だからここに書くしかない。

夕方に本校舎までの移動で路面電車に乗ったら、小学生か中学生になりたてか、くらいの子供3人に笑われた。ドイツ語がわからないと思われたのだろうけれど、この3人組は私の顔や身なりを「中国人って変だよね〜」と言い合って笑っていた。というか完全にバカにしていた。ドイツ語なら何を話してもいいと思われていたので、普通の音量で、しかも電車が混んでいたのでぴったり隣で言われると、さすがに子供相手でもイラッときた。でもこんな車内で子供相手に怒っても仕方がないので、イヤフォンをして音楽を聞くことを選択。政権が右へ右へと流れていく今の世の中では、こういう風当たりにどこまで反応するのか、自分の命とよく相談する必要がある。大げさでなく。

 

ビザがうまく進んでいないからか、生活に慣れてウィーンという場所が輪郭を持ち始めたからか。アトリエを出た外の世界は、私には優しいものではなくなってしまった。正直、これだけのストレスを抱えて、必死にドイツ語を勉強したところで、この街に愛着を持つのは中々にハードルが高いように思う。

 

そんな憂鬱をさらにえぐるように、大抵の人が「ウィーンに残りたいんだよね」と疑いもなく言ってくるので、もうはっきりと「将来は日本に帰る」と宣言している。

 

いや、正直どうなるかなんてわからないけれど。その時、で住む場所は変わるだろう。でも少なくとも両親の老後の期間は日本に帰るし、私が死ぬ時は日本語の中で死にたい。言葉の不自由さが原因だろうか、違う気がする。

 

「西洋至上主義にはうんざりしている」というのが今のストレスの原因だと思う。授業で北朝鮮の話になった時も、朝鮮半島の歴史もロクに知らない子が「どうしてどう考えても最悪なのに、そのままなんだ」と言っていて、なんて狭い世界で生きているんだろうと。もちろん西洋社会とは違うし、北朝鮮の場合は実態が不透明なので「何を幸せとしているか」については私にはわからないし、他国を挑発している限りや知る得る限りは、国際社会の介入が必要な国だろうという認識はある。でも、彼らが「アジアよりヨーロッパでしょう」と超無意識に押し付けてくるのが、どうにも腹が立つのだと思う。愛国心が強いというよりは、ポイントは超無意識。

 

どこかの先住民が電気も水道もなく民主主義でなかったら不幸なんだろうか。資本主義でない国は不幸なんだろうか。時代遅れや生活基準は、指標になるのだろうか。

どうなのか?と考えるワンクッションは必要だと思う。

 

日本が例え誰が政治してるんだかよくわかない国に成り下がっていたとしても、私がウィーンに暮らす方が幸せだと決まっているわけではないのだ。

 

何より、このストレスは名前も知らない路上や公共の場所でもたらされるわけで。これについて、いつもフラットに接してくれる仲のいい友達に話したくはない。彼らはとても優しいので、そんな話をすれば眉を下げて心配したり、時に私以上に怒るのだ。私は彼らの生活に黒いインクを落としたいわけではない。一滴落ちれば、それを上書きするのは至難の技だ。

 

とうわけで、誰に話せるわけでもない今日の出来事をこのブログに投げ込む。

とにかく落ち着いて、1年前の私が、ただ自分の身近な範囲だけに感謝して幸せだった感覚を取り戻したい。言葉は世界を広げる。もちろん、そこには大抵見たくもない現実がたくさん待っているものなのだ。だからと言って、それに飲まれて、怒りで自分の世界を濁したくはないのです。何より、そんな怒りに任せて制作したくない。それってなんだか作らされたみたいで、結局自分じゃないし、価値ないし、暴力かも。

 

ふぅ〜。

 

美味しいものでも作ろう!ネガティブはネガティブしか呼び込まないよっ!自分!