【学生ビザ】結局一時帰国に。

風邪を引いておりました、こんばんはKikiです。

毎年10月になると在留許可の更新のストレスと季節の変わり目が相まって、鼻喉風邪をこじらせます。久しぶりに、あっパブロン飲もうかと引っ張り出したら2018年で切れていました。郷に入っては郷に従え、風邪に効くジンジャーペパーミントティーでしのぎました。これで回復したんだから、すごい。

 

さて、不安を煽る投稿が続いて申し訳ないのですが、友達の滞在許可問題に進展がありました。9月末はそれはバタバタとしていて、毎晩電話していたけれど、不憫で仕方がない。

 

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この餅は餅屋を経て、結論から申しますと、韓国へ一時帰国しています。

新規の滞在許可は下りませんでした。大学のウェルカムセンターの親切な担当者へたどり着くまでに2週間ほどを有しまして、MA35と再度コンタクト取った結果、簡単に言いますと「もう遅い」の一言でした。大学の担当者曰く、2つ原因が考えられるそう。

 

①旅行査証が切れるギリギリに新規申請したこと

彼女は今年の4月に旅行査証で入国し、6月の中旬に申請を出しました。旅行査証が残り10日くらいだったのがまずかったのではないかと言われました。

 

②2通目の手紙に正確な返答が出来ていなかったこと

ネイティブが読んでも主題をつかめなかった、かの2通目の手紙ですが、貰ってすぐに大学の担当者のところへ来てくれれば、まだ出来たことがあったと言われました。

※でもMA35が送り忘れてたんですけどね…ただ証拠がないのよね…

この手紙、彼女はネイティブの彼氏と読んで「銀行残高の追加書類」と認識したのですが、限りなくノーに近い、申請を却下とする手紙の類で、この時にすぐに本当に必要な書類を提出していればまだ見込みがあったとのこと。やっぱり身元保証人的な人の書類が必要だったよう。

 

そんなわけで大パニックが巻き起こりましたが、もう一度申請のチャンスはあるとのことで一時帰国を選択しました。韓国からDビザもしくは受け付けられれば新規の学生ビザを申請するつもりで帰国前1週間は新しい日付で必要書類をかき集めました。

 

ただ帰国に際してオーバーステイの心配が浮上。彼女の場合は約2か月。不法滞在を取り締まる管轄の警察に電話で相談し、MA35で申請取り下げの手続きをしたらいいとアドバイスされました。帰国便を予約して、そのバウチャーを持って大学の担当者と一緒に再度MA35へ。すごくそっけなかったらしいが、大学の担当者が一緒とあって、一筆書いてくれたそう。もう審査が済んでしまったものなので、どんな効果があるかわからないが、無いよりマシであろうと。やっぱりそこでも、次の入国時はDビザで入ってくることを勧められたそう。でなければ、6か月滞在する方法がないので。ちなみに帰国便では特に空港の出国審査で引き止められたり質問はされなかったそう。念のためシェンゲン外で乗り換えたのも良かったのだと思います。

 

今回のことで色々な関係の人と連絡を取ったが、皆さん同じことを言っていた。「今までだったら大丈夫だったけど、今年からダメなんだよな」と。不法滞在を取り締まる担当の警察の方も、同じケースの問い合わせが多いと言っていて、今までだったら数日追加書類が遅れたぐらいならMA35は対応していたが、今年になってシャットアウトだからね…と。

 

10月に入ってから90日しか旅行査証が無い問題で、審査結果をオーストリアで待てないための一時帰国の話もよく聞くようになった。最近も台湾の子がこれが理由で一時帰国している。

 

試験の準備や語学の準備で早めに入国している場合は、書類がそろったら早めに申請したほうがよさそうです。6か月はかかると正式にコメントが出ているので、なんで6か月もかかるのかを問えないし、ひっくり返らない、それが今の移民局。

 

住んでないのに家賃も保険も払い続けているし、いつ戻れるかわかないけれど学費も支払っているわけで、でも大学はもうハイバードじゃなくなって、対面授業に戻ってしまったので、ウィーンの外で取れる授業もない。

2回目がうまくいくことを願うしかないのがやるせない。何も力になれないとこはこのことで、かかるストレスがどれだけ大きいか自分のことのように感じる分、一時帰国する彼女を見送るのは辛かったです。

 

正直なところ、本当に担当者によって全然違うんだなという最たる例な気がします。

2017年当時の私は1か月で下りたし、なんなら担当者は英語まで話してくれて優しかった。先週更新に行ったところでも嫌な思いはしませんでした。でも待合室では、いつも「いい人でありますように。機嫌悪くありませんように」と祈ってしまう自分がいます。苦笑。

 

教訓もなにもないのですが、今回のことで私たちが痛感したのが、

シンプルではない手紙が届いたときはネイティブではなく、専門の人のところへ聞きに行くこと。大学に在籍していれば、色々なケースを知っている担当者がいるはずですし、万が一には大学から学生用に弁護士も用意してくれるはずです。そして、すぐに行動すること。とても親切な担当者だったのですが、終始「もっと早く来てくれれば…」を繰り返していました。でも私たちも、知ってれば早く行きました…しか言えませんでした。もう一つは後出しされた手紙の日付をその場で訂正してもらう必要があったこと。移民局で何か手紙を貰ったら、待合室で落ち着いて再度全部目を通して読んで、もし間違いがあればその場で訂正してもらったほうがいいと思います。彼女の場合は、というか誰でも勘違いしてしまうような内容だったのですが、とはいえあと4日しかないのと、2週間あるのでは全然違います。

