恥ずかしくても甘え続けた1年。

ウィーンに来てから、一番堪えた9月が終わろうとしています。

でも、振り返ればギリギリな私を救ってくれたのは、ここウィーンで出会った人達でした。ウィーンで暮らし始めてもう直ぐ1年が経ちます。とても濃い1年でした。なんだか2年ぐらい過ぎたような不思議な気持ちです。

 

10月から3rdセメスターが始まります。

 

結論からいいますと、課題だったB2試験にはまだ合格していません。大学の規定ではその証明書が無いと3rdセメスターが始められないのですが、今回私は特別処置をいただきました。お恥ずかしい話で、ブログで堂々と書くようなことではありません。ですが、同じように言語の壁で悩んでいる芸大生がいればと思い私のケースを残しておこうと思います、恥を承知で。そんな情けない話を長々と書きました。

 

前回書いた、自己責任の話。

 

kiikiii.hatenablog.com

 友人たちとドイツ語の先生たちからの強い勧めで、大学の先生に先週メールを書きました。B2試験に期限までに受かる自信がないこと、その場合にどういう手順が必要なのか、エキストラセメスターを取った場合のことなど、すべて洗いざらい書きました。

 

先に断りをいれておくとB2試験に合格→大学入学試験を受験という流れが一般的な留学生の手順です。私も当初はそのつもりで、昨年の入学試験を「お試し」で受けに行きました。年に3人しか受からない上に、4日間の実技試験の内容が全く公開されていないので、現地に行くより他ありませんでした。まぁ、そんな狭き門だということすら1年前は何も知らなかったのですが。無知にもほどがあります。兎にも角にも、何故だか合格してしまい、日本で奨学金を支給していただけることも決まり、ぼんやりとウィーンにたどり着いてしまった。幸運すぎるが、無計画すぎる。

 

そんなわけで、ドイツ語がどのくらい難しいかも知らずに始まったウィーンライフ。なんとか付け焼き刃で乗り切ってきたけれど、いつまでも、それではいけないわけで。

 

話を戻して、その私のお恥ずかしいメールに先生は即レス。まさに即レス。

「あなたが混乱している気持ちを充分に理解しているから安心して頂戴。そしてあなたが悩んでいること、問題を私たちにオープンにしてくれて嬉しい。あなたが話してくれたから、私も対策を取れます。詳しいことを話すために月曜日に会いましょう」

 

鼻で笑われそうな私の現状。優しすぎる…。

 

そんなわけで月曜日、先生に会いに行ってきました。

一つずつ、ビザや奨学金の問題などを書き出していき(家のことまで心配してくれた)先生が大学に掛け合ってくれる、ということで話はまとまりました。でも今までそんな猶予もらった生徒が居ないことを私は知っているし、先生も正直定かではない。でも「誰に相談すればいいか」はハッキリしているから安心して、と。そしてよほど不安げだったのでしょう。別れ際に「何があっても、どうにかなるから安心して。大丈夫よ。教授もそう言ってるんだから」とぎゅーーーっとハグをして別れました。

 

10代の若者でもないのに、情けないです。そう言った私に先生は「法律も言葉も違う国で生活している以上そんなの当たり前よ。あなたは遠慮ばかりするけれど、そんなこと忘れなさい。私たちがしているのはただの”お手伝い”よ。そして例え特例だらけだとしても、気にしちゃいけない。周りなんて気にしないで。自分のことを優先して考えなさい、ね」と励まされました。

 

そして火曜日。夕方スーパーにいるところに先生から電話が。

「解決策が出たわ。来年の4月まで語学証明の提出期限が伸びます。そしてあなたは3rdセメスターをこのままスタートできる。だから明日オフィスに手続きに行ってね」

 

びっくりしすぎて、「oh....本当に??」しか言葉が出ませんでした。

先生は大学の所定の管轄の担当者に、私について色々と説明し尽くしてくれました。私が夏に行っていた語学学校の修了書もメールで送り、大学での1年目の成績表もすべて確認した上で担当者から特別許可が下りたとのことでした。先生が言うには1年目の成績が良かったこと。何より必須単位をすべてドイツ語の授業にもかかわらず取れていたのが決め手だったとのこと。同じ状況の学生の相談は他にもあるけれど、大抵は大学の単位も全く取れていないので残念ながら判断のしようがない。今回はその成績を見て、時間があればドイツ語もB2に達するだろうとの見解で猶予を与えてくれたそうです。

 

一気に力が抜けて、もうありがとうございます、としか言えませんでした。

私の頭の中では、B2受からない→学籍証明が出ない→ビザの更新に間に合わない→奨学金が止まる→日本一時帰国、というシナリオがぼんやりとチラついていました。

もちろんギリギリまで諦めずに。B2試験は10月にも受ける予定で申し込み済み。でもどうにも受かる「自信」がありませんでした。

 

翌日大学のオフィスへ手続きに行くと、話がすでに通っていて学生証を見せただけですべてが前に進みました。今日、無事に冬セメスターの学籍登録証明書が発行されました。これで健康保険の更新、ビザの更新へと進むことができそうです。

 

周りで心配をかけていた友人たちに連絡をし、特にパリにいる友人はビデオメッセージで安心した旨返事をくれました。そして来週からの授業に向けてウィーンに帰ってきた同級生たちと昨日はカフェでお茶。「いや〜ホッとした」と胸をなでおろす姿を見て、どれだけ心配かけてたんだろうと…。

 

期限が伸びたのは奇跡。絶対にこのチャンスを無駄にしてはいけない!!

切羽詰まっていた感情からも解放され、もう一度、今度は前向きな気持ちで年内のB2合格を目指して頑張ろうと思います。おばあちゃん、ちょっとウィーン覗きに来たら、私の情けない姿を見て心配しているだろうなと思います…もう隠せない。笑

 

海外で他の言語で芸術を専攻している留学生は、やはり他の分野の学生とは「判断」される基準軸が多少擦れます。特別だとかそういう意味ではなく。言葉がツールの学問を持つ学生からしたら、今の私の状況は「怠慢」以外の何者でもないでしょう。むしろB2ならクリアしろよ!くらいに言われるだろうと思います。ですが、恥ずかしいと自分と周りを比べていても私の、そしてあなたの人生は辛くなるばかりです。もし「言葉」以外の表現ツールが「言語」として機能し、そこで勉強している意味を見出してくれる環境にあなたがいるのであれば、私のように恥ずかしいという気持ちは捨てて、相談することで色々な解決策が提案されるだろうと思います。

 

私が想像する何倍も、彼らは簡単に諦めることを選択しません。とにかく出来ることはすべてするし、大きな声で助けを求めますし、助ける。

そして私にも「誰にも相談せずに、そんな簡単に諦めるな!!」と。

 

この1年で「人にとことん甘える」ということを覚えてしまったような気がします。

1年間絶え間ない優しさの中で助けられ、やっと「日常」が流れていることを感じます。辛くて、一生で一番泣いた、そんな1年だったけれど、それも全ては自分の不甲斐なさからくる辛さだけ。自分が成長することで、子供のように泣くことも減るだろうか…。

 

日本にいても、ウィーンにいても、いつも人に助けられ生きている。

私の人生はどこかで、このお返しが出来るようになるだろうか。そうなれる日を信じて一つずつ、進んでいきたいです。

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もらった手紙を貼っては、自分の今を確かめています。