イーラーニングの方が忙しい。

3週間の自主自宅隔離を経て、両親が仕事に復帰しました。いつだって危険と隣り合わせなことに変わりはないので、気をつけていただきたい。気をつけよう、お互いと言う感じで私の昼夜逆転生活も矯正期間へと移行しました。日本の朝に合わせて毎日、体調確認の連絡をしていたら夜型生活になってしまいました。授業は10時から毎日あるので体がしんどい。というわけで朝型に修正したい。ひとまず一難去った。と思いたいが日本のニュースを見ると日々げんなりします。リアルタイムで見ている日本在住者のストレスが偲ばれます。

 

さて、そんな最中。規制緩和の予定がどんどん立つオーストリア。しかしながら、当初からアナウンスされていたように大学の再開はまだはっきりとしません。目下の課題は今セメスターの卒業予定者の卒業制作のコミッションについて。それに異論はないのです。個々に5月から卒業制作過程中の学生だけはアトリエに戻す方向で検討中とアナウンスがあり安心すらしています。というわけで、なんとなく手が回らない我々通常セメスターにいる学生のアトリエ制作再開は夏以降な様相です。致し方ないけれど、正直結構限界です。

 

この1ヶ月遠隔授業を受けてすでに思ったのです。

 

 

それはイーラーニングの方が忙しいんですけど!問題

 

これは私に限らず、オーストリアの義務教育過程の彼らも軒並みイーラーニング中なのですがそれはもう宿題に追われております。子供が遊ぶ姿を週末の公園でしか目につかないのはそのせいだろうと思われます。いや、もちろんいるんですけど。日本で報道されているような(どこまで実態通りかは不明ですが)公園に子供が密集!みたいなことは、少なくとも私の近所では起きていません。でも私も宿題に追われている同じ立場なので、私も外に行く時間がないというのもありますかね。笑

 

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コロナ後がやってくるのか。

昨日から段階的な規制緩和の一つとして400平方メートル以下の店舗の営業再開や公共交通機関でのマスク着用義務化などがスタート。街に音が戻ってきました。

日本でオーストリアそんなに早く緩和して大丈夫か?と報道されたようですが、住んでいる身としては「普通に戻った」のではなく「コロナ(保菌者)がいる前提の生活が始まった」と言う感じです。店舗を今までと同じように営業するわけでも、電車にたくさん人が乗っているわけでもなく、ソーシャルディスタンスは楽観的に考えてもワクチンが運用されるまでの社会のあり方として受け入れるしかない。そういう生活です。外出自粛は4月末まで継続中です。

 

こちらの政府の対応を見ている限りは、科学的な数字に則り、感染症対策として冷静さを感じるので、何か爆発する前に事前に予測を立てて必要があれば締めるつもりだろうと思います。保菌者であるかもしれないと言う前提での生活を頑張る、という感じです。

 

発熱して自宅隔離中の父は、主治医の先生が出してくださった(防護服を着て外来後に診察してくださいました)解熱剤が効いており安定しています。持病があり、高齢なので、熱で体力を奪われるのを避けなければなりません。生活を共にしている母とは部屋をわけ、彼が使用した後は常にアルコール消毒という生活。検査を受けていないのでコロナかどうかは不明です。

 

3日ほど前に熱が下がっているからか、コロナじゃなかったかもしれない、仕事に戻れる〜という楽観的な両親と電話越しで大げんか。対策をしていない職場に戻るリスクと、対策をせずに学生を受け入れている無責任さを会社の上層部のせいだ、対策は上が考えるという発想に私がキレました。手洗いうがいは対策と言えるのか…楽観的過ぎないかい…親と喧嘩なんて何年振だろうか…。彼らの仕事に口を出すことなどナンセンスだと理解しているが、緊急事態なのでタガが外れてしまった。友人や知人にはこんなことは言えないかもしれない、でも親は諦められないと言いました。

 