 

もう後の祭りなのですが、これから新規の申請に挑む方の参考になればと、彼女も積極的に韓国コミュニティで内容を共有しています。脅しているようですが、問題なく済むケースも多いはずです。大事なのはわからないことは放置しないこと。

 

はぁ、気持ちが少し落ち着いて共有しよう!と書いたものの、やっぱりシンプルに悲しいし悔しい。これにつきます。

【学生ビザ】餅は餅屋。

昨日は朝から友達の作品のゲネプロに行ってきました。作品よりもそれを取り巻く公共圏の反応に驚きました。世の中ってこんなに保守的で差別的なんだな、そりゃフェミニストが強い女性と誤訳されるわけだ。それはまた別で書きたいな、ということで、あれから数日少し様子がぼんやりとわかってきました。

 

全部がはっきりしてから書いたほうがいいかなぁと思ったのですが、前回の書き方はけっこう不安を煽るかもしれないので、逐一更新したほうがいいかなと思いました。

先に書きますと、まだ結論は出ていません。

 

ただ、今回出てきた新たな登場人物によると、申請中に旅行期間が切れても、即帰国は聞いたことがないなぁだった。前回書いた文言についてはいまだ不明であるが、今回の彼女のケースの争点でなさそうです。

 

 

ことの発端はこちら。

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この日の最後に書いた通り、翌日アトリエで作業をしていた私を訪ねて夕方彼女が現れました。すごく疲弊してた。アーメン。

 

朝からネイティブを引き連れた他の友人知人が家に押し寄せて、「不法滞在だから今すぐ韓国行きのチケットを買って!」と最後はその友人に泣かれて大混乱。彼女はその状況で絞り出した。「わかった。でもKikiと買う」と。そうやってその場を逃れ、予定より大幅に遅れた夕方私にたどり着いた。

 

会ってから少し話を整理した。

 

やっぱり周りのネイティブとネイティブを引き連れた学生ビザとは無縁の、つまりは自分は婚姻においてウィーンに滞在している人がワイワイと騒ぎ出した、が、MA35から直接連絡があったわけではない。これがまず一番大事。

 

ではなぜそんなことになったのか。

ことの発端の友人の元旦那(ややこしいな)に勧められて連絡した先の人物に最後「警察を呼ぶぞ」と脅されたことで彼女を含め全員がショックを受けてしまったとういわけだ。ちなみにその機関はHelping handというのだけれど、なにをヘルピングしてくれたのだろうか…。

www.helpinghands.atというわけで、ちょっとホームページを覗いて見たが、差別などの問題に対する機関のようである。

「彼らは学生ビザに詳しくないのではないか?」がまずは第一に浮かんでくるが、なんだか機関に居る人に脅されたら、怖い。それは確かにそうだ。

 

とりあえずこの人たちは置いておいて、持ってきてもらったMA35からの手紙とご対面。

 

彼女と彼氏の見解では銀行の残高を再提出だと言っていた。確かに手紙の最後にフィナンシャルについてもう少し説明せよ、そして残高これだけ証明せよみたいなことがけっこう抽象的に描かれていた。彼女からも最後のページだけを最初に見せられて、これこれと言われた。なんでこんなに抽象的な表現の手紙なのかという疑問はある…私が過去にもらった追加書類についての手紙は、書類のタイトルが書いてあるくらい明白だったのだけれど…担当者によるのかもしれない。こわい…。

 

まぁとは言え、一から読ませてと最初から目を通す。

 

ちなみにこのドキュメント再提出の手紙に、もし2週間以内に応じない場合は、国外退去にてうんぬんみたいな法律のコピペも書かれていた。でもこれは大抵公的なこういう手続きでいつも書かれている§マークの注意書きだ。多分これをネイティブたちは読んでパニックなのかもしれない。

 

 

ただ、ここで一つ問題かもしれないことが分かってきた。最後のフィナンシャルについてのうんぬん以前に、手紙の最初に“Stellungnahme”も提出せよと書かれている。聞きなれない言葉である。「これは出したの?っていうかStellungnahmeってなんだろう」

 

この質問にびっくりした彼女。えっ残高証明だけじゃないの?と。

わかんないけど、でもこれも出せってことじゃない?なんだろうか…。

 

ネイティブのクラスメイトに聞いても首をかしげる、ちょっと馴染みがない。

そんなわけで、とりあえず月曜日にウィーンに帰ってくるスタジオのお世話係の先生とアポイントを取って、大学付きのÖHの担当に連絡を取ることに。同時に、これはネイティブとかじゃなくて、これについての専門家が必要ということで、彼女はウィーンの韓国コミュニティで探すことに。

 

