自己満からの脱却その一歩。

不安でガクガク震えていた最終プレゼンが無事終了しました。前回書いた、日本人問題はある意味、今の自分が一番いい形で消化できたと思います。

 

パフォーマンスをからめた作品を制作したのも初めてでしたが、そうしたい、そうせねばならない。オブジェクトが仕上がってから自然と、また強くそう思い、テキストを書き上げ昨日に挑みました。自分が今まで開いたことのない、表現方法と手段。そして半分では明らかに「これが今の答えだろう」と言う不思議な自信と、もう半分は自分にとって新しい段階すぎての不安。プレゼン直前にトイレに駆け込むほどの緊張でしたが、初めて欲していたフラットな批評を頂きました。

 

制作の過程を逐一プレゼンするのはヨーロッパ芸術教育のセオリーだと思います。4ヶ月、その課程の中で様々なコメントを教授陣からもらっていました。

 

「オブジェクトとしての魅力は最大級、でもコンセプトが難解で理解しきれない」

「言語の問題で、明らかに難解さを増しているのであれば、私はあなたの宇宙を理解したい。通訳を手配することも検討できる」

 

 

とにかく、コンセプトとそれに付随しての私の仕事量が膨大すぎて、ひたすら混乱を招いていました。ただ、私はとことん無意識化でもコンセプトについて練り込むタイプなので、短い時間で言葉で説明しきるのには限界があります。もはや、だから視覚化してるんですけど…言葉の問題じゃないんですけど…泣きそう。という日々を4ヶ月送っていました。途中には「難解、難解っていうけど、理解する側にも少々の責任があるんじゃないか」「じゃあ英語で説明すればいいのか、ってかプレゼンの勉強しに来てるんじゃないんだよ」ぐらいに自己中に憤慨したりしたこともあります。その時は完全に特定の人に「作品」が伝わらないことも致し方ない、と言う諦めが生まれつつありました。

 

伝わらなくて、悪い批評が出てもいいと思っていました。それがあるべき姿だと勘違いしていました。でも「伝わった上での悪い批評」に意味はあるけれど、「伝わらなかった上での悪い批評」はただの制作者の自己満である、ということにギリギリに思い立ちました。コンセプトを変える必要はない、簡単にしてエンタメにする必要も1ミリもない。でも伝える気がないなら、発表してくれるな。今更ですが、当たり前のことに立ち還りました。

 

散々悩んで、でも頭と手だけはひたすら動いている。ノンストップで制作していた私に、例のいつも本をプレゼントしてくれるディレクターの先生が今まで見たこともない真剣な顔で私にこう問いかけました。

 

「kiki、君は君がどうしたいかだけを貫け。そしてやれ。machen!それだけだ」

 

彼は今回の私の作品について、強い関心を寄せてくれていて。最初の頃から「今は全く理解できない。でも君の手が視覚として形作っている”もの”そのものに、すでにいいということだけは言える。そして君が話していることは確かに難しいが、だから考えたいとも思う」そう見守ってくれていました。

 

今回の制作を通じて、日本で育ったこと、私が国を移動して社会を見つめることに時間を費やしてきたこと、そのすべてが無意識化で繋がっていて「だからこれが私の制作者としてのテーマです」と言えるものが見えてきたように思います。これには自分でも心底驚いています。制作したものが自分の文脈を視覚化していたこと。そういうコンテクストの中で作品が生まれていく課程を経験したことは、私が30代で制作者へ移行したことと、ウィーンにたどり着いたことを明確に明るく照らしてくれていました。ただ難産すぎて、ギリギリまで「あ〜もう苦しい。あ〜もう才能ない。あ〜もう諦めるタイミング知りたい」とまぁ、追い込まれていましたが。こういう展開でドラックに一切手を出さない自分をマジで褒めたい。ノンケミカル人生は貫きたい。笑

 

レイヤーが多すぎる作品だったのでプレゼン30分は質疑応答だけで終了してしまいました。むしろ終わらないので強制終了、いつものことです。

プレゼン後に主任教授が「いつの間にこんなことになってたの」と今まで見たこともない笑顔で私の背中をさすり「とにかく素晴らしいの一言だわ」と言ってくれました。彼女のあんなにエモーショナルな感想は初めてで「あぁ、届いたんだ」と。そしてプレゼンを見てくれていた他の教授陣から学生まで、本当にみんなに声をかけられてまた驚きました。

 

初めて、やっとここにきて。「作品が伝わった」そのことを実感しました。

großartig!こんなにその言葉をかけられて、ちゃんと噛み締められたのは初めてです。また次の制作に入れば、いいも悪いも押し寄せて「あ〜もう無理」ってなるんでしょうが。でも「伝えること」と「批評」について自分の中である種明確な関係性を理解できたことが今回の収穫だったと思います。

 

そこに手を伸ばせたのは今の環境があってこそだとも思います。自分の制作や状況についての不安を話せる相手がいること。率直に「わからない」と言ってくる相手がいること。ある種見当違いのアドバイスをしてくる人がいること。そうやって私の制作物と状況に対して容赦のないコメントが行き交うことがブラッシュアップに繋がっていたのだと思います。教授が私に「いつの間に」といったのはまさにその通りで、私自身も人生の出来事が「いつの間に」か何層にも連なっていた。その蓋を開けられたようです。

 

明日からはオープンアトリエと展覧会の準備、すぐにセメスターも終わります。3期目、実りのある形で締めくくれるよう走るのみです!