選挙の春。

今日は雨模様。明日は24度、暖かくなりそうです。

イースター休暇も残り1週間を切りました。

f:id:kiikiii:20190424082817j:plain

休暇中にもかかわらず、クラスメールがWICHTIG!!の嵐です。何かと言うと、学長選が近く、その選挙に関する連絡事項。メールが長すぎて、リンクが多すぎて、流し見しかしていない私ですが、私にも投票権があるのでちゃんと読まねばなりません。今回の件でunwissendと言う単語を覚えました。意味はものを知らない、無知な、です。笑

他にもEUの選挙もあるようで、私はEU市民ではないので関係ないと思っているのですが、EU外の生徒は〜って項目があったのを見つけてしまった。読まなければ…。

 

3月の頭にすでに候補者演説が2日にわたって行われました。その日は授業を開講できず。何故なら投票権を持つ私たちはそれを聞きに行く必要があるから。で、その後2度にわたってこの件に関してクラスミーティングが開かれました。それぞれの候補者に関して、意見をシェアするためです。

 

学長が交代する理由を聞いたら、もう8年も同じ人だからだと言われました。 

私は人生でたとえ学内であろうとも選挙についてクラスメートと話し合った経験はこれが初めてです。国の選挙ですら、家族とも誰がいいとか話したことがないなぁ。なので、新鮮な体験でした。

 

今回に関しては、「この人」という人が見当たらず、選び方も消去法。この人のマニフェストはバックグラウンドそのままにビジネスマン的な考えで学長の器の話じゃないから駄目だとか。興味深いマニフェストだけれど、実際に実施した場合に需要があるかは不明だからちょっとねぇ、具体性に欠けるしねぇ、とか。国立大学としての責任(社会との関係)を果たし、かつ、私たちのスタジオ運営をある程度継続してやっていけそうな相手を選ぶ必要があります。が、私たちのスタジオについては少人数なので、演説ではあまり議題には上がらず、それはそれで皆んな心配しています。予算を削られたりしたら困る。

 

政治を見ればわかる通り、当選者のマニフェストはガンガン実行されます。

つまりは大学内外のルールなど、さらなるスピードで改革されていきます。

 

休み明けにまたミーティングをしようという空気になっています。

どんな教育を受けたら、ここまで政治に参加する一員であるという自覚が芽生えるのでしょうか。私も義務教育で選挙について学んだけれど、そういうものが与える影響力や、民主主義としての選び方まで学んだかと聞かれると…記憶が曖昧です。自分が支持する人と社会との関係まで高校を出たばかりで考えてなどいなかった…。恥ずかしい。

 

昔、ニューヨークに住む友人と”子供の頃に教えて欲しかったこと”が話題になったことがあります。私も彼女も一致して、社会保障について教えて欲しかったと言う話になりました。教科書的なことではなくもっと具体的に。簡単なところでは、母子家庭で受けられる援助や親との関係が悪い場合のSOSの出し方。社会保障はある意味「一人でも国民であれば生きていくために手伝いますよ」だと思うんですね。でも子供の頃は盲目的に「絶対に一人でなど生きていけない」と信じ込まされている節がある。もちろん社会の一員なので、全くの一人にはなりえないけれども。もし具体的に一人でどう支援を受けて自立できるかを知っていたら、それを選びたい子供だっているだろうし、将来、大人になってから自分が背負う責任も理解できるような気がします。

 

今、大学では助成金の申請の仕方、嘆願書の書き方まで教えてくれます。

私たちがこの分野を勉強して、それで生きていくためには税金を払わなければなりませんし、収入を得なければなりません。芸術を趣味で勉強しているわけではないですし、学生だから、お金がないからと言う理由で制作物に制限を設ける言い訳にはなりません。必要なお金は自分で稼ぐか、援助を受ける必要がある。社会の仕組みの中でそういう方法をどれだけ知っているかは今も、これから先も重要なことです。だから教授がわざわざ時間を設けてそういう授業をしてくれるわけです。教授陣も誰一人、教壇に立つことで生計を立てている人などいません。専門分野の第一線で活躍しているから、大学でも教えているのです。その分野で収入を得て、税金を収めている。生き抜き方を知っている。

 

自分で行動を起こすことが、特別なことではない。身をもって体験するのは大切なことだろうと思います。誰かが何かしてくれることだけを享受して生きるのは、籠の中の生活みたいで、なんだか寂しいですもんね。