運よく、十代からウィーンで学生をしている韓国籍の詳しいサポートをしている人を発見できた。運がいい。すぐにその人とアポイントを取り、状況整理へ。

 

①Stellungnahmeは確かに要求されていた。

Stellungnahmeは何か公的な後見人に出してもらう身元保証書のようなものだそうだ。私たちの場合は大学のÖHが学生用の弁護士を持っているから、その弁護士にペラ一枚で出してもらえるそうだ。ついでに主任教授がいるので(院みたいなもんなので最初から指導教授がいる)その人にも一筆書いてもらうとなおいいとのこと。

 

②フィナンシャルをクリアにする。

これは聞かれていないが、銀行の残高証明に加えて、簡単な直近の使用履歴も用意。さらに貯金用のセカンドアカウントを持っていたので、そちらも開示する。これは簡単にオンラインから印刷できる。

 

③聞かれるかもしれない書類を用意して、MA35と再アポイントメント

この人の見解も、ちなみに韓国大使館の見解も「すぐ帰れ」ではなく「状況を確認したほうがいい」だった、心配なら。というわけでMA35に電話して、現在の進捗を聞いてみた。でも返答に3営業日ほしいとのこと。というわけでこれは来週に持ち越されたが、とりあえずその間に、必要そうな上記2つを用意することに。ちなみにアドバイスでは、向こうが再度聞いてこないならStellungnahmeについてはちょっと様子を見ようということになった。こちらが忘れてましたと言って出すと、そこを突かれるかもしれない。お互い忘れていたことにしたい…。もう追加書類を出せる2週間はとうに過ぎている。だが、向こうもそもそも追加書類の要求の手紙を出し忘れて、10日後にオフィスで会って支払い後にいきなり後出ししてきたしな…。*詳細はは前回の記事へ

 

④状況によっては一時帰国

もし、この追加書類の不備で色々言われた場合は、そこでごちゃごちゃ争わずに一度状況を白紙に戻すことをお勧めされた。一度すべての登録をabmeldenして、韓国に一時帰国し、もう一度新しい日付ですべて登録しなおして、再申請がいいとのこと。

 

どちらにせよ、状況が分からないことには帰国することも難しい。今のままだと、なぜパスポート上オーバーステイになっているのか説明できない。正確には口頭でしか説明できない。どうも審査中だというのは電話でしか聞けていないので。たとえ在留許可がうまくいかなくても、その公的な却下の通知を出してもらって、その日付に基づいて出国するのがよさそうだ。なんせ、今は韓国行きの直行便が無いわけなので。

 

ただ、まぁ彼女の場合は何か変な手を使って在留許可に挑んでいるわけではない。単純に聞いたことがない新しい書類、それも割と簡単に手に入りそうなものが不足しているだけのようなので、万が一今回のすれ違いでネガティブな結果が出ても、もう一度挑戦すれば大丈夫そうである。というのがこの専門家の意見だった。彼女も帰国前にやったほうがいいことがあるから、飛行機に乗ってなくて良かったと笑っていた。ヘルピングなんとかは一旦保留、が彼女の意見。私もそう思う。

 

ちなみに私の新しいルームメイトはウィーンの別の差別などの問題に対処する機関に勤めている。法律を大学院で勉強したが、弁護士ではない。彼女も何か差別的なことがあればそれは私たちの専門だけれど、通常の在留許可についての手続きについては残念ながら詳しくはない…人道支援が専門だからなぁという話だった。その通り。ヘルピングハンドさんも専門外だったのだと思いたい。

 

周りが騒いだことも彼女は愛情と受け取っていて、私もそう思う。いい友人を持ったことに変わりはない。でも私も彼女も良くも悪くも根拠はなくても自分の意見が強い人が多いことを海外生活で感じている。日本人にだって同じくらいの割合でいるので、海外生活と書くと語弊があるかもしれないが、謝る文化がない国においては、堂々と意見を言うことと、その意見が根拠に基づいていることはイコールではないので、私たちは海外生活においてそれを経験する機会が多いのかもしれないなぁと思う。まぁ曖昧な話なので主語をどこに置くかで誤解が生まれそうな話だ。

 

 

そんなわけで、MA35からの連絡待ちで、一コマ休み、である。

【学生ビザ】滞在許可の新規の欄に何やら新しいルール?もしかして知らなかっただけかも。

友達からのSOSの電話を今切って、バイト帰りだったからいったんシャワーを浴びて

不確定ながらも、共有したほうがいいかもしれないと思ってここを開きました。

 

ウィーンは火曜日の深夜です、こんばんはKikiです。

 

というのも、自分の体験談だ!と赤文字にしたところで、わたしもここで滞在許可(または学生ビザで検索することも多いあれ)の情報をシェアしています。なんだか今年に入って、新しいトラブルを耳にするようになりました。

最近、自分のビザの更新のためにMA35のホームページを開いたところ、いよいよ初めて見る文言を見つけました。

Bitte beachten Sie: Wenn der Aufenthaltstitel nicht innerhalb Ihres rechtmäßigen Aufenthalts ausgestellt werden kann, müssen Sie ausreisen und das Ende des Verfahrens im Ausland abwarten.

