2年目クライシス。

実は最近ドイツ文化アレルギーを発症していました。

 

業に入れば業に従え。

そう思って、ここで生きてきました。

 

ドイツ語を笑われても、笑われてしかるべき語学力だから、気にしない。笑われても指摘された方がいい。それを成長に繋げよう。何か言葉で意思疎通が取れない時に、いつも最初は私の語学能力のせいにされるけど、それが嫌なら勉強しよう。文化が違うんだから、スルーすることも大事だ。何よりみんなが、こんな私に優しくしてくれるんだ、私は恵まれている。日本人としてしか扱われなくても仕方ない、それを超えるものを作ろう。

 

そうやって、起こるすべての、小さなトゲは自分の努力で抜くことができると信じてきました。それと同時に、いつも小さな我慢をしていたのも事実です。自分が全て悪いんだと納得させることで、毎日笑顔で過ごしてきました。

 

 

実はヴェネツィアではそれが爆発しました。

きっかけは些細なことです。

 

 

国別パビリオンの建築から自分の展覧会を仮想してプレゼンするという夏休みの課題が出されました。(ちなみに主任教授不在)

その時に「kikiは日本人だから日本のパビリオンね」と割り当てられて、その日本人だからの一言に気持ちが決壊してしまいました。

沢山いるドイツ人やオーストリア人がくじ引きで国を割り当てられているのを見ていて、私もくじを引きたいと言ったら却下されて、他の外国人学生も自分の国を担当するんだから、これはフェアだと突き放されました。なぜあなたがこんなにリアクションするのか理解できないとも言われました。別に日本のものを作れと言っているわけではない、建築を割り当てるだけだと言われたのですが、じゃあ尚更、他のドイツ人たちもドイツ館やればいいじゃない!と言ったら、それじゃあつまらないじゃない、と返されました。私は正直に制作においては「日本人」ではなくて一個人として扱ってほしいと訴えたのですが、違う先生に「君が日本人であることは一生ついていくる。人生はフェアじゃない」とも言われました。

 

この先生二人には私が拒否反応を示した「君は日本人=だから日本」の機械的マッチングが嫌だということが伝わりませんでした。

差別意識など一ミリもないことは百も承知です。別にこれが日常生活の一コマであれば私だってギャーギャーいうことはありません。いくらでも寿司だろうが地震だろうが聞いてくれていい。でも制作者として、安易にそう繋げるのはナンセンスだとは思いませんか?あなたはドイツ人の作家がドイツ文化を根底に制作していると思っていないのに、どうして?

 

 

どうして他の国から来た子には文化的背景を押し付けないのに、私には日本のあれこれを押し付けてくるのか!あ〜もう!と言うフラストレーションを2年間感じまくっていたので、爆発。私だけが日本というバックグラウンドを半強制的に「良かれと」押し付けられます。彼らが日本の文化に興味があるのを全てポジティブにとらえろと言われても、多様性というのはそういうことじゃないと思う。

 

まぁ、この先生二人からすれば私はただのいち生徒に過ぎないので、課題はただの練習だし、私の個人的なことなど知る由もありませんから、いつまでたっても伝わることはないだろうと思います。現に普段生活をともにしているクラスメイトたちは一瞬で「あぁ、またこの状況。あぁkiki‥」と察してくれました。相手にとって日本人以外で無くなるには、その人に私自身を知ってもらう必要があります。

 

とはいえ、そのことに対して、みんなの反応が「そんな気持ちを君が我慢しているなんて知らなかった。話し合おう」となって。心の底から私は「あ〜もういいです‥」と。感情っていうのはなんでも議論で解決するわけじゃないんだよ。傷ついたことを理詰めで覆うのは、人間として寂しすぎるとは思いませんか?という絶望感で、日本に住む友人に、目の前にあるパスタを横目に一人で泣きながら電話したのは私のヴェネツィアでのトップシークレットです。

 

私だって別に初めての海外生活じゃないのでわかっています。

話し合い、主張すれば、賛同を得なくても一個人として尊重されるということを。そういう個人主義な場所だとわかっています。

 

でも時々、その人間関係を強烈にドライに感じることがあります。

無い物ねだりです。パラダイスではない。

 

ただなんというか。もがけばもがくほど、例えば制作において母語のプロセスを排除すれば、日本とは切り離されるのだろうかというアホな考えが浮かんでは消えます。そうやってカメレオンのように環境に合わせて作ったものが、私の作るものなのか?そんなの否に決まっています。

