生まれ直して成長痛。

この数週間、精神的にとても不安定でたまらない。

ベットの頭上にある大きな窓のあるこの部屋は、今の私にはたまらなく危険だということを昨夜感じて怖くなった。何がどう繋がっているかわからないけれど、自分の心が折れた音が聞こえて、その恐怖に耐えられないのでここで吐き出そうと思う。

 

私は煙草を吸わない。一番の理由は単純に匂いが好きじゃないからで、かつ不整脈の毛が疑われていた学生時代を考慮しても、自分にとっては安らぎにならないだろうと思うから。そしてここ数日その判断を強くすることが頭をよぎった。欧米では、とひとくくりにするとそうではないけれど、かつて私が見てきた欧米では、煙草とドラックは一連のように繋がっている。巻きタバコの粉にちょっとずつ混ぜられて、そういうものが始まるのだけれど、私のように、他人の言葉を借りれば繊細すぎる人間にはそういう逃げ道はとても危ない。お酒も然り。だから私は家にお酒も置かない。自分で自覚があるのだ、簡単に中毒になり得る危険性を私は孕んでいると。

 

久方ぶりに今週はよく泣いた。もはや全然自分ではコントロールが効かない。涙の味はしょっぱいどころか、激苦い。比喩じゃなくて。苦くてびっくりした。

 

それでも授業はあるわけで、課題は山積みで、制作が進行しているものも私を覆う。

自分が精神のドアを開けてしまったことで、こうなることはなんとなくわかっていた。逆を言えば、そうならないために自分の鍵のかけ方を20代で社会に出て学んだのだから。精神面だけで言えば、日本で社会人をしていた私が表面的にも実生活の様子も健康的だった。でももう戻れない。

 

大学で授業を取っていた先生が自殺したのもちょうど2週間前だった。教授からそのメールを受け取った時は、同姓同名の別の人の話かと思った。でも大学の公式のお悔やみで彼の顔写真が掲載されているのを見て、彼のことなんだともう一度考えた。

生前の彼はとても気さくで大らかで学生からも先生からも好かれるいい人だった。感情的になることもなく、いつも情熱を持ってワークショップをしてくれ、頼れる人だった。今週も本当だったら彼の授業があった。先週もそのことについて話していた。私たちの知る彼は自ら人生を閉じるような、そういうものに手招きされているようには見えなかった。でも、それは独りの時にそっと隣で寄り添うのだ。現実の誰より自分と共鳴してしまう。私の知る限りでは。

 

私のこの数週間の不安定さは「誰か」のせいではない。

耐えきれなくなって、目が真っ赤になった私をアトリエで見つけたディレクターの先生が私のその自分自身の問題に押し潰されている状況にこう励ましてくれた。

「君は才能がある。今の留学生という環境が辛いのだとしても、そういうことは忘れて。ここにいることを諦めちゃダメだ。作ることを投げ出さないで」

そう、危ないのだ。私はこんな人のいるアトリエで自分の感情が爆発するほどにギリギリなのにまだ制作しているし、制作予定のものが列を連なって私の後ろに並んでいる。私の身体を通過して生まれようともがいている。このギリギリの状態といい作品が繋がるのは何としても避けたい。そういうスイッチは持ちたくない。ドラック同様に。

 

それでも涙は流し切らないと。もう目が腫れて数日、目の下の皮膚はボロボロだし、鼻の下も剥けている。腫れた目は重たい。相当アグレッシブに泣いている。笑

 

クラスの友人は私の異変に気がついていて、ただアトリエで会うだけで「kiki, give me hagu」と言葉よりもその腕で私を癒そうと必死だ。私だって言葉にして悩みが出てくるのなら、それを解決したい。でも「誰か」や「何か」のせいではないし、このブログを読んでくださっている方の印象通り、私は究極に人間関係に恵まれている。

 

昨日は別の友人が私の恐れに対して「どんなあなたでも、私たちはいつでも受け入れられる。あなたがどれだけ人と違うかに悩んでいるけれど、違くていいんだし、それをもっと何も考えずに発言してくれていいんだよ。私たちにとって、あなたの存在はそれだけ大事なんだ。あなたは日本人でもヨーロピアンでもなく、kikiだ。それでいいんだよ」

 

芸術を志す人なんて、どれだけ自分の表現を見つけるかで悩むだろうに。

私はどれだけ自分が特殊なのかについて憂いている。現にディスカッションで私の発する意見も一言も、意図せずみんなに簡単にショックを与えてしまう。人と違う視点でもの事を捉えているのだと最初はポジティブに言い聞かせていたけれど、それを繰り返すのは痛みを伴う。私には「普通」がないのだろうか。どうして。

どこかでそれを認めてしまったら、今までの普通の人生で感じた大事な何かを失いそうで怖いのだと思う。自分の目に映るものをさらけ出せば出すほど、生み出してしまった作品について説明するのは身を削る作業だ。もはや学生を終えたら、作品については誰にも語りたくないとすら考えてしまう。相手が興味を持って話を聞いてくれるほどに、その作業は二つの相反する要素を持って私を振り回すのだ。

 

来週には落ち着くだろうか。これを乗り越えられなかったら、日本に帰るというのも考えた方がいいかもしれない。どこでこの渦に巻き込まれたのかよくわからないけれど、言うなればドイツ語が成長したことによって、私は私と周りが別の存在だということを強烈に自覚し始めたのだろうと思う。子供が自分のことを他者が呼ぶ名前を一人称にしていた時期を超えたのだ。「kikiちゃんね〜」から「私は」に変わった。同時に子供が突然死を認識するように、独りで生まれて独りで死ぬのだということを、この歳になってまた再認識させられている。子供のように本能で乗り越えられないので、想像以上に混乱をきたしているのかもしれない。

 

言葉って本当に不思議だ。それ以外の私の持ち得る要素はそのまま母国と同じなのに、言葉を失い、それを成長させるだけで私は同じ大人の身体で生まれ直しているような体験をしている。そして自分で自分を生んでいるようなものなので、母親が不在であること。最初の乖離は自分と他人の間に生まれて、ギャップが大きいのだ。蟹が内臓ごと脱皮するかのごとくの、命がけの脱皮と成長痛も伴って、それが大人である身体とのバランスを計り兼ねている。

 

なんだか書いていたら、そうか、そういうことなんだろうかという気がしてきた。

そういえば、そうやって書き散らかせばなんだか落ち着く単純さも私は持っていた。

特別な天才でもなんでもない、私は未だに赤ちゃんなのだ。