年の差。

この2週間、教授の集中セミナーを受けています。

教授の授業は全セメスター必須、ストレートで卒業したい場合には落とせません。私が勉強している課程はディプロマ課程と言って、ドイツ語圏(ヨーロッパではもともと伝統的な)独特のシステムです。簡単に説明するとバチェラーとマスターをひと続きで学び終える課程です。無事卒業できた時の学位はマギスターと言って、欧米の学位に換算するとマスター(大学院)と同等のものです。説明すると長くなるので、教育システムについては追々。要するに、大学院の研究室のようなイメージ、院生と大学1年生が同じゼミで勉強している環境ということです。

 

8セメスターが最短ですが、ほぼ4年で卒業していく人はいません。平均は5年半。さらには卒業制作には1年費やしてほしいという教授からのリクエストが最近出たばかりで、ますます卒業までの平均年数は伸びそうです。別にぐうたらしているわけではなく、インターンシップが単位に組み込まれており、その為1セメスター休まずおえなかったり、制作プロジェクトが長期に渡っていくことが主な理由としてあります。

 

前置きが長くなりましたが、この環境から年齢差も広がります。入学自体が美術教育の下地ゼロでは難しいので、入学時点での最年少は20歳くらいです。そこから最年長は私かもしれません。ただ会ったことない8年生もいるので、正直わかりません。まぁ一回りくらいの年の差があるわけです。

 

今まで年の差を感じても、うまいことやってこれたと思っています。ブランチには参加するけど夜通しのパーティーには参加しない、など自分なりにうまくやるコツをつかんできました。今日新たなルールが加わりました。授業改革には極力関わらない。笑

 今日、初めて気がついたのですが一つ埋まらないジェネレーションギャップを発見してしまいました。パーティー以外に!

 

あと2日で一度クローズする教授のセミナー。ワークショップに近いのですが、ひたすら2週間ある作家の作品を読み続けています。それこそテーブルを囲んで4時間は休みなしで。1日8時間のセミナー。その前後に別の授業もやっている私たちは、正直制作の為のスペースがありません。

 

ただ、私はここまで教授がアイディア出し、読み合わせを徹底しているのは理由があるだろうと思っています。というのも、私以外の1年目の学生は3人が20歳、1人が25歳と若いです。作品の制作プロセスにプロセスがあるのか曖昧な作品が多い、というのが正直な私の感想であり、おそらく上の生徒や先生からもそうであろうと想像します。「あなたは誰なのか」「あなたの表現とは」そういうものがまだ薄い。

おそらく、そこを鍛えたい。その為に1年目から6年目までの学生でテーブルを囲んでのブレインストーミングに終始しているのだと思います。

 

でも彼らには伝わっていません。教授は目的を基本的には明かしません。目的は自分で設定するものだから、だと私は解釈しています。ゴールを決められて走るのは簡単です。でも学校を出れば、ゴールは自分で決めなければなりません。ゴールテープを誰かが持っていることを期待する習性は早いうちに捨てるべきだと、私は思います。

 

今日、授業のあと、彼らは不満を吐き出していました。もっとオーガナイズされた授業を受けたい。目的が明確なところで制作を進めたい、というのが主な意見でした。それを聞いていて、そうか、年を重ねる恩恵は「どんな状況でも学べるというポジティプさ」を身につけることなんだと感じました。私は自分が相当ポジティブに日々の暮らしを送っていることに気がつきました。ポジティブであろうとコントロールすることを20代で覚えたのかもしれません。無駄だと思える状況では、その無駄さから学ぶことがある。

 

実は入学してから教授との個別ミーティングで常に同じことを心配されています。周りの学生の若さに、私ががっかりしていないかを心配されているのです。明確に学生の名前を出して話されるので、随分と具体的な心配だなといつも不思議に思っていました。「批判を覚悟でいえば、それでも彼らは一般的な日本の大学生より数段精神的に大人だと思います。私が彼らくらいの年齢の時はもっと子供でしたし、私が彼らより、すべての面で大人であるという自信など私にはありません。視点が同じでないことをネガティブには感じていません」これが私からその心配に対する答えです。教授は「そうね、誰からでも学ぶことはあるけれど…」と。

 

ただ、彼らのこの不満。ゴールが欲しい、それだけはなんだか賛同できないというのが本音です。でもそれが年齢からくるポジティブさな気もしているので、このトピックに関しては無言を貫きたいと思います。

 

「30歳を超えると人生が少し楽になる」

昔ある人に言われたことを思い出します。