この文言いつからあったんだろう…昔からあったんだろうか。全然わからない。

 

 

ちなみに更新についてはこう書かれているので、上記は新規の人向けのような気がするけれど…

Verlängerungsanträge

Verlängerungsanträge stellen Sie bitte rechtzeitig vor Ablauf Ihres Aufenthaltstitels persönlich bei der für Ihren Wohnbezirk zuständigen Außenstelle.

 

なんだか不安に駆られていたのですが、今日の電話がまさにそれでした。

 

彼女は韓国籍、私より1年下の代で同じ大学で勉強しています。昨年コロナ禍で家族に健康問題があり、8か月ほど韓国に帰国していました。今年の4月にまたウィーンに戻ってきたのですが、8か月の間にそれまでの在留許可を失効していて、新規でまた申請しなおしに。それが6月。韓国籍だと滞在許可なしで滞在できるのは3か月、その3か月の間に申請しました。

 

これまでの私たちの認識ではビザなし可の3か月以内に申請すれば問題ない、でした。

実際、彼女が2018年に新規で申請した時と同じ状況で、その時は3か月待ったものの問題なく下りました。

 

さて、7月の中旬にMA35から電話で許可証が出来たので受け取りにくるようにと連絡が入りました。MA35のオフィスで滞在許可申請の費用を支払い、指紋を採取し、誓約書にサインまでしたところで、今度は追加書類が必要だという紙を渡されたそうです。

 

これは初耳です。通常は追加書類が必要な場合は事前に手紙かメールで連絡があるものです。とにかく、その場で滞在許可は貰えずに、追加書類を提出することに。ちなみに銀行の残高証明だったそうです。

 

その後、郵送でもメールでも書類を送付したのに、現在9月中旬音沙汰がありません。8月に何度かネイティブの彼氏と一緒に電話をしたものの、「待ってもらうしかない」と言われるだけ。私もこの話を8月に聞いていて、でも書類にサインまでしたんだし、MA35は今年は人で不足で混乱しているというのは新聞で読んでいたので、単純に順番が入違っただけで、あと1か月もしないうちに手元にカードが届くのではないかと楽観的に考えていました。最初の時も彼女は3か月待っていたし。

 

それが、なんだか今日拗れてしまったようだ。

 

彼女が滞在許可を待っているという話を知っていたこちらの友達が、そういえばどうなったの?と聞いてきて詳しく話したらしい。そしたらその友達が、ビザ不要の3か月を過ぎて待っているのは不法滞在になるんじゃないかと心配し始めて、彼女の元旦那が移民関係の仕事をしていると、そこへ話が回った。

 

その元旦那から、ここにコンタクトを取って意見を聞いたほうがいいと言われてどうもÖHに電話とメールをしたらしい。するとその担当者から「滞在許可の結果についてはわからないが、とにかくEUから出て、というか韓国で結果を待ったほうがいい」と言われたそうだ。

 

ここまできて、海外生活でビザ申請のストレス生活をしたことある人なら、これがどれだけ彼女を不安にさせるか…想像しただけで、胃が痛い、と思う。

 

もちろん不安に駆られた彼女はネイティブの彼氏を呼び、本人曰く、そのÖHの担当者に執拗に質問してしまったそうだ。でもそりゃそうだ、不安でたまらない。

 

すると、なんとこのÖHの担当者が最後のメールで怒り始め、「これ以上聞くなら警察に通報する」と書いてきたそうだ。そこまでの話を電話で聞いた私は「はぁ!」とプッツン。なんでお前に脅されなければならないのだ、なんなんだ!と。
おっと、乱れてごめんなさい。

 

とにかく、そんなわけで、誰に頼れば、というか誰がきちんとした回答をくれるのか訳が分からなくなり、私に電話してきたというわけだ。ちなみにMA35は今、本当に電話がつながらないのだとか。もちろんメールの返事もない。

 

話は戻るが、この、申請中に旅行期間が過ぎてしまっても、いままではブリッジ期間で問題なかった。私は入国して2か月目には許可証が手元に来たパターンだが、他の友人知人で申請中に期間が過ぎた、という話はこれまで何度も聞いていた。これが問題になるというのは今年に入って初めて聞いたし、上記の文言も、お恥ずかしながら私は初めて読みました。ただ、正直もしかしたら、本当の本当はそういうルールだったという可能性もゼロじゃない。わからない。

ただ、日本人は6か月ビザなしで滞在できるから、まぁ入国後すぐに申請すればなんとかなるかもしれないが、3か月しかない場合はやっかいだ。もし、これが本当にルールなのだとしたら。

 

でも、1時間ほど話を聞いていて、登場人物が多すぎる、と思った。

 

そしてMA35の担当者は旅行期間がすぎている7月の中旬にのんきに電話で呼び出していて、そのときにそんな話にはなっていない。

 

つまり、今日、彼女を不安に陥れた登場人物は誰も正確なことを知らないのだ。

というわけで、私たちは明日、とにかく正確なことを答えてくれる人とコンタクトをとることを試みようと思っている。

 