管理職の人は管理はするけれど、基本的にアイディアは出さない(時間がない)。私の会社員時代のモットーです。平社員がすることは、具体的な計画と提案と数字を報告し、管理職の人が上に報告しやすく働きかけやすいものを作ること。管理職の人はそこへのし上がったコミュニケーション能力で上と政治をしてくれる。政治に力を注いでくれるその時間に、現場の私は地に足のついたことを考える。私のいた会社の管理職の方たちは軒並み若く、話も分かり、頭の切れる人ばかりだったのでとても働きやすかった。それでも決定が出るまでに時間がかかるのが組織。今話して、じゃあ明日からとはならないのも組織。

 

両親の直属の上司も話を聞く限り、判断力のある人だ。ということは、それに甘えて受け身でいるのは違う、提案できるじゃないか!現場の状態を報告する義務がある!学生が安心して食事をとるための最善策を考える責任がある。学生一人ひとりの意識など関係ない、システムの問題だという話をしました。自宅隔離中に提案して(そもそも今代理で働いている人のことを考えるとすでに遅い)、職場に復帰する時にはそれが反映されていなければならない。そもそも、自分が今現在感染者かもわからず、今後も保菌者である可能性は無くならないわけで、「元には戻れない」ということを理解してもらうのに想像以上のカロリーを消化しました。疲れた。

 

一人ひとりの人生感にどこまで寄り添えるか。これは科学とどう共存するかと同意だと思うので、とてもデリケートな問題ではあります。そこを捩伏せる形で敢行されているのがロックダウン。自分はリスクがあってもいいから金を稼ぎたい、稼がなければならない。そこにモラルをどう問うのか。コロナ後がいつやってくるかはわかりませんが、少なくとも年単位での長期化が見込まれる中で今後の議論のテーマにもなりそうな話です。「わたし」と「わたしたち」の摩擦をどれだけ軽減できるのか。すでにある経済格差という溝を考えると多くの「わたしたち」が見逃される恐怖もあります。

 

意見は言うが切れることの少ない娘にブチ切れられた両親は、今週、会社へ提案書を提出しました。日本の状況を耳聞きするに、長期化の中でお互いにどう安全に生活するかを考えなければならないような気がするからです。一番は感染しない、医療に負担をかけない。医療を提供してくれているのも人であり、その人にも家族と未来があるのだということを忘れてはいけない。絶対に。私はそう思って生活する。

 

私はというと、父の容体が安定していて、少し眠れるようになりました。今自分ができることは限りなく少なく、役に立たないことのような気がして大学の課題も授業も右から左でした。だけど、私は私の範囲で出来ることをしないといけない。しばらく飲んでいなかったコーヒーを久しぶりに入れて、今日はここを開きました。

 

普通って何でしょうか。

少なくとも、街に戻ってきた音を聞いて、考えることは続けようと思います。

「上から指示がない」という理由で命を落とさないでください。

東京に住む父が発熱。私の両親は住み込みで学生寮の管理人として雇われている。住居こそ学生寮から徒歩10分ほどのところにあるが、朝、晩とハイリスクの彼らが元気な学生に「雇われているから」食事を提供し、共有部を除菌していた。共有部は勿論三密である。食事の時間以外は来ないように母がいくら話しても、学生達は聞く耳を持たない。「もし感染したらホテルに行くから大丈夫ですよ〜ホテルの方が広いし〜」と返答してくる。頭が痛い、頭が悪すぎて、頭がいたい。

二重構造の会社組織で運営とクライアントが分かれており、現場からの吸い上げがなく、気遣いもない。ここまで聞くだけで、私が「今すぐ仕事をやめてもいい」と毎日口うるさく、色々な理由をつけては電話しなければならなかった理由を、欧米圏の方ならお察し頂けると思う。

 

安倍総理の会見を見た、私の感想は一言「あぁ、もう国に頼ってはいけない」だ。

そんなの薄々とうの昔に気がついていたけれど、どこかで期待していた自分がいたことに驚いた。無政府主義者じゃないので、当然なのだが。

 

