ハグされてとホッとする。境界線を爽やかに超えたい。

セメスターホリデーも残り10日少々。そろそろ次のセメスターの履修登録をしなければなりません。でもまだ前セメスターの課題が終わってません。ちょっとぐうたらしすぎてしまったことをここに反省し、こんな時間にまだごそごそしています。でもこんな時間ですので(ただいま深夜2時)考えもあちらこちらへ。

 

ふとしたことから、人種差別について書いてみようと思いました。3つの国に住んで、自分が感じたことを、自分の経験則で。あえて私の視点だけを軸に書いてみます。ブログは公共性のあるものですが、それと同時に個人的な体験を気軽にシェアできるコンテンツ。新聞や報道で知る一般論では語られない個人的な独り言、として読んでもらえたらと思います。

 

私がデンマーク、カナダ、オーストリア、と3つの国で唯一共通して体験していることがあります。それは初対面で中国人か?と確認されること。

 

もはやただの旅行でも、多くの日本人が経験していると思います。私も旅行を含めて多くの国で経験しました。ただ、旅行の場合にはニーハオって言われるかコンニチワって言われるか。そんな程度ですが、住んでるとなると聞かれる意味合いもちょっと異なるものです。相手に国籍を訪ねるのはごく普通のこと。ただアジア人の場合なぜか「中国人か?」と具体的な国名が出てきます。そして、日本人だ、と言うとあからさまにテンションを上げて「お〜日本人かぁ!」と笑顔で自分の知っている日本知識を披露してくる。そんな場面に何度も遭遇しました。

 

その反応をされるたびに、思うのです。さらに言えばなぜか「私日本人、中国人じゃないわ!」と誇らしげにしている人を見て強く思うのです。

 

「私が中国人だったらどうだって言うんだ?」

 

人種ヒエラルキーを持つ人々にとって「アジア人」は底辺の人種と言う印象があるようです。さらにその中でも「中国人」に敏感なようです。しかもそういう人に限って中国と日本と韓国くらいしか知りません。知ってても世界地図でどこにあるのか指させるわけでも、文化を知ってるわけでもありません。おかしな話です。

 

デンマークの電車の中で、隣に座っていた白人の中年女性。彼女は酔っ払っていたのですが私に向かって「アジア人は国に帰れ、中国人は…タイ人は…」とここでは書けないような侮辱的なことをデンマーク語で浴びせられたことがあります。おそらくアジア人、デンマーク語なんてわからないだろうと思ったのでしょう。その時、それまでに溜まっていた「なんでみんな中国人か確認するんだよ、もし私が中国人だった場合態度が変わるわけ?なんだそれ?差別じゃないか」と言う思いが爆発しデンマーク語で言い返して、車内で言い合いになりました。今思うと怖いもの知らずもいいところです。でも私がここで黙っていたら「ほら言葉もしゃべれないじゃないか」とまたこの女性は他の人に同じことをする!そう思って「あなたの発言は立派な差別だ。公共の場で、肌や髪の色だけで区別するなんて恥ずかしくないのか。今この国で一番失望している。あなたはデンマークという国の品格を下げているだけだ」と言い切り、電車を降りました。

彼女は「お前何人だ?」としきりに聞いてきましたが「何人でもいいだろう、あなたにとってこの肌色と髪の色が問題なんでしょ?あなたにはそういう区別しか存在してないじゃないか。たとえ私がデンマークの国籍を持っていたって関係ないんだろう。論点は私が何人かじゃない、あなたの判断基準だ」

 

私は中国の出身者と何度か一緒に働いたことがあります。女性でも男性でも、一度も嫌な思いをしたことはありません。なので、日本でも中国人は〜と言っている友人や知人にははっきりと言います、それは「中国人だから」じゃなくてその人の問題なんじゃないか、と。そう、日本でも平気でそういうことを言う人がいるのです。とても残念です。だからこれは他の国の問題ではないと思う。私は国籍を尋ねる時は特定の国名は出さないように気をつけています。ただ「どちらの出身ですか」と聞きます。どの言語の語学書にもそう書かれているように。

 

人種問題はとても根深いです。「地域性」と言う一人で対抗したところで、ひっくり返りそうもない状況で起こることが多いと思います。さらに言えば「あなたの問題ではない」ことから発生していることがほとんどです。カナダワーホリ時代に出会った日本人で、語学学校でクラスメイトからひどい差別発言をされた経験のある子がいました。私が行っていた学校とは別のところです。韓国出身の女性がアフリカや中東出身のクラスメイトを捕まえては世界地図の前に連れて行き、韓国が日本にどれほどひどい仕打ちを受けてきたかを切々と大きな声で話す。日本人の彼女に聞こえるように。彼女は辛くて教室を出てトイレで泣いたと言っていました。だからと言って彼女は「韓国人は」と言う言い方はしませんでした。そんなクラスメイトが居た。個人の話です。

 

私が通っていた語学学校では、ある生徒が、別の生徒の出身国を侮辱し差別的な発言をしたことで校長先生の逆鱗に触れ追い出されたことがありました。とても温厚な先生だったので驚きましたが「絶対に許されてはいけないことだ」と。

 

中東出身の友人がバスの運転手に無視された場面に遭遇したこともあります。彼はそういう対応をされるのには、僕らにも問題があるんだよ、と言っていました。でもそれは「あなたの問題ではないじゃない、あなたは礼儀正しく、この国の言葉であの運転手に話しかけたのにおかしいと思う」とても悲しい出来事でした。

 

挙げればきりがありません。

どうしてそんな境界線が存在するのか不思議でなりません。

 

日本は島国なので、カナダやヨーロッパのように多国籍な人が集まる状況というのはまだ一般的ではないかもしれません。私は日本で、差別的な発言を聞くことが結構あるなと言う気がしています。同じ人種同士で生活していると、気がつかないかもしれませんが。無意識なそういう発言を残念ながら耳にします。そのことに気がつく度、私も何か無意識にそういうことを言っているのではないかと恐くなります。

 

 

私は私の見た目に関係なく、ぎゅっとハグしてくれる私の出会ってきた人達のように。自分と何が違っても何の迷いもなく手を差し出して、笑顔で握手できる人間でありたいと思います。たとえ相手がそうでなくても、それに流されて自分の中に枠を作らないよう。そうありたいな、と思うのです。