最近この手の話がこじれる原因に、登場人物多いけど、誰もしらないんだよな、がある。いくらオーストリア人で、いくらドイツ語ネイティブでも、正直ビザ関連の経験などほとんどの場合皆無だ。これはどんなことにも言えるけれど、ネイティブ=隅から隅まできちんと目を通して冷静に考えられる、ではないし、ましてや専門外だったらなおさらだ。私だって日本の移民局の複雑な書類を解読できる自信はない。ネイティブだから、と信じすぎたり、ましてや責任転嫁してしまわないように気を付けようと、よく思う。でも同時に、ネイティブチェックで安心したい、してしまう気持ちは痛いほどわかる。私ももちろんそういうところがあるから。

 

脱線してしまったが。

 

冷静に考えると、この審査の期間ウィーンに滞在できないのに、ビザのために家賃も保険も学費も払い続けることになるのがこのルールの落とし穴だと思う。もし本当にこれを押し付けてくるとしたら、とんだやくざ商売なのだけれど。そもそも、だとしたら、MA35は、例えば彼女の場合は3か月以内に返答する責任があるような気もする。どちらにせよ、そんなルール初耳だったので、すでに申請した時点でもうビザなし期間は終わりが近かったのだけれど…。

 

とりあえず、オフィシャルにこんな文言が追加されているということを共有しておこうと思いました。これが、何が正しいかは、現時点では私も分かりません。

 

逐一、全貌が見えてきたらまた更新します。

 

 

 

 

指導係サイボーグ。

私は、気が付けば誰かの指導係になっちゃう星の元に生れたのかもしれない。

きっと同じことを思う30代半ばは五万といるのではないでしょうか、と思うのですが、どうですか。

 

私は元来あまり人に興味がない。

聞こえも悪いし、冷たいが、否定しない。人は嫌いではないけれど、あまりグループというものに属せる社交的な人にそもそも好かれない一匹オオカミタイプでもある。自発的なお節介は結構苦手なので、仕事中の私は非常に淡々としていると思う。淡々としていて、指導係に向いてそうに見えるのかもしれない。ちなみにうちの教授は私をプロと呼ぶ。仕事の姿勢がプロなのだそうだ。誉め言葉のようだが、笑ってしまった。

 

ちなみに寂しがり屋でもあるので、気を許した人には割とかまってちゃんを発揮する。でもそれはプライベート限定。プライベートと仕事の顔を持つ典型的なミドルエイジ。

 

そんなわけで、プロっぽい私だが、その役を私に命名するのは、残念ながらミスリーディングである。と私は思う。なぜなら、私はその後輩なのか新人なのか、という人が仕事が出来るようにならなくても余り意に介さないタイプだからだ、今は。

 

今は、というのは20代のころは結構気にしていた。中々出来るようにならないなぁ、どうしたらいいのかなぁと無い頭を振り絞って悩んだりもしていた。それこそ指導を試みようとしていたのかもしれない。でも廻り回って、自分の限界を知った。なんていうか、そもそも私は経営者でもなければ管理者でもないので、ぶっちゃけ、指導係のスキルが低くても致し方ないのではないだろうか。

たまたま、私にとっては好きな仕事で一生懸命働くことを楽しいと思っているが、働いている人が皆そうとは限らない。お金を貰う手段で、内容はどうでもいい人もいるし、仕事をする目的は千差万別なのだ。プロだけが集まる世界でもない限り、まぁ色々な人がいるのだし、ご容赦願いたい。

 

今は、一通りのことは仰せのままに「伝達」するけれど、「指導」はしない。

そもそも指導なんて出来る器じゃないというのが大前提だが、

そもそも、仕事や学業なんてものに必要なのは「できる能力」なんかより「独り立ちする努力」でしかないように思うのだ。もしかしたら、その努力とやらを、教育者的なスキルを持って、褒めたり叱ったりして伸ばすことを私に期待しているのかもしれないが、それは大人相手に無理な話のように思う。そもそもそれを期待しているのなら、そういう管理職を置き、そういう人にお任せしてほしい。面倒見ている私も同時に私の仕事をこなさねばんならないので、そこまで他人に興味を注ぐことはできない。

 

というわけで、一通り伝達して、取りこぼされて、この人はこれが覚えられないなぁとなれば、もうただそれを無言でフォローするだけだ。むしろ永遠と同じことを聞いてくる相手の場合は覚える気もないかもしれないなぁ、と思うので永遠に淡々と同じ回答をし続けるだけだ。そこについて怒ったり物申したりしない、それはもはや私の領域ではない。こういう時に思い描くのはアレクサに他ならない。私はアレクサ、あなたがする質問には答えるが、なぜそれを毎日質問するかについては考えない。私に必要なことは、早々に相手の苦手ポイントを把握することに他ならない。幸い私の仕事は人の命には関わらないので、その人が間違え続けたところで、誰かがフォローすれば大丈夫だという余地が常にあるのだ。

 

その仕事ぶりを評価して今後も仕事仲間としてお付き合いを続けるのかを決めるのも、私の仕事ではない。

 

そんなわけで、本人が悩んだり相談を必要としてそうではない限り、それ以上突っ込んでいくことはない。仕事は人生の100ではない。私にも出来ないことはあるし、それを誰かが知らない間にフォローしているのであろうし、お互い様である。

 

そんなわけで、年齢的な問題かもしれないが、指導係を命名されても、そこに私の人生はかからない。たまに独り立ち努力のスピード感のある人が入ってくると、ラッキー!最高!ぐらいである。ずいぶん気楽になったものだ。

他人の努力に一喜一憂できる「先生」と呼ばれる人のすごさを実感する

サイボーグkikiなのであった。

 

さて、これはどのカテゴリーの話だろうか。

ルームメイトのよもやま話。

涼しくなったウィーンから、おはようございます!

