Schwarz を勧めてくる人は信じない。

最近頻繁に会っている友人がいます。

 

彼はもう今セメスターが最後で、今は卒業制作真っ只中。私は彼の撮る写真も、絵も、制作プロセスも、人柄も大好き。彼の眼差しの先にある世界は、私の中の「美しい」に直撃、グラグラと揺さぶりかけてきます。ずっとその話を聞いていられる、アーティストとしてとても尊敬している人です。彼も私の制作物が好きだと言ってくれる、感覚的にとても合うのでついつい週に何回もいろいろ意見を交換したくなってしまうようです。何より私が手伝える分野があるのも嬉しいです。恋に発展する気配など皆無なのが私たちらしいです。笑

 

彼は私が入学するまで、クラスで唯一ビザを申請して滞在しなければならない外国人でした。教授にとっても、先生にとっても、そして周りの同級生にとっても、それがどういう状況なのか理解してもらうのに随分と時間を有したと言っていました。彼も私と同じように「助けて」と大きな声を出すのに抵抗があった人。だからこそ、まだ知り合って1年の私に、とにかく親身になってくれます。

 

夏にたまたま大学のオフィスで会った時。私がとにかく落ち込んでいて元気がなかった。心配した彼は、次のアポイントに行く電車の5分間にとにかく沢山のアドレスを私に書いて渡してくれました。「お金に困ったら大学のここの機関に相談に行くこと。この先生はいいドイツ語の先生だから、今も教えてるか聞いてみる。住居に困ったらここでしょ…」と。そしてドイツへ仕事で帰るけど、いつでも連絡してね!とぎゅーっとハグをして別れました。

 

そして今も、「kikiこうするといいよ。これがいいよ」と具体的なことをいつも提案してくれます。そしてその提案は全てギリギリでもなければ法にのっとった真っ当な方法です。彼は決してギリギリな状態でも線は越えてこなかった、だからその真っ当な方法を沢山知っているのです。

 

 

こちらの友達や先生の問題解決方法はとにかく具体的です。悩みや問題を紙に書き出し、とにかく具体的に今すぐ可能な解決方法を提案していく。わからないことは確認して、あらゆる可能性を探す。親しい人ほど危ない橋など提案してきません。

 

ですが、もちろんそうでない人もいます。タイトルのSchwarzはドイツ語でクロ、つまりは法的にアウトなことを意味する時にも使います。英語で言うunder the tableと同等の意味で使われます。なぜこんなことを書こうと思ったのか。これは私からのささやかな提案です。海外生活をしていると時々「自分がどれだけギリギリで、危ないことにも臆さず乗り越えてきたか」や「どれだけ苦労してきたか」を自慢する人がいます。特に日本人を含めて現地人ではない人に多いと思います。でもそれは、後から語っていることであって、あなたが今から同じことをして大丈夫な保証などありません。さらには時に人は話に味付けをするものです。日本で生活している時以上に、そういう話には気をつけて欲しいです。

 

例えば、カナダで私はカナダ人と同じ雇用条件でアルバイトしていました。休日手当も、有給も残業代も付きました。時給の見直しも定期的にありました。そしてその条件で働いている日本人のワーホリの人はとても少なかった。田舎町では会いませんでした。私が特別優秀だったわけでは決してありません。断言できる。ラッキーだったかもしれない、でも1ヶ月で少なくとも30社に履歴書を出したし、手で配った数を入れたら50近いかもしれません。おそらく、唯一違ったことと言えば「自分で可能性を狭めなかった」それだけのような気がします。就労はある種のお見合いです。お互いに選ぶ権利があります。だからその権利を放棄する前に、真っ当な方法を一度全力で試して欲しいと思います。

 

法律は完璧ではありません。法の抜け穴をかいくぐってでも生きていく逞しさを批判しているわけではありません。それこそ、その生き方を私と同じ強さで信じている人もいるでしょう。でも、もし自分にはそういうことはうまくコントロール出来ないと思うのであれば、無理せず根気よく真っ直ぐな方法で頑張って欲しい。私は自分がくじけそうになった時に、「自分に嘘をつかずに生きることの方が大切だ」と言い聞かせています。作品で社会へ何かを投げたいのであれば、私はその社会のルールを知らなければいけない。その中で生きてるからこそ、矛盾をつかめると思っています。

 

今朝、新しいルームメイトがSchwarzでも働けるよ、とさらっと言いました。今夜、仲のいい友達と夕食を食べながらその話をしたら「はぁ?」と顔をしかめました。誰を信じるかは自分で決めるしかありません。どうかそのアンテナだけは腐らないよう願うばかりです。