というわけで、ここを読んでくださっている方で日本在住の方には心からお伝えしたい。「上から指示がない」という理由で命を落とさないでください。私は両親からこの言い訳を嫌という程聞かされ、この後に及んでまだ言う母に「じゃあ明日の便で帰る!私が話す!あなたも感染してるかもしれない、感染してなくても明日するかもしれない。なんでそれがわからないのか。私は医者じゃない、治療はできないけど、自分の身を守るために意見を言うことはできる」と。

 

父はまだ病院にすら行けていない。コロナかどうかをこの際横に置いたとしても、彼は数年前に癌でステージ4までいき、生死を彷徨い、体に穴が開いており、高血圧で、めちゃくちゃたくさん薬を処方されている。高熱の場合は通常すぐに主治医にかからなければならない。いつもは熱が出れば、すぐに大学病院へ直行だ。

 

だが、今日は大学病院に主治医の先生がいない日で、病院から診察を断られた。

保健所は、医師の診断がないとコロナのテストはできないと言っている。電話口の人が悪いわけでは勿論ないが、合理性のかけらもない仕組みで意味がわからない。医療機関の人たちのリスクを無駄にあげているだけなのではないだろうか。

 

さらに驚いたのが、両親が自宅待機になった代わりに、会社から別の人間が同じ寮に派遣され、食事を作っているという。もし私の両親のうちどちらか一人でも陽性だったら、その人たちが働いている場所は除染もされていない非常に危険な場所で、事情を知らない学生もそこへやってきて、口を開けて食事をしているわけです。

意味がわからない。

 

ただの発熱である可能性は勿論ある。もちろあるけれど、その希望を抱くことによるリスクはでかい。予測と期待は切り離して考えるべきだ。そんなの大人なら誰でもわかる。何も難しい話はないのに。お金分のご飯を命がけで作れというのであれば、もう部屋のドアに弁当形式で配達すればいいじゃないか。国が色々グズグズしているせいで、再開されるかもわからない大学入学のために、とりあえず引っ越しだけしにくる親子が死ぬほどいるのだ。100人未満の小さい学生寮じゃないので、そんな親子が1泊2日で50組、どこから来たのか、2週間前にどこにいたのかわからずふらふらと出入りしている状況を想像してほしい。毎日母から聞かされる日常に、絶望感しかなかった。

 

私は3月のウィーンのロックダウン前に帰国し、両親を説得しなければいけなかった。

国が、会社が、最低限の対応をするだろうと少しでも期待し、最悪の事態を予測できなかったことを後悔している。そしてなんども帰国便とにらめっこしてしまう。でも母の抵抗も半端ではない。きちんと対応してくれている国に住んでいる、ある意味安全な娘が帰ってくるのを断固阻止したい構えだ。そして彼女の言い分「きたって役には立たない」は的を得ている。

 

当たり前だが一睡もできなかった。そして今も、何かしながら日本の朝を待っている。病院に行けなくても(むしろ病院の外でやってほしい)、とにかく検査をして、予測を立てさせてほしい。検査の性能が低かろうが、やらないよりましである。

 

もう一度。上司や会社や国はもうあなたの命のことに真剣ではないと思った方がいい。日本の対応は理論性に欠けていて、「日本は清潔」という神話のもとに成り立っており、誰かの命令に従うしかないというのは戦地に送られる兵士と同じ。私たちは歴史の過ちから何を学んだのか。誰かが経済を回さなければならないなどど公で口にしている資本主義の亡霊に騙されないでほしい。戦後の焼け野原や震災から、日本経済は立ち直ってきたのに、死んだ人は帰ってこなかった。

 

事実を見つめてほしい。

今日は言葉を選ぶ余裕がないことをお詫びします。

家ごもり4週目の散文。ウィーンは春です。

日々情報がアップデートされていて、ちょっとしたインテリジェンス疲れを起こしています。もう情報リテラシーを日本の道徳の授業でやってほしい。日本が国家規模で貧弱なインテリジェンス状態だということは知っていますが、これはもはや現代を生き抜く必須スキル。善悪を簡単にひっくり返してしまう威力があるので、切実。