私は自堕落な夏休みを反省して、えぇ形式だけでも反省して今週から毎日アトリエに行っています。家のソファーに埋もれて本を読むより、活動的なので寝つきも少し改善されました。

 

本日も秋晴れ。バルコニーでコーヒー飲みながらの走り書きです。

 

実は8月末から新しいルームメイトを2人迎え入れました。

実は前回のルームメイトに関する記事から1年、中々にストレスのある人と暮らしていました。もう、ルームメイトに対する期待はしないと思いつつも、ここ2週間の穏やかさに、開放感。一緒に暮らす人は大事。

 

たぶん、日本の方からするとまだまだ馴染のないルームシェア。そもそも恋人でも家族でも一緒に暮らす時にはストレスがつきものですが、それでも1年でチェンジ!とならないのは、相手のことが好きだからだろうと思います。

 

そう、相手を好きになるというのは、ライトな意味で共同生活には大事なんだなぁと思いました。

 

この1年、コロナ禍で、良くも悪くもお互いのモラルみたいなものが露呈する場面が多く、1年一緒に暮らしていた彼とは、そういう部分が全く合いませんでした。

私たちが何度お願いしても、人を連れてくるときの事前連絡はない、たとえロックダウン中でも飲み歩くし連れてくる。PCR検査は全く受けない。仕事をしている私とルームメイトは、こりゃ参ったと最後のほうはもう諦めモードでした。いや、ルームメイトは最後までブチギレ。苦笑。

 

音の問題もありますよね。

彼は常にバックグラウンドに音楽が欲しい人で、それは別にいいと思うのですが、家中に響き渡る音量でクラブミュージックやらラジオを爆音で昼夜問わず流すので、これには驚きました。コロナじゃなければ、私も家で授業を受けたり仕事したりしないので、うるさければアトリエや外でしのげたのですが…まぁそれにしてもうるさかった。

終盤は、私が静寂を好みすぎなんだきっと、我慢しようと言い聞かせていました。

でも新しいルームメイトがきて、いや、そんなことなかった。家の中はクラブじゃねぇ。と思えるようになりました。

 

なんでそんなことになっちゃったかっていうと。

これが不思議なのですが、彼はキャスティングの時に私たちに話していたルーティーンや共同生活についての考えと実際が乖離していたいのです。ほかのルームメイトは、一緒に住み始めて1か月目ぐらいで、こそっと私に「話ちがくねぇか」と相談してきたほどです。うん、話違うね。

 

どうも、この家の立地、配置、バルコニーなど条件がとっても気に入っていたみたいで、キャスティングでは私たちの話にただ合わせていただけのよう。住めばこっちのもんだ、ということだったようです。実際住み始めてから、私は彼と合わないことがあれば直接話していましたが、ほかのルームメイトとは冷戦状態に。彼からほかのルームメイトについて「社交性なさすぎ」と愚痴られた時にはさすがに、社交性があればなんでもいいわけじゃないし、人それぞれだ。人見知りな人もいるし、そんな上からジャッジするなら、聞きたくないわと言いました。

 

最後のとどめは、ほかのルームメイトの女の子(仮にA子ちゃん)と肉体関係になった挙句に、その子の親友とお付き合いを始めて、最終的にはその子が一人暮らしの家に引っ越すタイミングで、同棲すると出ていきました。ちなみにA子ちゃんは現在仕事で違う国に行っていて、部屋は又貸し中です(もちろん大家さん承諾済み)。

 

一部始終をA子ちゃんから聞かされていた私は、春ごろからガールフレンドを家に連れてくるようになったことに、さすがにびっくり。さらにびっくりしたのは、二人が朝食を取っていれば、そこに自然とA子ちゃんも加わっていること。ガールフレンドは二人がどういう関係かもちろん知っていました。だって元々親友だし。最初はオープンな関係*1なのかなと思っていたのですが、そういうことでもなかった。いやぁ、すげぇ。

 

 

あとくされない感じに見えましたが、彼がガールフレンドを連れてくるようになって、急にA子ちゃんは出会い系アプリに精を出し始め、それなりに心はざわざわしていたようだし、二人が一緒に暮らしているのが最終的には嫌だったガールフレンド。いや、二人がそういう関係って知ってたじゃん。というわけで、海外ドラマなんかで、元カレと元カノがごちゃごちゃに入り混じる感じに、そんなことあるかなと思っていた私は、あるんだねぇ…と変に納得させられました。私にその話が筒抜けだとはつゆ知らずの彼は、堂々としたもんでした。私もおぉと野次馬的にびっくりするだけで、他人の恋愛関係には興味がないのでね。

