だって日本は遠いから。感謝から学ぶこと。

まずは、阪神淡路大震災から23年。

ここウィーンの地から1分間の黙祷を日本時間に合わせて捧げます。

 

多くの犠牲の中から、私たちは学んでいるようで、まだ十分じゃない。そのことをヒリヒリと治らない瘡蓋のように感じます。ずっとぐずぐずと、普段は少し忘れられるけど、毎晩お風呂で思い出す。私は私にできる方法でこの傷を癒すパーツとなるしかありません。

 

ウィーンは少し寒くなってきました。今日からインナーダウンを着始めました。友達には「えっ今更?」と笑われましたが、確かにウィーンの人はダウンを着始めるのが早いなぁと思っていました。むしろそんなに着込む?ってよく電車の中で思います。

 

そんな寒空の下、ここ数日は素材集めに生地屋さんを行ったり来たり。もうすぐ大学のオープンアトリエ(本当は違う名前があるけど説明が面倒なので省略)があり、その準備中です。今回はなんだかおかしな展開。このオープンアトリエでは大学から予算が出ます。私はてっきりみんなでアイディアを出してコラボーレションするか、予算を個人に割り振って、それぞれで制作するのかのどちらかだと思っていました。ところが数回のミーティングの結果、数人のアイディアのみを教授が採用し、それを残りの人がサポートするグループワークに変更されてしまいました。

 

 

私はアイディアが残ったため、ウィーン生活3ヶ月、どこで素材を手に入れるかも不透明なのにグループに指示を出さねばならぬという立場に。グループの子にジャッジを迫られドイツ語やら英語やらで四苦八苦。どう考えても、今の私にはtoo muchな状況に追いやられています。ですがノーチョイス。やるしかありません。

やるしかないアートって初めてです。義務的思考錯誤。笑

 

今のアトリエは嫉妬で空気が悪いです。

 

アイディアを採用されなかった子たちが影でこそこそ。バレてるから影でもなんでもないけれど。こういうところは、そうか若いんだな、と思わされます。年齢じゃないかもしれないけど。こういうのが、全然気にならなくなり、へっちゃらになってしまった私は社会に揉まれた30代のようです。1人飄々としてるのも風当たりが強いので、ふんふんとみんなの話を聞いてるのか聞いてないのか。のらりくらり。さらにシタタカさも加わってます。こうやって強くなるんだな、人は。

 

不満と嫉妬が渦巻く、最悪な空気の中。ずっと気になるけど聞けなかったことを聞いてみました。私と同じファーストセメスターには他に2人ドイツ語が母国ではない子がいます。1人はすでにドイツに3年ほどいたので、ペラペラです。もう1人のドイツ語レベルは謎。この謎の彼、この間の最終プレゼンテーションで不思議な批評を受けました。簡単に言うと「この大学に入りたい多くの人の中から選ばれ、国が教育費を負担しているにもかかわらず(彼はEU出身)サボってる。失礼だ」と。さらに、3年の先輩が彼を擁護して「新しい言語の中で全てを頑張るのは大変だと思う」と言うと

 

「でもKikiは?日本から来てるけど?やってるやないか〜」と。

 

私はもうびっくりしすぎて、あんぐり。なんで私を引き合いに出した?っていうか日本ってどれだけ未開の地なの?と。

 

どうして彼があんなに責められたのかわからない、と言うことを今日聞いてみました。友達の見解はドイツ語とほどほど遠い日本語の私はとにかく大変で、EU出身の彼は少なくとも言語は似てるんだし状況が全然違うとのこと。

 

なるほど。

そりゃ確かに、日本人が英語やドイツ語を覚えるのはヨーロッパの人に比べたら時間がかかりますとも。でも少なくとも私は30代のまぁまぁな大人で、彼はまだ20歳そこそこ。背負ってることの大きさではなく、精神的なことではないだろうかと思うのです。私のように「疲れた」「わからない」と言えるキャラクターでもない。でも彼もわからないことが沢山あり、もしかしたらドイツ語のレベルも私と対して変わらない可能性があります。「こういうことらしいよ〜」と情報をシェアするといつも「ありがと〜」と言ってくれる。でも結局ここでは「わからない」と言う表現をしないと助けてもらえないようです。

 

例えそう思っても意見できない私は、心底ダメなやつだなぁと思いました。皆にこれだけ親切にされていて、私は何も言えない。お前が言うな、だろうなぁと。ただ、彼に私が知りうる情報を提供することしかできない。

 

でも、もしこの先同じようにドイツ語を習得しながら勉強している子がいたら、私は分け隔てなく声をかけようと思います。見た目や出身ではわからない苦労があるんだということを、残念ながら自分を比較対象にされた彼を見ていて本当に実感しています。

 

どうも私は、ずるい人間になってしまったようです。