Not your fault. You are not a baby. 嬉泣きと悔泣きは嬉しい方が勝つ。

今週もフル全開で始まりました。

 

昨日も21時までみっちり、月曜日が一番ヘビーな気がします。

そしてみっちり、な結果もう最後の方にはドイツ語を聞こうという気持ちも散漫になってしまいました。そしてそれを察知した教授から帰り際に、一度個別でミーティングした方がいい気がするけどどう?と。

 

本来、私からお願いすべきことなのに、、。

もちろん今日アポイントを入れて、個別ミーティングをお願いしました。

同じくイングリッシュスピーカーのブリティッシュくんにもアポイント取れるよ!と伝えて二人とも無事、今日個別で話すことができました。

 

とても実践的なヒントと、かつ今セメスターで私ができるであろう範囲を示してくれました。どう取り組み始めるのか、というのは新しい分野で創作を始める時はハードルが高いでしょう、と。教授は、例えばね、こういうアプローチがある、と具体的に教えてくれました。確かにドイツ語を聞いていても「ひょっとしたら」という言葉をよく発しています。「ひょっとしたら、こういうことかもしれない」と。

教授は否定するような言い方をせずに、もちろんつっこむ所はガンガンついてくるけれど、道の示し方はとてもナチュラルです。だからこそ後で、なんて言っていたのかを思い返すと、「違うよ」と指摘された所が浮き上がってもきます。指摘する箇所が的確なので余計残るというか。

 

もちろん、「この人の元で学びたい」という生徒しか受験に来ないわけですから、生徒側の聞く姿勢も果てしなくオープンではあるけれど。

 

どうもこの専攻には「権威」とか「政治」みたいなものは皆無のようです。

 

教授は言うなればヨーロッパ劇場芸術、とりわけドイツ語圏では「巨匠」です。もしくは他の先生の言葉を借りるならば「スター」。

でもいつでも、私たちの所から眺め、アドバイスをくれます。寄り添ってくれる。

 

「もっと話していい」

「もっと他の人と対話していいのよ」

 

今日は2つの授業が朝から14時までと16時から20時までありました。

後半の授業ではかなりアカデミックな内容で一人一人が数回意見を述べさせられる内容で、かつズバッとついてくる先生でした。

 

どうしてその作業に取り組んでいるのか?

その先に何を見据えているのか?

その手法はどういう結果を期待して取り組んでいるのか?

 

私は最後の質問の意図がつかめず、しかも回ってくる順番が最後の場所に座っていたので、「もう一度質問の意図を伺いたいのですが?」と質問しました。すると先生から

「遠慮せずにもっとわからないと表現していいんだよ」と

そこでなんでかわからないけれど

「ドイツ語がわからないのは私のせいなので。」

と言ってしまったんです。それこそ大人気ない発言でした。でも先生は

「NO~!!!! NOT youre fault!!」と

「君のせいなんかじゃない」

 

誰に何を聞いたっていいんだよ。せっかくここで勉強しているのに静かにしているのなんて、君だって辛いじゃないか!と。

 

すると、みんなが「そうそう!」と

5thセメスターにいるロシア出身の女の子が

「私も1thセメスターの時、毎日頭爆発して、吐きそうで辛かったよ!」と。

 

なぜかそこでまた「みんなは私みたいな赤ちゃんを抱えていて、なんだか申し訳なくて。でもきちんと内容の理解が追いついたら自分で質問します。ありがとうございます。」といいました。

 

もう泣きそうでした。悔しいやら、情けないやら、嬉しいやら。

この感情をこの3週間ずっと味わっています。

 

 

授業が終わって、キッチンで(アトリエにはキッチンがある)コップを洗っていたら、まだ話したことない1つ上のクラスメイトが

 

「私はあなたを赤ちゃんだなんて思わないわ。私たちだってわからないことがたくさんあるのよ。一緒よ。気にしちゃいけない。」と。

 

もう涙腺が危なくて、ありがとう!そうだね!ありがとう!とだけ言って。

でも絶対泣いちゃいけないと思い、今日はまっすぐ帰ってきました。

 

 

もう悔しいとか、苦しいとか、解放された気分です。

だってこの環境でそんなこと思う方がどうかしてるんだよ。

私は、わからないことを失敗しながらサバイバルすればいいんだってやっと、本当に理解しました。

 

日本人の友人がいる韓国人のクラスメイトが昨日、私に辞書をわざわざ引いて

あなたはこう思ってる気がする、と見せてくれました。

 

「迷惑」

 

そして、私もドイツの大学の1thセメスターの時、言葉がわからなくて本当に大変だった。でも「全て」それこそ「全て周りの同級生に質問してた」

きっと韓国と日本は文化が近いから、そう思う気持ちわかるけど、この言葉はもう忘れた方がいい。ここでは誰もそんなこと思わないんだから、と。

 

どうして、こんなことをわざわざブログに書くのか。

私はきっといつかドイツ語が話せるようになると思う。雑談も何もかも聞こえ、理解できるようになると、「なんだか嫌なこと」も増えると思うんです。

 

そういう時に、最初に経験したことを思い出したいし、もし留学することに対して語学の面で尻込みしている人がいたら、こういう環境もあることを伝えたい。

 

そして、昔、私が日本で勉強していた時に、どうしてもっと留学生の気持ちに寄り添えなかったのかを今更反省することが多いんです。

 

もちろん、私は特別素敵な場所にいるだけかもしれない。

留学する国、大学、全てがそうじゃないって知ってるけれど、

「どう思っているのか」

「何を与えられるのか」

私はもう間違えたくない。

だから綺麗事のように聞こえるであろうことを承知で、書こうと思います。

 

このブログは、私が忘れたくないことが備忘録として残っているだけなので。笑

 

 

 

 

 

ちなみにもう一つ【続】STRUMの話もあります。

昨日、STRUM飲んで酔っ払った話を、コニャック男子にしたら

「そうそう、俺も頭痛しちゃうんだよね〜」だって。

 

その情報、先に聞いとくべきだった。笑

 

というわけで、STRUMはお酒に強いかに関係なく、頭にガツンとくるらしいです。

 

すっきりしたついでに、お守りでつけていたネックレスが切れてチャームがなくなりました。お祓い?明日も無事、笑って苦しめますように!

 

Bis Morgen!