フォルケホイスコーレから6年。デンマークの友人たち。

今日のウィーンは雪が少し積もりました。本当はアトリエに行く用事があったのですが、この3ヶ月休日もアトリエ、呼び出しにもひたすら答えてきたので今日は自分を甘やかしスキップしました。必要な素材は提供したし、たまにはいいよね、と。

 

久しぶりにデンマークのホイスコーレ時代の友達とグループスカイプをしました。

私たちは2012年の冬から夏の間、デンマークのフォルケホイスコーレで一緒に学びました。あれから6年、顔を見て会ったのは私がデンマーク旅行に行った1度きりです。でもずーっとコンスタントにスカイプやフェイスブックで連絡を取り、誕生日にはプレゼントを送ってくれたりとのんびりとした友人関係を続けています。一つ変わったことといえば、私がネイティブのデンマーク語についていけなくなってしまったことでしょうか。リスニングとリーディングはそこまで問題ないのですが、スピーキングはひどいもんです。今は私に合わせて英語でのコミュニケーションになりました。

 

 

ちなみに、私が居たデンマークのホイスコーレは通称DSD

Den Skandinaviske Designhøjskole

http://www.designhojskolen.dk/

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ファッション、建築、グラフィック、プロダクツの4つのコースがあります。ホイスコーレというのは簡単に言うとデンマークでの生涯学習の場のようなところです。18歳以上であれば入学でき、外国人でもリミットはありますが在籍することができます。DSDはその中でも美大受験前のファンデーションコースのような場所です。受験のためのポートフォリオの準備を目的にしている人が多く、年齢も20代前半が平均的。ほとんどの生徒がデンマークかEUの美大を受験します。

 

私の友人たちもそれぞれ在籍中だったり卒業したり、とバラバラですがグラフィック、建築、ファッションとDSDから専門の大学へ進学しました。

 

私が居た時は、他にアジア人が居ませんでした。北欧とアイスランド、イギリスから一人、そして私。下手くそなデンマーク語を話す私とわざわざコミュニケーションを取りたいという人は少数。表面上はみんな笑顔ですが、どこか壁を感じていたし、私も壁を作っていた。当時は初めての海外生活だったので、私自身も閉鎖的でした。周囲の反応も「そんなもんか」くらいにしか思いませんでした。少なくとも作品を通じて興味を持ってくれる子が居たことで、スタジオで作業している分には疑問もありませんでした。

 

とはいえ、初めての海外生活、日本人の全くいない環境というのは慣れるのに時間がかかりました。簡単ではなかった。

 

そんな中で、いつも側で私の拙いデンマーク語を笑うこともなく仲良くしてくれたのが今もスカイプする3人。私が落ち込んでいれば励ましてくれた。デンマーク語をチェックしてくれ、森へ散歩に連れて行ってくれた。受験で大変な時は私が相談に乗ることもあったけれど、フォルケでの生活は彼らなしにはいい思い出として残らなかったかもしれない。笑うための多くのことを彼らは私に与えてくれました。人をジャッジしない、とても素直で純粋な自慢の友人です。

 

そんな3人も6年の間に多くの経験をしてきたようです。スカイプをするたびに、変わる環境に最初は驚きました。デンマーク以外の国へ行き暮らし、学ぶ。社会人として働く経験を通して、6年前は「若くて可愛いな」なんて思っていた私ですが、すっかり逞しくなった彼らと今は年齢のギャップも感じなくなりました。彼らの経験や考えを聞くのはとても刺激的であり、それと同時に変わらない笑顔にホッとします。

 

彼らは私がウィーンの大学に行くことを本当に喜んでくれました。「これでやっと会える距離だね!」と。実際に今日のスカイプで初めて具体的に今年の夏どこで会えるか、という話になりました。ウィーンへ来るか、私がデンマークへ行くか。ドイツやスイス、オランダなど、どこも飛行機に乗れば2時間程度。コストも変わらないのでワクワクしながら話していました。

 

前の記事で書いた、「私は日本人問題」も3人は笑ってくれました。3人とも、文化のギャップについての理解が深いのです。なぜなら彼らは移民2世。両親は移民、自分は生まれも育ちもデンマーク。二つのナショナリティを持って生きている。そんな彼らに軽〜く「しょうがないよね、日本って魅力的だもの〜」と言われれば、そんなもんか、という気もしてくる。「君のスタイルとして昇華すればいいだけ。ヨーロッパではあなただけ、が大事だからむしろラッキーだよね」と。

 

私のドイツ語の箸休めに会いに行くよ〜と笑っていた3人。夏が待ち遠しいです。