 

大学の閉鎖は6月末まで、つまりはこのセメスター中もう再開はないようです。政府はバシッとそんな指示を発信したのですが、まだ大学から「じゃあ色々どうなっちゃうの?」という報告が今日、明日にも学長から発信されるのを待っています。

 

大学が着手していた各スタジオのプラットフォームが完成して、安全にデータの共有とやりとりが可能になりました。大学側は今回のことをその場しのぎにせず、ケースステディとして、必要な整備に力とお金を注いでる感じをひしひしと受けます。冬にワクチンが間に合ったとしても、再流行は可能性としてありますからね…。

 

 

ウィーンはすっかり春模様です。

先週の土曜日から公園や運動場が解禁、そしてレストランからのテイクアウトが条件つきで再開になりました。通常に戻ったわけではないのですが、街に人の姿があるのは安心します。外出自粛は4月末まで延長。今が大事な時期!とのことなので、浮かれて出歩かないようにもう少しの辛抱です。先の見通しを希望的観測が含まれているにしろ発信してくれるとだいぶ前向きになれます。

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片思いしてる場合じゃないんだよ。

大学から毎日様々な理由でメールが届くのですが、最新のニュースは何と言っても5月31日までの閉鎖延長…。そうか…もはや夏休みかな?ほぼ3ヶ月の自宅学習。このまま予定通り夏休みもあったら半年…

 

家に居るからってゴロゴロしている場合じゃない!うどん打ってる場合じゃない!長引いたことを想定して新しい仕事を何かしら考えつつ(生活しないといけない)大学の奨学金にも応募して、何より課題を!制作を!通常サイクルに戻すぞ!もはやバイトがないんだから今こそ!とそのメールを読んで不思議なやる気がみなぎり始めました。なぜなら体調がだいぶ改善したので。健康って本当に大事…。

 

 

そして、数年ぶりにFacebookを活用し始めました。もはや閲覧専用、見てる人も少ないであろうメディアですが文章発信やシェアには適しているので。日本のニュースを断片的に見聞きしていて、両親から聞く生活を鑑みるに、どうもいつも論点がずれてるんじゃないか…大丈夫かよ…と言う気持ちが積もり積もった自宅待機な3週目に突入した私は、今更誰にどう思われてもいいや!と言う気持ちで投稿をスタート。目下の目的は一次情報をシェアすること。

 

というのも、びっくりするくらい周りの人たちが二次情報しか読んでいないから。ヤフーニュースはもはやニュースとしてのクオリティに大いなる疑問があるということを知っていただきたいし、英語で他の国の状況を読めないにしても、日本語で一次情報をまずは読むべきでは…?危険だ!危ない!命を助けろ!自粛しろ!って感情論に訴えている日本語のSNSを多く目にして、思ったのです。

もちろん、各国の状況を読むに日本は早急に医療崩壊しないように対策を科学的根拠に基づいてするべきだろうし、なんかもう手遅れなんじゃないかって不安しかない。でも補償もない自粛を受け入れられる人とそうじゃない人がこんなに明らかなら、それは国が主導でやるしかない。マスク配布とか笑ってる場合じゃないし、検査してない理由を調べてるほどのんきな事態じゃない。力いれるとこそこ?

 

コロナはインフルの一種だから社会に受け入れられれば別に怖くない…うん、今の問題点そこじゃなくない?

