海のポストカード。

悪いことがあると、傷ついて泣いたその後でほんの1ミリ安心する自分がいます。

生きている、と。

 

私は自分の人生の中で、温かい人達に囲まれて生きてきた自負がある。多少家庭環境が複雑であったとしても、社会から脱落し苦しんだことがあったとしても、普通の人が経験しないような読んで字のごとく「死にかけた」ことが2度あろうとも。それでもそのすべて一つ一つをとり出せる程度には「今」を見つめる余裕が私の人生にはまだある。

 

ドイツ語の勉強ばかりで頭おかしくなったんじゃないかと心配されそうな始まり方ですみません。笑

 

でも実際、制作していないと息をするのは難しい。それはこの3ヶ月痛いほど、生きる気力というのは恵まれていればいるほど案外簡単に自分で手放してしまう危うさがあるのだと感じています。ただ、これを書いてる今日もドイツ語の勉強をしていますが、同時に美味しいパンケーキをご馳走にもなりました。(つまりは元気です)

 

以前、キリスト教の友人に「世界は平等でない、なぜそれでも神を信仰するのか」を悩んでいるという相談をされたことがあります。私の宗教観と彼女の宗教観は別物なので、そもそも同じ場所から景色を眺めることは簡単ではありません。

 

それでも彼女とは、同じ立ち位置を互いに探すことができます。

 

時々、ヨーロッパで生活することの一番の窮屈さは「西洋史と宗教」だろうと思うことがあります。すべての物事を、彼らは西洋的眼差しで語っている。そして驚くことにそのことに気がついていない。私の窮屈さの原因は「視線が一つしかないことに気がついていないこと」だとハッキリとそう感じます。

 

そして視線を広げた先のものは「変異」であり「同じ人間という動物のなす生活様式」としては腕に抱くことも難しい。これが世界の仕組みなんだろうか、とふと思うことがあります。そしてこの「似て異なるもの」が共存する可能性に対する信頼のなさと、考える動物である人間のブラックポイントが大きな影となり、時にその日陰の冷たさに人は恐怖を、そして排除を持ち込むのかもしれません。漠然としていますが。

 

自由だけを提供されることなど、まだまだ難しい。

勝手に引いてきた線と線が自由を切り裂いて大地を走っている。

 

人生で「痛み」ほど誰かに触られることも理解されることもないのだということを学んできました。私も誰かの「痛み」を私の痛覚を通して実感することは叶いません。

 

でもだから、人に話してみようと思えるのかもしれません。

この痛みを彼女が、彼が、感覚として苦しむわけじゃないから、大丈夫と。

 

想像を絶する自然災害が母国で起こるたびに、自分の無力さと、そもそも人間は無力だという真実を呆然と眺めるしか出来ない、そういう夏でした。それでも心が痛み、心配になります。あなたの辛さに触れることはないと心の底で理解していても、寄り添いたいと願う感情は自然と湧いてくるものです。

 

ドイツに帰省中の友人からポストカードが届きました。

北海道の地震を心配して、綴ってくれた手紙です。

 

いつも滞在先の観光地的なアグリーセンスなポストカードをジョークで送ってくれる彼女。今回選んだのは、彼女がフランスで撮った綺麗な海の写真でした。そういえば、私は日本の瀬戸内海の景色が一番好きだという話を彼女にしたことを思い出しました。手紙は一度、すべてを書き直した跡がありました。彼女が切手を貼ったその後で、北海道の地震を知ったのだと思います。

 

ここからは極東の。

違うもので。

ここでは深い理解は得られない小さな島国。

 

ドイツ人の彼女がフランスの海を眺めて、

行ったこともない、遠い彼の地の

日本が、北海道が1日も早く元気になることを願っています。

 

私も願っています。

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