代弁って勇気がいるよねっていう話です。

日本のみなさん、未曾有の台風、被災された方も多くやるせない気持ちですが、奮起して前に進んでいただけるよう、寄付くらいしかできませんが遠いウィーンで応援しています。こういう自然災害のニュースを一年に何度も耳にしては両親に連絡をする、の繰り返しですが、何かあっても今すぐには、何もできない場所に自分がいることに度々情けないような、そんな気持ちになります。ウィーンに住んで以来、まだ一度も深刻な自然災害を経験したことはなく、そのくせ自然災害や原発や原爆を我が物顔で議論しているヨーロピアンに若干イラっとするし、自分がその一部になるのは実はもっと辛いのは秘密です。私には「自然災害」ではなく「自然災害の先の人の感情」までが一セットの事象なのですが、それは自分にも経験があるからなのか、はたまた議論の上での私にフラットさが欠けているのか。どちらにせよ、他人事みたいには話せないわけで、でも経験のない人にそんな話しても暖簾に腕押しだということは百も承知。そんなわけで、そういう匂いのする講義はもう取らないことにしました。教授に出席を求められても、苦笑いで、スルー。ウィーンで鍛えられる謎のスルースキル。笑

 

いや、笑い事じゃないんですが。私にクリスマスの重要性が実感できないように、もちろん彼らにも理解できないことはあるわけで、もうそれはお互い様なので仕方がない。理解できないことがあるんだ、と心に留め、互いの状況に対する尊重の念があればもういいのでは、と個人的には思う次第なのです。そんなわけで、なんていうか、その度に日本人代表みたいな意見を求められるのが、超めんどくさいです。私には私の視点があり、割とマイノリティとして日本でも生きてきたので、ここにきて一般論を自分の言葉で語るのはとても難しいです。自分の目で見てきて、プリーズって感じです。

 

これは逆も然りで、海外のことについて、日本で私に一般論を求められても困ります。私の目で見て体験したことは話せるけれど、「普通は」あなたの目で見てきてください、プリーズです。

 

話は少しずれるのですが、夏の間にずっと準備していた友達の卒業制作でパフォーマンスを頼まれていて、先日公式のコミッションでそれを行いました。前にも少し書いた通り、当の本人は自他共に認めるところの、ディレクションの才能はないタイプ、です。自分の作品について、誰かと共有するために、理論的に説明するのが極端に苦手で、というのも、制作プロセスがもはや個人的ファンタジーで終結しているから、理論もプロセスもあるようでないから、なのです。元々テキスタイルデザインを別の大学で数年勉強したのちに、今の大学に入りなおしているので、同じくファッション畑にいた身としては、ある種ファッション的な制作プロセスをとっているな、と言う印象です。

 

夏の間に、それはもう「何がしたいかはわからない、説明できない、でもパフォーマンスにしたい」と言うすごい無茶振りに答えていたわけです。前日の最終リハーサルでは「私の制作のことなど理解しようとしなくていいから、好きなようにやってほしい」と言われて腰を抜かしそうになりました。身も蓋もない!

結果として、現在のところ卒業制作の作品では1位、とてもいい評価が出て、本人は大満足でホッと一安心。毎年、卒業制作の作品はプライズにもかけられていて、1位を取ると日本円で約25万円くらいの賞金が出ます。副産物的なものですが、CVに書ける立派な賞なので、狙っている人は多いです。

 

パフォーマンス後に、それはもういろいろな人に「君はパフォーマーとしての才能があるよ!」とお褒め頂くたびにヒヤヒヤしていました。翌日にはパフォーミングセオリーの教授から詳細に制作プロセスを授業の中で聞かれた時には「もう聞かないで」と言う気持ちでいっぱいに。私はいわば素材の一部で、これは私の作品ではないのですが、正直なところパフォーマンスに関しては本人がそんな感じだったので、ほぼ独断と偏見でやりきってしまいました。それが露呈しては困るのですが、嘘をついたところで簡単にバレるので、シドロモドロに。一貫して「制作者本人の意向を汲んだ結果として」と「パフォーマンス中のことは詳細には覚えていない(8割本音)」という二言でなんかちょっとアーティストぶって乗り切りました。もしかしたら、役者と監督なんてそういう関係性なのかもしれませんが、経験のない私にはさっぱりです。

もちろん、自分のパフォーマンスについて、公式な批評を聞く機会があったことはいい勉強になりました。振り回されたけど、私を信じてくれた制作者にも感謝しています。ただ発表後に色々な方から、いわば新しいオファーを暗に打診されて、それは受けられないなぁというのが正直なところです。…シンプルに身体が持たないし。

 

つまりは、制作においても、日常においても、人のことを代弁することは、まだ私には難しいのだと思います。自分の中から出たことにしか責任が持てない。

 

日本人的一般論を代弁するのも難しい。

留学生的なる一般論を代弁するのも難しい。

人の作品を「表現する」一部になる、いわば役者など一ミリも向いていない。

 

需要があっても、供給できないことってある。もしくは、もう少し何かの一部になることや、一般論を代弁する上での個人的フィルターに、私自身が自分自身に寛容になることが必要なのかもしれません。

 

あなたはもう少し全体の中で傲慢になるべきだ。個人の作品ではそこまでいききれるのだから、そのままでいい。ある批評家の先生にそう言われたのですが、なかなか勇気が出ないというのが今の私だろうと思います。はたまた、やりたいことと、得意なことって案外一致しないよねっていう典型的な一例かもしれません。笑

 

まぁ、好きこそ物の上手なれを信じているタイプなので、それでもいいかなぁと。

とりあえずは、この一件が終わりホッとしてまんまと体調を崩しているので、療養してまた頑張ろうと思います!というベットからの独り言でした。