 

まぁ、書けばきりがないです。ガールフレンドを連れてきては、ディナー後のすべてを放置して片づけない。そのままガールフレンドのお家に行ったきり3日ぐらい帰ってこないから、私やほかの子が片づける。私がインターンでいないときには、パーティーを勝手に開催し、その後片づけないでルームメイトがブチギレ事件発生(当たり前)。それでいて、自分は社交性があると自負していたので、困ったもので。

 

でも、私が最終的に、この人のこと好きになれないと思ったのは。

話していて、節々に感じる保守性からくる無意識の差別的感覚。これは他のルームメイト2人も同じことを感じていて、一見オープンな人のようだし、実際社交性はあるけど、よく話してみると、前時代の超頑固おやじみたいな。

 

そんなわけで、私たちも彼も双方そんなにハッピー最高ではなかったこの1年だったので、なんかこれで良かったなと思います。彼は好き勝手していたので、もともと引っ越す気はなかったようですが、三角関係へのガールフレンドの希望を受け入れたって感じでしょう。

 

今回はキャスティングにじっくり時間をかけました。

残るルームメイトと、事前にこれは譲れないからちゃんとクリアに話そうという事項も決めて。時間はかかりましたが、今回は大丈夫そうです。前回は最初の一週間ですでに暗雲が立ち込めていたのでね。

 

周りの友人から聞く話でも、WGのルームメイトの入れ替わりは基本的に多いと思っていたほうがいいかなと思います。気が合っても、仕事や学業で国や街を移動する人が多いですし、私たちみたいなパターンもあります。元々仲良しでも、暮らしてみたら生活習慣が違いすぎたっていう別れ話も聞きます。一筋縄ではいかないということなので、もしルームシェアでなんだか鬱々とされてる方は、けっこうみんな悩んでるんだなって気を楽にしていただければ。

 

 

今回は私も忙しさを理由にせずに、新しい二人ともっと交流を持って、まずは好きになることから!この1年、彼にされて嫌だなと感じたことも、たぶん仲のいい友達だったらもっと私も許容できただろうなという反省があります。私は私で、相手を受け入れる器をもっともっと大きくしないといけないのです。こんだけ愚痴書いといてあれなんですが。すみません。

 

というわけで、願わくば最後のルームシェアかつ学生生活。楽しむ努力を私もしよう!

これが最後のルームシェアカテゴリーの投稿になることを願って。

たぶんならないけど。笑。

*1:オープンな関係のカップルとは、交際相手とは別に身体だけの関係の相手を持つことをオープンにしているというパターンです。一般的かどうかは別として、そういうカップル。

夏の終わり。

とりあえず、ワクチン接種2回目の副反応は3日目にきれいさっぱり消え去りました。

腕の痛みに関しては、私は1回目のほうが長引いた気がしています、元気に今日もウィーンから、kikiです。

 

もう長袖を着ているウィーン。これからしばらく20度以下のようです。

あれ、もう冬じゃない!という友達に、秋だよ!せめて2週間は秋であれよ!と反論しておきました。今年の夏はサっと過ぎ去った気がしたものの、思い返せば6月くらいから、毎日暑い暑いとアトリエで作業をしていました。うん、3か月くらいはあった。

 

ちらほらとウィーンに帰ってきたよ連絡をもらっては、友達に会っています。先週は久しぶりにMAKに行ってきました。全然人がいませんでした。友達とあの窓、あんなんだったっけと建物再発見できるくらいには、ガラガラでした。旅行シーズンも終わったのか、コロナで美術館離れではありませんように。

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そろそろ、大学の次のセメスターの準備を始めなければならない時期です。

卒業制作とセオリーパートの論文を書かねばなりません。自分で決められるのだからもう少し気楽にしたらいいなと客観的に自分でも思うのですが、友達となんだこのプレッシャーは…とぶつぶつ言いながらMAKの帰りにアイスをご馳走になりました。彼女がスイスにいた間の植物シッターのお駄賃。

 

アイスと散歩の狭間に、そういえば卒業したあの子から返事ないんだけどわたしって何か怒らせるようなことしたかなぁという相談を、ふんふん聞きながら、「彼女が誰かに一方的に怒っているのを見たことがないから、それはないのでは。忙しいだけじゃない」という私の助言の証人のように、まさにその彼女が向かいの通りから私たちめがけて飛んできた。ご本人登場にびっくりしたものの、ウィーンってこういう街なんだよなと笑いました。昨日イタリアから帰ってきたと聞いて、やっぱりね。

 

こんなショートケーキのデコレーション的西洋な街なのに、道端でばったり友人知人に会うくらい、そうか、ここは暮らす場所なんだ、でも。なじみのある街とも言えるけれど、なんだか今でも「目の前にある街」という気持ちのほうが強い。目前の景色がこの4年変わらないのだ、という気持ち。とは言っても、モダンビルがちらほらと街のモザイクに隠れては現れて、なんだかシックなスーパーが出来て、お持ち帰りのトレーは全部紙製品に変わった。ウィーンの街にこっそり現れたけれど、馴染んでいない、でもそこにある、私もそんなもんだろうか。