 

家から出ないで!飲みに行かないで!…うん、でも飲食店の人たち全然補償受けられてないんだよ、まず自粛するなら補償を得るために声をあげないと日本の政府は随分のんびりしている…もしかしたらこのままスルー…待っているだけじゃダメかもしれない。

 

 検査数が少ないのは医療崩壊を避けるため…うん、でも検査数が少ない状況でいつ終息宣言が出せるのか疑問はないのだろうか?検査と医療崩壊は切り離して対応できるよね…1月から騒いでるんだから対策打ってるんだよね…打ってないんかい!と専門家会議の記者会見を見て驚いてみたり。ちなみにきちんとまともな話をしてらっしゃいました。ブレーンいるんじゃないか、何してるんだ政府という気持ちでいっぱいになりました。気になる方はYOUTUBEにフルで上がっているので見てみてください。ワイドショーやネットニュースの編集されたものではなくて。

  

感想文文化、ワイドショー文化、本当に根が深い。そしてとても難しい。

私が何かだらだら書いたところで「あ〜海外かぶれが偉そうに」って思う友人が一定数いるであろうこと(それが友達なのかはまた別の話だけど)はわかっているので、私が書くと3割り増しぐらいで批判色強くなるから、日本で何かあっても今までそれをSNSに投稿したりはしてこなかったのですが…今回はこんな話ししてて、気づいたら持病持ちの両親が感染とかシャレにならん!こんな花見してて感染した人の治療しなきゃいけない医療関係者の負担…と思い嫌われるの覚悟で、うざい投稿をしています。

 

なんでもいいの、私の立場なんてという気持ちになったのは、首相や知事の記者会見に呆れすぎて「もう将来日本には帰れないかもしれない…だっておそらく私の卒業後のフィールドは文化セクター、文化になんの関心もない国で何ができるのか…Oh NO」というのが理由です。こんなに郷愁に駆られているのに!永遠の片思いかよ!

 

ただ、私のFacebookの投稿、コメントいらないですと断ったにもかかわらず意見を書いてくれた強者たちが数人いました。そうだよね、私はここにいくらでも今の状況を話し合える友人知人がいるけれど、口に出せないでしんどいんだよね、ととても悲しい気持ちになりました。精神衛生上、よろしくないよ…不安な気持ちを抱えて無理して生活している人が沢山いるだろうな。でもそういう気持ちにつけ込んで自己責任で片付けられちゃ、たまったもんじゃない。別に国がバラまいたわけじゃないけど、自然災害の有事が多い国がこんなにノラリくらいで、ましてや恐怖感から我慢比べなんてまるで「ホシガリマセンカツマデハ」と同じ精神じゃないか…そんなのコロナが落ち着いても気が気じゃない…。

 

というわけで、勉強の合間に情報をシェア、私も署名、という毎日です。

ウィーンの状況を追うより、日本が気になって仕方がない。やっぱり片思い、と例え話にでもしとかないとあと2ヶ月は持ちません。

オンライン学習。

大学から4月30日まで閉鎖期間を延長する連絡が届きました。昨日、学長と各スタジオ代表との全体のミーティングがZoomで行われたようです。その議事録が送られてきて、現在の大学の取り組みがオープンになりました。概要は以下の通り。もし日本の閉鎖されている芸大生の参考資料になればと思いざっくりと共有します。

 

  • 数日以内に今セメスターの評価基準についてのガイドライン提示。例えば卒業制作(Diplom)のタームにいる学生への対応。デジタル試験の導入方法など。その場合には事前にすべてのプロセスが明確化されており透明であることが必要である。
  • 匿名のアンケートが教員、学生向けに配布される。デジタル、遠隔学習についての問題点や弱点についての聴取のため。
  • 閉鎖されているアトリエへの入館許可証明書(1回限り)を特定の人物(学生以外)に学長が発行することができる。ただし、すぐに見つけることができるものをピックアップする、コピーする、スキャンするなどの理由に限る。
  • 他のスタジオでゲストとして授業をとる学生の中で、オンライン受講について何か障害が起きていないかどうか調査。
  • 現在共有ドライブを用意している。全学生が利用でき、十分な容量を持ち、データー保護法に適切であり、学生と教師の交流の場として機能し、アイディアの交換が続けられ、今回の危機を乗り越えた後も必要なものとなり得る。
  • スタジオのオンラインプラットフォームの構築。これは今回を機に長期的に使用できるものを検討している。

