あなたはジョーカー。

ロンドンに行って来ました。あっという間に4日がすぎ、昨日ウィーンに戻ってきました。ロンドンについて何か書きたいような、でもほとんど美術館に居たので…ね。

一つ言えることは、私はロンドンでは勉強に集中できないってことでしょうか。まるで街全体がファクトリーのようなところでした。お金と物と、そして多分何かしらの命を絶え間なく生み続けているうねりの中で自分を保てるほど、私はまだ自分というものが強くありません。そんな感想ではありますが、前評判とは違い、ご飯は美味しかったし、人は親切だったし、何より美術館のクオリティーはさすがの一言。十分に楽しんできました。

 

そして、空港から直行でアトリエに戻りました。教授とのショートタイムのミーティングがあったのです。そして、ぶり返した、またこの問題。

I am Japanese.

1年前にも書いていましたが、もういよいよ覚悟が必要なのか、なんなのか。

 

kiikiii.hatenablog.com

 

 主任教授とは今セメスターほとんど、しっかりと腰を据えて話していません。彼女がほとんどウィーンに居ないのが理由ですが、私自身も少し消極的でした。それに変わって、他の教授陣とは何度かじっくりと話してきました。今日もパフォーミングセオリーの先生とぎゅっと濃縮された会話ができ、彼女は私の制作の周辺に漂っているものを即座に回収し、it seems like that, のあらゆるものを提示してくれました。そんな感じで割と自分なりに前に進んでいたものの、昨日の教授のコメントが頭から離れません。

 

「kiki、写真しかまだ見てないけど、私はまだ何も理解に至ってないわ。だって完全に前回見たものから変わって新しくなっているから。それか私のマインドがヨーロッパ一色なのが原因かもしれないけれど。私は最初のスケッチからの一連が今のよりいいと思うけど」

 

最後のヨーロッパについての一言が、たとえ冗談だとしても1年前を思い出させて

「またかよ…」となりました。多分じっくり話せば、日本人だからではなく、私だから、と理解してくれるだろうとは思いますが、30分という短い時間で私の持つ概念からすべて説明すると結局は「日本的背景」で時間切れなのです。それがまた起きるかもしれないと思うと憂鬱で、どうしたもんか…と。

 

でも1年前にも書いたように、私が他の言語で他者に作品を見せる以上は付き纏う課題なのです。友達にも「利用すればいい」と言われましたし、実際私は自分のカルチャーをベースに作品を展開しているので、突かれているポイントが的外れなわけではありません。ですが…どうして私だけこんなにアイデンティティの根底から説明する羽目になるのか。クラスで誰も「これはあなたのドイツカルチャーからきてるのか」とも「韓国的な感覚か」とも「イギリスではそうなのか」とも聞かれないのに。

 

ただ、うんざりしているものの、説明が必要だという自覚も同時にあります。

最近で言うと「間」と言う感覚がヨーロッパ人にはない、と言うか日本人にしかないということに気がつかずにプレゼンを進めて、全然会話にならないことがありました。しばらく考えて、後から気がついて「あ〜そうかぁ〜」となりました。そもそも持ち得ない概念など、向こうが聞くことなどできないですから。私が提示するしかありません。

 

そんな話を劇場に向かいながら友達としていたら、彼女は一言。

「あなたはジョーカーだからね。教授陣ですら怖いんだよ。あなたの作品は明らかに他の誰とも違うから。その違う理由がなんなのか、意見を提示するに足りる知識を持っているかどうかって。でもそれをあなたが嫌だと思う気持ちはよくわかる。私は一度も、だってあなたはドイツ人だからとは言われたことがないけど、言われても困るよね」

そして続けて「でも、自分にとって新しい理由をあなたの文化に求めるのは違うと思う。彼らはもっとあなたという人間を通して作品を批評すべきだわ。私はあなたと理解し合えないことがあったとしても、だって日本人だからとは思わないものね」とも言っていました。

 

ジョーカー…なるほど。

 

そんな話をしながら劇場に着いてしまったものだから、あまり演目が頭に入ってきませんでした。幕間で、隣に座っていた先生にぽろりと口に出してしまうくらいには。先生は終演後に「kiki、何はともあれ、君は君自身の新しいものを見つけるだけだ。それがたとえ主任教授の理解に届かなくとも、そこでブレてはいけないんだと思うよ」と声をかけてくれました。

 

結局は髪を金髪にしようが、言葉が流暢になろうが、それこそ結婚したり永住権を持ったところで「表現」に携わっている以上は。私がこの目で見て、聞いて、感じてきたことはどんなに埋めても掘り起こされるのでしょう。そもそも好んで三島由紀夫も村上春樹も枕草子も能や歌舞伎に明るいんです。日本にいたところで、私はワビサビ的な引き算がテイストとして強いのです。それがミニマリズムと比喩されようが、文学的、哲学的と評されようが、まぁそうやって育ってきたのだから。間違っても和柄や畳や、そういったものをビジュアル的に使用することはありませんが、概念がそうなのだから。

 

「日本は日本で、他のアジアとは違うんだろうね。日本は日本なんだよ」

韓国人の彼女のコメントですが、そうだとしたら、この足枷が軽くなることは望まずに、重みに慣れるのみでしょう。

 

来年も同じことで悩んでいたら、笑い飛ばそう。