 

客観的に見たら、私はこの4年で何が変わったんだろうか。

なんだか、ヨーロッパ旅行に興味がなくなっちゃったな、とか。

ドイツ語だ!という切り替えがなくなっちゃったな、とか。

硬くて塩っぽい黒パンが好きになったな、とか。

オレンジジュースを水で割っちゃうんだよな、とか。

お腹が空いたらとりあえずリンゴかじってればいいんだから、安上がりだな、とか。

 

そんな表層の私は、見えない何に支えられているんだろうか。

 

夏から秋になるみたいに、もっとはっきり気が付けたらいいのだけれど。

4年がそっと通り過ぎたみたいに、昨日は友達の引っ越しを手伝ったし、明日はべつの友達とカフェで会って、バイトもする。何が積もり積もったのか、でもこんなことを垂直に積み重ねているのかもしれない。そうやって明日が明後日になって、5年目だなとか、秋が冬を見据えたころに思うのだ。

そして、自分のアイデンティティ的記号の羅列であろう言語を生活の中に配分できる唯一の場所であるここに、駄文散文、失礼します。

5676.821マイル。

かれこれ4年ぶりに、日本に住む彼女と長電話をした。

学生時代からの友達、新しいスポットや美味しい食べ物を訪ねてよく二人で出かけて、ダラダラとおしゃべりをする仲の良い人。お互い同じ業界に居たので、非常識な時間の連絡もフットワーク軽く会えたのも、関係が長続きした理由の一つだと思う。もちろん、彼女のとことん優しい人柄が一番大きい。20代、朝まで一緒に遊び歩いた。

 

とにかく、「会う」友達だったので、lineの長いやり取りやお手紙という間柄ではなく、一時帰国したら飲みに行こう!と言い続けて、気が付けば4年が経っていた。

 

今年も帰れなさそうだという事実をそろそろ受け入れたのだろう、わたしが。

ふと、4年も会えていない。元気なのはお誕生日の連絡で感じていたものの、おしゃべりしたくなった。ただ、超絶多忙な彼女とおしゃべりは中々難しいかもしれない。

何の気なしに、それでもlineしてみたら、「まじタイミングいいわ!3か月ぶりに今日は早く帰宅できそうだから電話するわ!」と。ほんとまじタイミングよかった。

 

4年間のことを語り合ったわけでも、昔話をしたわけでもない。

いつもの、六本木の居酒屋で、原宿のタイ料理屋で、代々木上原のバーで、ダラダラとおしゃべりしていたころと一緒だった。

相変わらず仕事は忙しいが、将来のために少しシフトチェンジを考えている様子で、地に足の着いた同世代の友達の話は、なんだか私をホッとさせた。

 

私が冗談まじりに、もう学生なんてしてる歳じゃないのにさぁと言うと、

何言ってるん、全然いいやん。日本以外に選択肢があるのはいいことや、と。それと同時に将来帰国することを考えると、そろそろねぇという気持ちにも共感してくれた。

 

コロナ禍で何度か仕事を辞めようか考えたと言っていた。今でもエンタメ業界は大打撃で、予算も中々厳しい。それでも、考えを柔軟に、なんとかしようと。とりあえずゼクシィの婚活の話を聞いてきたという話題で盛り上がった。

 

彼女を通して見える東京は、今日も混沌としているが、あの頃とあまり変わってはいなそうだった。晴れても曇っていて、音に溢れたブラックボックスだ。夕方、カフェで領収書の整理をする私の隣で、キャバクラの引き抜きの話を聞き、夜のサイゼで不倫の三者協議を聞き、日曜日の昼下がりの喫茶店でマルチ商法の勧誘が聞こえてくる。深夜2時の帰り道にいつも会っていた野良猫の後ろ姿を眺めながら坂道を上り帰宅する毎日。今日は帰れないなと事務所で作業をしていれば、同じように帰れない人がまた一人、二人と現場から帰ってくる。腹ごしらえに朝4時の明るくなり始めた空の下でラーメン屋に滑り込む。めったに行かないクラブも誰かの誕生日に引っ張り出されるけど、結局テキーラショットを隣の人に押し付けて、さっさと車で寝て朝を待つ。早朝6時の山手通りをフラフラとしたスピードでかっ飛ばす。気が付けばエンタメの仕事をしていてもテレビを見る時間はなく、有名人には疎くなるし、資料で見なければいけないドラマは2倍速。ワンシーズンに何度も同じプレスルームで同じ商品を眺める。ネオンビルと群青色のグラデーションという難解なパズルのような毎日だった。

 

二人でまた、西麻布のあの店で美味しいもの食べようという話で電話を切った。

 

彼女は戦友だったのだ。いや、私が彼女の戦友だったのかもしれない、彼女は今もそこにいるのだから。埋まらないピースを貸し借りすることは出来ないけれど、同じように空いてしまった穴を眺めて慰めあってきた。

 

私たちは。もう埋らないと泣いたりしない。

見つからないピースがあることを知っている、そしてそれでも、それも、いい。

私たちは大人になったんだ。きっと。