 

そして、加えて現在 Erasmus制度でEU圏外に滞在しているクラスメートたちと連絡を取った様子が共有されました。卒業制作タームの学生とも頻繁にカンファレンスが開かれているようです。卒業制作をオンラインで評価するのは、想像するに限りなく無理に近いでしょう。かといって先のプロジェクトを抱える学生もいるので一律延期というのもまた難しいだろうと想像できます。ただ一律対応、強行というのは今の所見受けられないので、個別に解決されていくことを期待して見守るしかありません。新しい学長に変わってまだ数ヶ月での、この危機的状況にどういう対応がされるのか実はすごく不安でした。以前学長を勤めていた方は非常に柔軟だっただけに(だからこそ8年の任期で満了したのだと思います)。ただ組織として、明確にアップデートを重ねている印象を受けます。

私やEU圏外の学生にも滞在許可絡みで、今後どんな問題が予想されるのかの聞き取り調査がすでに行われました。

 

また、学生向けに経済支援のリンクも送られてきました。

早急に家賃の支払いなどが滞る等、緊急的な状況に対しての限定支援で、未来的なリスクのための支援とは違いますが、大学から35000ユーロの予算で開始されました。仕組みが詳しくわからないのですが、国から各国立大学へ割り当てられたのか、大学側が国からの支援を見込んで先にスタートしたのか…どちらにしても緊急事態である人にとってはとても有益な支援です。おそらくオーストリアの他の大学でも始まっている可能性があるので、必要な場合は調べてみて下さい。うちの大学はÖHオフィスで舵取りしている様子です。

 

というわけで、友人たちの間では少なくとも5月まではこの状況が続くのではないかという意見で一致しています。もはやこうなった以上は、あれがない、これができないとは言わずに「だからこれをしよう」に切り替えていこうという空気です。

 

今日も午前中に3時間の講義をZoomで受けました。金曜日に別の先生とのミーティングが1時間組まれています。来週には主任教授との個別ミーティングと講義も予定されています。ひとまずはセオリーの授業が順次試験的に再開されている状況ですが、概ね順調です。

 

一ついうなれば、集中しずらいってことぐらいでしょうか。通勤通学についての議論も巻き起こりそうな、このオンライン学習。私はむしろ、場を移動すること、共有することのメリットしか感じません、今の所…。

 

家にずっとこもっていると1日が短いのがとても不思議です。

 

PS.体調不良話ばかりで申し訳なかったなぁと思っています。今は回復して机に向かえるようになりました。体調管理もしっかり頑張ります!皆さんもお気をつけください!

 

制限されたと思うか、自制しようと思うかの2週間。

だいぶ元気になってきた、というか、このまま寝込んでいると体力の低下が著しくて勝てるものにも勝てない気がするので、鼓舞してちゃんと生活を立て直したい気持ちで机に向かい始めました。かれこれもうこんな生活10日以上。やっぱり長い間座っていたり、家の中をウロウロするとちょっと背中が痛くなってきて、咳が深いところでもやもや、ズドンって感じで鈍い痛みが走り始めて止まらなくなる。

頭痛とめまいも相まって、つい甘えてベットに横になりたくなる。ただ、起き上がれるし、ちょっと会話したり、お風呂に入ったりできる。熱が出るのは夜間。なんだかずーっとだるいというか、怠けている感じなのです。でも日々のニュースを見ていると、自分は大したことない、そういう気持ちしかない。そもそも、ただの体調不良かもしれない。今がコロナパニックじゃなければ、ホームドクターに寄って、咳止めでももらいたいな〜ぐらいな感じかもしれない。呼吸が苦しい感じ、は初めてなので病院には行こう、みたいなね。

 