 

そして例え何をどうしようと、相手にそのフィルターがある以上は、例えばゴリゴリの西洋テーマであろうと、無理やり日本をちらつかされるのでしょう。

 

私はどうしたらフラットな一人の人間として扱われるのだろうか。

それは到底無理な相談なのだろうか。

と言うか、そんなこと気にしているの私くらいだろうけど。

 

でも一つ言えることは外国人同士ではそのハレーションは少ないということ。

同じ苦労をしているからかもしれませんが、外国人留学生同士で語学力やここのバックグラウンドを持ち出すことはありません。そんなことでアイデンティティを語りきれないというのは自分が身をもって知っているからかも知れません。

 

インターナショナルな環境とは、互いの最大限の配慮をもって初めて生まれる。

そういう意味ではカナダのあの多様性は素晴らしいなぁと今でも思います。

 

2日目に爆発してからは、どうにも塞ぎこんでしまい、とうとう最終日には一人で墓地の島へ行き墓地を眺めて涙を枯らす作戦に。

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こちらが私の号泣スポット。笑

墓地って泣いていても誰も話しかけてこないから。それでも苦しくて、自分が情けなくて。結局はレストランでパスタを目の前に泣きながら電話し、日本の友人の温かい言葉に救われたのです。2年目クライシスじゃない?と。

 

そういえば、ウィーンに来る前に言われたんです。

最初の2年は新鮮で。3年目にはその国の嫌なとこばかり目について。4年目にきっかけがあれば帰国したくなる。でもそれをすぎて7年経つと、それでもいいかとなってきて。10年住んでしまうと、環境が構築されて今度は移動が難しくなる。

 

あんなに感謝ばかりしていたのに。今ももちろんしているけれど。

それでも無理やりそう言い聞かせてきた部分に歪みが出たのでしょう。勝手に自分で余裕をなくして爆発してるんじゃあ、いい迷惑でしょうなぁ‥ごめんね先生。

 

そのレストランを出るときに、ウェイターのお兄さんに「大丈夫?美味しかった?」と声をかけられ、どこから来たの?と聞かれました。日本だと知ると、覚えた日本語で「おいしかった?」とまた聞かれ、笑ってしまいました。と同時にこのアジア人、パスポートでも無くしたのか?何事だ?と心配かけて申し訳ない。

気味悪かったでしょう。笑

 

ただ、その一言はとても嬉しかったです。

 

そう、このアレルギー、本当に制作一点においてのみ発生します。

 日常においては気にならないし、嫌なら嫌だと言えるのに。こと制作のコンテクストにおいてのみ私を苦しめる。

 

ただ、なんか。大学はやっぱり学校だから。この中で対峙していてもしょうがないんだろうな。ここではアーティストとしての線引きは良くも悪くもないし、今はただの卵ですから。そう帰りの電車の中で気持ちを整理して、だったら外に出ないといけないと言う気持ちを強くしました。

 

こういう分野に関係のない方には、何を大層なことをと思われると思います。

自分のために書き残します。

自分がそのままなら、周りも変わらない。でも環境は成長すれば変わっていく。

私は絶対に自分の意思に反して他人に着物を着せられるような作家にはならない。

自分で取捨選択し、文脈をある種凌駕する、高いその希望を持ちたいと思います。 

何より、この分野を勉強する身として、こういうことに鈍感にならずに苦しくても自分の体験を持って「外国人」を知れることは今後の財産かもしれません。苦しいけど。

 

大学が休みになり、今は語学クラスで日本人扱いされて疲れていますが。笑

ウィーンに残っている友人とカフェでその愚痴を言ったり、最近読んだ本の話をしたり、そうやって私個人を大切にしてくれる友人がいることに、ただ感謝したいと思います。

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6歳の三女がウィーンにやってきて最高に癒されています。

彼女のお友達の男の子(6歳)が私を見て「掃除の人?ドイツ語喋れるの?」と顔をしかめたのに対して、彼女が堂々と「一緒に住んでるkikiだよ、ドイツ語喋れるよ」と言ってくれたのがとても嬉しかったな。

 

さて、落ち込んでるとあっという間に時間が過ぎてしまいます。笑

ドイツ語ばっかりやってるんじゃないでしょうね〜という教授からの先制メールも届きましたし。ここ半年、失いかけていたポジティブな気持ちを取り戻して、二年目クライシス乗り越えたいと思います。もうあと3ヶ月で3年目に突入です。