観劇日記(雑記含む)。Woyzeck。

Was ist kiki?

昨日友達に言われて、えっ何?ってなったワンフレーズ。意味わかんなくて、冗談でkiki ist deine Freundin!って答えたら、爆笑を得ました。もちろんそんな質問でないことぐらいわかってたさ。笑

日常がドイツ語になって、雑談なんかでわからんな?みたいなドイツ語はだいぶ減ってきたと思っていたのですが。まだまだ定番フレーズでも知らないものがありますね。日々勉強。ちなみにWas ist los?で、どうしたの〜とか何があったの〜?みたいな意味で、losを名前に置き換えてWas ist kiki?でも同じ意味です。Was ist denn los, kiki?ですね。

 

Was ist kikiは日々課題に追われています。死にそう。今セメスターの各科目の課題がそれぞれ壮大すぎて頭がパンクしそうです。5月が山場。どうして全部の制作期間が5月に集約されているのですか…ねぇ、という気持ちです。

 

昨日まではOvidiusのmetamorphosesを読んでいたのですが、まだ終わりません。全然終わる気配がないんですけど…。そして言い回しが美しすぎて(そりゃOvidiusは恋愛詩人だったわけですから)、それこそ1巻読み終わるごとに、で?えっ話が見えないんですけど?っとなり、また最初に戻る…の繰り返し。スタジオのみんなも同じ現象に陥っていて、試しに朗読会なるものを試みるも、さらに全然頭に入ってこない。もはや時系列など超越して感じろと言わんばかりの比喩の洪水で、読んでいてい楽しいですが、苦しいという謎の現象が起きています。読み終わるまでは論文等々手を出さずに、初見したいのですが、真意に触れられぬまま1ターン目が終わる可能性が高いです。

ちなみに全15巻。1セメスターで手に負える量だろうか…。

 

ドイツ語圏の子達に聞く話では義務教育中にラテン語を勉強するそうで、その中でギリシャ神話を扱うようです。確かにOvidiusのmetamorphosesはヘクサメトロスで書かれているのでラテン語で読めたら翻訳とは印象が違うだろうと思います。ですが私にはラテン語は読めませんので…。もう5カ国語目に手を出す気力はありませんので、生涯読めるようになることはないでしょう…悲しいかな。

私の勝手な解釈では彼らがラテン語に精を出していた頃、私はきっと古文漢文に勤しんでいたのでしょう。何か私も代わりのことに勤しんでいたと信じたい。笑

 

でも来週から1週間はWoyzeckに取り組みます。

Woyzeckご覧になったことありますか?

(やっと本題)

 

私はここウィーンで3回ほどWoyzeckを観劇しました。オペラバージョンもシアタープレイもありましたが、最初の2回までの正直な感想は「Woyzeckが何故未だにこんなに上演されるのかわかんないわ。だいたいWoyzeckには魅力的な人間像がないのだよ…」と一人首をかしげていました。むしろ最初のアメリカ軍隊に設定を変えたバージョンに関しては、感想は一言、えっ何これ、ひっひどい…でした。

 

でも3回目にしてやっと、やっと「あ〜Woyzeckは最初のモダニズムテキストだったんだ!」と思えるものに出会いました。ヨハン・シモンズとドラマトゥルグのコーエンの仕事はワンダフル!初めてちゃんと理解に至りました。そもそも、過去2回のWoyzeckや一般的な解釈も含めて嫉妬が引き起こした悲劇みたいな描かれ方が今まで「なんだこれ」ってなっていた原因でした。Marieの人物としての描かれ方が、ちょっと頭足りなすぎる女の人みたいで、そもそもその構図が全然理解できなかったし、Woyzeckのダメ男みたいな描かれ方にも距離を感じていました。あと子供が悲劇の産物みたいなラストに結びつけてるドラマトゥルグも多くて、それこそ、いやいやいや…って。

 

ですが!やっと!オススメしたいWoyzeckに出会いました。

youtu.be


4月にプレミアをアカデミーシアターで迎えたWoyzeckです。シアターピース。

正直に言えば、舞台美術に関しては少々疑問があります。そのエレメント必要かな?とか、そもそもその素材どうなんだろうか?とか、、とか。でも演出チームのコンセプト「サーカス」と参照にしたアーティストの情景を超ダイレクトに使っているので、理解は簡単です。個人的には舞台だけちょっとトランスレーション足りないかなってぐらいです。構成要素欲張りすぎたといいますか。でも演出とテキストに関してはとても面白いです。嫉妬に狂った男女の物語ではありません。削り落としきったテキストなので、もしかしたらベーシックなWoyzeckを知らないと内容を掴みきれないかもしれません。そもそもこの演出チームでのWoyzeckはこれが3作目。過去2回では取り扱わなかった角度からのアプローチなので、その分イントロが少ないです。ですが、その上でのこの解釈や演出は、非常に興味深いです。そして海外で生活する身のガイコクジン’Fremd’である人には少し身近に感じる演出でもあります。

 

Woyzeckはただ気の狂った男なのか。

サーカスが街から街へ巡業するように、軍人であり社会の最下位層にあった彼は、社会という枠の外をグルグルと回る’Fremd’に追いやられ、また社会は否応無しにそういうフェイクを生み出していく。劇中、またこのトレーラーでも切り取られているシーンですが、それはimmer zu, immer zu...

現代社会や人間というものを切り取ったと言えばさっぱりとした要約ですが、あえてそれをそういう上辺でない設定で見せているのが今回の面白いところだと思います。内容を書ききれば、少し興ざめかもしれないので、一つ言うなれば

Fraßen ab das grüne, grüne Gras....