感染しているかどうかはこの際、していると仮定して、家ごもりをしている私を心配した友人が今日家のドアの前にプレゼントを置いていった。涙が出るほど嬉しい。今日は彼女の手作りスープを食べるのです。元気になったら私も宅配する。

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さて、そんな私の体調話はさておき。首都圏でも週末の外出自粛要請が出された日本。

首相の会見を見て、あぁなんでこの人が母国の代表…という気持ちになるのもお約束なのですが、今までの信用のなさからか、お粗末な経済支援案に呆れたのか、まぁそもそも政治意識の低い若い世代には彼の言葉は届いていない様子です。韓国の友人と話した時も、韓国も当初は統制が取れずにそんな感じだった、と。私たちは今ウィーンにいて、自分たちを含めて結構ちゃんとコントロールできていると感じている、母国に比べると。それでも日々の中で救急車のサイレンは響くようになった。街が静かだからか、実際に増えているのか。

 

体調不良により離脱気味だが、大学は着々と遠隔での授業と環境づくりをスタートしている。先週から講義形式の授業がZoomで再開されている。大学から必要なソフトの共有アカウントなどが配布されたので、学生は講義の時間にZoomにオンラインすればいい。オンライン図書館のリンクやそれぞれの制作状況を共有するためにグーグルドライブなどを利用してのプラットホームをクラスのみんなで作った。金曜日に大学の先生たちのオンラインでの情報共有があったようで、必修クラスの成績の出し方についての説明も学生に連絡があった。実践的な分野なので、簡単ではない。けれど、キャンセルせずにセメスターをなんとか走らせるつもりのようだ。

 

同時に先生や大学から今回のコロナでの学生向けの経済支援についての連絡も多く届き始めている。私は市民ではないので、全てに該当しない可能性はある。まだきちんと把握できていないけれど、仕事を失った学生への給料の補償なども含まれている様子。ロックダウンになる時に政府は国民に対して、これを理由とした解雇はできない旨すでに通達している。

 

支援金がどうやって賄われるのか。私たちは将来のオーストリアに借金をするのかもしれない。それでも、今はお金の問題ではない、ということだ。お金が生活を支えているのは事実だけれど、資本主義を維持することが全てではない、今は。もしくはここで、そういう社会的構造を見直さなければいけないのかもしれない。でもそれはコロナが収束してから、かもしれない。

 

事実は淡々としている。

淡々としているけれど、議論は活発に行われている。先の韓国の友人が言ってた。ニュースを聞いていると自主隔離生活について驚くほど人々が議論している、と。それは社会的にどうなのか、メンタル的にどうなのか、プロパガンダ的に…とあらゆる視点から話し合われている。最初はこのことに、私たちは心底驚いたし、驚いたことに、また気づかされたこともあった。

 

おそらく私たちのアジア的というかまぁ近い文化的コンテクストの中では事実をそのまま右から左へ受け入れるという根深い教育が息づいているのかもしれない。それがとても危険なことなのだと、改めて感じている。自分だけが取り残されたくない、自分だけが損をしたくない、自分だけが…という恐怖がとにかく多数に同調せよと信号を送っているようで怖い。

 

誰かのせいにしても、大事なものを失うかもしれない事実は変わらない。何が最善なのかを自分でよく考えないといけない。私は感染症の専門家ではない。事実を見つめて考えることしかできない。

 

桜は来年も咲くと思います。あなたが生きていて、あなたの大切な人が生きていれば、また何度でも見ることが出来るはずです。

 

今少し生活をリデュースすればいい、自分に実感がないのは幸せな証拠です。病院を必要としている人はコロナの患者だけではない。病院で働いているのはロボットじゃない。リスクを抱えて働いていて、働かなければいけない状況に飲み込まれている。自分が発症しなくても、自分だけその幸せを続けることで誰かの幸せを奪うかもしれないということを考えないといけないのだと思っています。

大げさですか?もしそう思うなら、あなたこそ、そうするべきだと思う。

 

できれば私だって、大げさだったなと笑える未来がすぐにくることを願っています。