウィーンでの滞在制作はウィーン市からの助成金で行っていました。それでも、社会的な話をすると、情報のベースが違うのだということを度々感じました。「セルビアでは〜だ」の一言で片付くことも多く、誤解を恐れずに言えば1900年代まで社会主義を敷いていた。また40代で出兵の命令を受けた経験を話せる事情から、その一言が出てくる由縁を察することも多くあります。そして国の歴史を知るほど、「自分の国は〜だ」と話せる、ある種の愛国心が強い理由も頷けます。

おそらくはメディアの役割が、これも誤解を恐れずに言えば日本のように偏っているのではないかと浅はかな想像をしています。

 

 

流行りの食べ物や映画にエンタメ

有名人の飲酒運転や不倫も

もちろん倫理を形成する意味で必要な話題だと思います。

関係ない人が、関係あるかにかかわらず物事に意見できる空気もとても大切です。当事者だけでは表に出てこない、または問題とすら認識されないことが溢れている。双方がパワハラじゃないと言い張ればそれでいいのかといえば、そうじゃないように。

 

でも世界では「解決できない核廃棄物を山積みにしている国」と揶揄されていることをきちんと日本語で日本人に伝える責任がメディアにはあるだろうとも思います。

 

違う言語を勉強していると、ここまでこの言語を操れなければいけないだろうか…とサボりたくなる気持ちが沸々と湧いてくるのですが。笑

そんな冗談の後には、でも知らないことを知る責任と、知らない人に伝えられるポテンシャルを得ることを理由にすれば、まぁ仕方がないか…とも思う、この頃です。

 

どこからきていてどのように作られたものなのか。

とても心に突き刺さるインタビュー記事だったので、書いてみようと思いました。