語学マウンティング。

少し前に書いたこの記事。

アザーサイドが見えたのでそちらを追記したく、また開きました。

 

kiikiii.hatenablog.com

 8月は一番仲の良い大学の友達がインターンが終わりウィーンに帰ってきていました。彼女は9月からパリに交換留学するのでことあるごとに「これが最後かもしれないからkiki絶対来て!」の誘いを受け、結局週に1回以上会っていた気がします。でもそこには彼女なりの「ドイツ語を話す機会を作ってあげたい」という優しさも垣間見れるのですが。兎にも角にも、本当の最終日が昨夜のディナーでした。

 

彼女の”またねパーティー”だったので、初めて会う人も何人かいました。

その中に、ウィーンの国立音大生、ドイツ人男性。彼に会ったことで前述の記事の逆サイドが少し見えた…という話です。

 

彼はまず、イタリア人がドイツ語を話すときのイタリア訛りについて強烈なブラックジョークをかましてきました。正直、全然面白く無いよ、そのジョーク。でも初対面だし普通に右から左に受け流し聞いていました。ただ第一印象は悪いですよね、一生懸命話してるんだからいいじゃん、何様だよって思ってしまった。

 

そして1時間くらい経って、私が日本人とわかるとこんな質問をしてきました。

「君はステレオタイプの日本人では無いよね?」

 そんなこと、自分で考えもしないので「さぁ〜?」と適当に流す(もはや彼に興味はない)と、周りの友達が「Nein(NO!)、kikiは違う」とな。それはそれで???

 

すると彼は「うぅ〜良かった!」とこんなことをさらに捲したてる。

「音大には沢山日本人がいるんだけど…残念ながら彼らとは分かり合えないんだよね。ひどいもんさ。いつだってJa!Ja!っていうけどこっちのことを理解してない。理解できてないのに、分からないって言わないからコミュニケーションが難しいんだよ。僕は好きじゃ無いね」

それを聞いて苦笑いで

「私もいつもJaって言ってるだろうな〜」と返しました。周りの私の友達は「kikiはそなこと無い、ちゃんと意思表示できてる」これまた???なフォロー。ありがとう、でも私も言ってると思う。

 

違う言語を勉強したことがない人には想像できないのだと思います。

何がわからないかすら、分からない時がある。でもそれをいちいち止めるより文脈で何か意味を掴もうとするものです、言語の初心者は。だから一旦Jaと言うことがあるし、その場で消化せずに後でもう一度ゆっくり考えるために、一旦会話を聞き流すことだってあります、制作する上で。そもそも、何か理解が乏しい時にそれを全部語学能力のせいにするのも違うと思います。言葉が分からないんじゃなくて、あなたの話の意味が分からないんだよって時あります。

 

私は彼と接して、ていうかあなたのその態度が他の国からの留学生を遠ざける要因でもあると思う…と思いました。そんな外国語のアクセントを小馬鹿にするような人と、音大の日本人学生も仲良くなりたくないだろうよ…と。そんな風に傷つけられるくらいなら、同じ境遇で頑張っている他の日本人学生と助け合うでしょうな…と。

 

語学マウンティング。

海外に出ると違う国同士、中には同じ日本人同士でやりあっているのも聞きます。

誰々はもう〜年もウィーンにいるのにあまり話せない、とか。Kikiはきっと〜より1年後にはドイツ語が上手くなると思う、とか。

 

どうして他人の人生にそこまで厳しいのか、私には全く理解できません。

 

ときどき、音大生も、私のような芸大生もメインはそこじゃないのだということを彼らは勘違いしているな…とも思うのです。言葉がペラペラに喋れるのはアドバンテージではありますが、全てではありません。こと芸術分野は特に。実際私は大学の入試で私を除いて全員ドイツ語はペラペラでした。でもそれは要素の一つであって最重要点ではありません。それを超えるコミュニケーションが存在するということを、体験したことのない人には分からないのだと思います。もっと言えばどこかに属さずとも生きていける可能性のある音楽家や芸術家の人生など、図り知る余地もないのだろうと思います。

 

彼は音大生ですが、音楽でなく言葉で説明しなければならない状況なのだろうか…。もちろん作品について自分の言葉で説明するシチュエーションは本当に多いです。ですがそれにしても、あんなに言語能力についてヤイヤイ言っているのをみると…不思議。

 

以前の記事を読んで、日本人学生は閉鎖的と思われた方がいただろうなと思い、いろいろな側面が複合的にそう語らせることがあるのだなぁということを書きたいなと思いました。

 

私は私について律し正直に生きていく努力をしたいと彼と話していて思いました。