口頭試験の勉強が難しい理由がちょっと斜めなんだけど聞いてください。

どんどん時間が流れて、気がつけばもう次のセメスターの予定が大学から送られてきました。3年目、もう、という気持ちと、やっと、という気持ちがシーソーしている。

とりあえず、ドイツ語の試験に受かるという目下の目標を達成して、気持ちよく新しいセメスターに挑みたいところです。最後の追い込み中。

 

ドイツ語の試験はもちろん口頭試験もあります。

試験で話さなければならないテーマは割と決まっていて、最近は大学の友達が練習に付き合ってくれています。が、しかし。このテーマが私たちには曲者で、友達も「たとえ母国語でも何話せばいいかわからないよ」と言っていました。同感です。

 

スポーツとか、結婚とキャリアとか、メディアとか。

普通のことを普通に話せばいいのでしょうが、もう十年ほどテレビのない生活をしているし、そもそも、「普通は」と定義されたメディア、とりわけテレビ番組には興味が湧かないのです。というわけで、たわいもない会話というのがこんなにハードルが高いのか…と嘆いているし、同じ理由で語学学校でのカンバセーションを盛り上げることもできません。申し訳ない。

 

テレビが総じて好きではない理由の最たるものがジェンダーに対する意識の低さと多様性の欠落感、というのもあります。50代、60代のおじさま方が「今の時代には合わないかもしれないけれど、私たちの時は」と前置きすれば、旧時代的な価値観を公共の電波で、「古き良き日本」的に表現できてしまうのが、見ていて「日本ってこういうところマジで戦前だよ」と思ってしまいます。さらに驚くのが、女性が「そういう男性の考え理解できます、だって私気立てのいい女ですから」的に同調しているのがさらに、おっおぉ…となります。すごいな、おいっていうのが私の正直な感想です。

 

大好きな日本ですが、ジェンダーに対する価値観は衝撃的に遅れているので、いますぐなんとかしたほうがいいと心から思うし、超個人的にも私が日本人の男性に恋しづらい(逆も然り。笑)理由の筆頭でもあるので、どうか、お願いします。そして何より、私が日本に帰ると「気の強い人」設定されるのもこのせいだと勝手に思っているので。人に責任を押し付けてる感あるようで、ここまで女性の生き方に差を感じると、切実です。ちなみにLGBTに対する「イロモノにしていい、笑っていい、ネタにしていい」というのも旧石器時代みたいなので、反省してほしいとすら思ってしまう。

 

私の周りには異性が恋愛対象ではない人が沢山いるけれど、どうしてそういう場合にのみ、男が好きなのか、女が好きなのかを聞かれたり言ったりしないといけないんだろうね?異性が好きな人がわざわざ言わないのであれば、それは同等に扱われるべきだし…という話を最近も友達としていました。簡単に言えばゲイだからって「私は男が好き」って言わなければいけない理由も、ズケズケと聞いていい理由もないよねって話です。

 

 

日本の(女性の)皆さん、耐えすぎだよ。

と、時々遠いウィーンの地で、御門違いに労っています。

 

意見を言える女性を「気の強い女性」

自立して生きている人を「結婚できない人」

真面目に新しい価値観を生み出そうとしている人を「意識高い系の変わり者」

 

そしてそのテレビを作っている身内社会の持つヒエラルキーを公然の秘密的に視聴者と共有しているところも、私には深い謎です。テレビを見ている人は不思議と知っているわけですね、誰が偉くて、誰がパワーを持っているのかを。年配の、成功した人を立て、そして若者は忖度している姿を「社会人のあるべき姿」的に表現しているのは、だから実社会でもパワハラがなくならないんじゃないか、とすら思うわけで…。

 

というわけで、私がこういうテーマを与えられると、こういう方向に話がいってしまうのですが、もちろん「ドイツ語試験」の場においては、論点がずれてしまうわけです。

 

語学の勉強難しい。

もう1日も早く、語学学校も、この保守派の回し者みたいなテキストともお別れしたいです。…頑張ります。