たくさん勉強して、たくさん働いて。

母が日本に帰ってしまった。

 

6日間まるまると二人で過ごしたので、そりゃあ母の行きたいところへの案内業務は中々忍耐のいるもので、時々(まぁまぁ、うんと‥割と)イライラっともした。それなのに、空港へ見送りに行って、出発ゲートをくぐった母を見て不思議と涙が出てきて驚いた。母は明るい顔で、また来るね〜と手を振っていたのに。

 

ホルモンバランスでも悪いのだろうか、ということにしたいけれど

なんだか無性に寂しくなってしまった。

 

母はまるで小さな少女のようにあたりをキョロキョロし、指をさしてあれ!あれ!と忙しそうだった。誰かに話しかけられても、話しかけられていることすら理解していない様子でガン無視をして私を驚かせたり、常に私の一歩後ろを歩く彼女は想像以上に年をとったなぁと思った。最終日にたまらなくなって、隣を歩いて欲しいとお願いした。

 

それなのに、私を「これが美味しそうだから」と理由をつけては普段できないであろう外食に連れ出してたくさんご馳走してくれた。お金を置いていくという母を説き伏せるのに3日かかり、持ってきたスーツケースのうち大きい1つは全て私へのお土産だった。母は昔から私の好みを理解できない人で、いつも自分が最高に美味しいと思ったものを私へ渡してくるので、そのスーツケースの大半は私の好物などではないのだけれど、すごく嬉しかった。それと同時に、次来る時までにはちゃんと経済的に余裕を持っていたいと心の底から思った。あと何年働けるのか、ボーナスもでない仕事をしている母からご馳走になるような年齢ではないのに。そんな気持ちが渦巻いて、でも現実には大学の合間にアルバイトをしている私は、本当に自分勝手な人生を歩んでいて、とことん頭が悪いんじゃないかと落ち込んで昨日は朝まで眠れなかった。

 

お金があることが豊かであることではないと、誰よりも知っているのは母だけれど。

私は、言葉もわからない、興味もないような国へ長い飛行機に乗って娘に会いにくる、それにどうしても何か形になるもので返したいと思ってしまったのだと思う。

 

滞在の間、街中で小さい子供を見ては、私の小さい頃の話をする母に耳を傾けながら、もしかしたら自分の後ろをついてきていた、幼かった私が恋しいのだろうかと思った。きっと恋しいのだろう。自分の知る世界の中で幸せそうにしていた娘が恋しい。

 

この3年間で、誰かと喧嘩することも、イライラとした顔を見せることもほとんどなかった。でも母は私のそういう全部をずるりと簡単に引き出してしまう。帰り道に一人で泣いても、また顔を合わせれば、私は可愛くない娘になってしまうのだと思う。でもそういう関係性が許されるのがもしかしたら親子なのかもしれない。私は自分が母親になれる未来には期待していないので、そのことを実感できる日はこないのかもしれないけれど。自分の子供にそういう関係を与えられる母親や父親という人の人生における特別感を、今子供を持つ友人たちは経験するのだと思うと羨ましいなぁとも思う。時間は平等に流れているのだ。

 

家にいても落ち込むだけなので、アトリエに行こう。

ドイツ語と英語もちゃんとサボらずに勉強しよう。

私の人生に目標なんてないけれど、生きている限りは親孝行だけは目標にしよう。

 

たくさん勉強して、たくさん働いて、親孝行。

泣いてもお金は降ってこないし、卒業もできないから。笑

 

 

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滞在中一度も雨に降られなかった母は、中々の晴れ女だった。