大切なのは信じること。友人の言葉。

タイトルの一言は、今日友人が教えてくれた言葉です。

 

昨日書いた年の差の記事。

今日、この2週間の教授のセミナーの集大成としてパフォーマンスを皆で制作し発表しました。無事、拍手喝采で幕を閉じました。ポジティブな批評だけだったのが逆に不満ではありますが。無事、というのは彼らは彼らの不満をぶち撒けることなく、乗り越えたということ。今回もまた多くの刺激を受けました。私も彼らに置いて行かれないように年齢に寄りかからず成長していきたい。

 

「無事」終わりを迎えたセミナー。スタジオで作業していたら遠くから友人が「Kiki~!どうして日本食レストランは昼間は開いてないの〜!ミソスープ食べたいのに〜!」と質問(不満)が。

「日本のレストランはランチとディナーの間に準備中っていう札を出して、文字通り準備や休憩をするんだよ。きっとそのままウィーンに持ってきたんだね。笑」と。

どうして〜!と叫ぶ彼女とウェブサイトを一緒に見ていて、美味しそうだね〜しばらく私も日本食食べてないなぁ、とつぶやくと、今夜いこうよ!となり、他の友人も誘って日本食レストランへ。久しぶりに、いや1年ぶりくらいにそうめんを食べました!美味しかった!だしの味!

 

週末に別のプロジェクトの発表を控えた子達は一足先にスタジオへ戻り、ミソスープ食べたかった彼女と2人でワインを1グラス。クラスのことや国のこと、政治のこと、劇場のこと、男女のこと、制作のプロセス。いろいろなことを話しました。彼女は私に聞きたかったことがあったようです。

「本音で、今回の2週間をどう思う?kikiの本音が聞きたい。どんなことでも。」

 

 

私は正直に、制作のプロセスが皆と違うことが年齢差からきているかもしれないことに時々悩み自分を疑ってしまうこと。自分自身は多くの疑問が常に制作につきまとうけれど、感覚だけで乗り越えているみんな。「違い」がある。自分をこのまま盲目に信じることで、自分を閉じてしまいたくないこと。「違う」ことに理由をつけて排除するのではなく、受け入れ消化することに挑戦中なんだ、と言う話をしました。

 

彼女は「kikiの場合は年齢ではなく経験だと思う。あなたはすでにあなたのスタイルを持っているもの。私は毎回変わる、まだ模索中なんだ」と。

 

私も模索中で、模索の仕方を下手に覚えたんじゃないかと不安があるという話を、本音でしました。経験より成長したい。生まれ変わり続けたい、届くまでは。

 

彼女が言っていた「周りを信じること」「信じることが一番大切」という言葉が胸に迫るものがありました。いつだって自分の制作方法について、暮らしについて、何より周りの環境について疑う方が簡単。だけど、信じて言葉を発することが大切なんだよね。彼女とは「ゴールは自分で決めなければならないけれど、大学にいる数年だけは一緒に旅する仲間がいることに甘えてもいいのかもしれないね」そういう話をしました。

 

もう数週間したら彼女は教授のプロジェクトのアシスタントでドイツへ行ってしまい、そのまま夏休みは国に戻り、そしてそのまま1年交換留学で別のヨーロッパの国へいきます。1年半弱、なかなか会えなくなります。さらに考え事ばかりしている私たちは、筆不精。それでも私は彼女を信じているし、私たちはまた一緒に何かを制作できると信じています。

 

そしてそれだけで、私たちの人生には十分であることもまた、私たちは知っています。