口はひらけど、たまに疲れる。

おはようございます。日本はもう朝ですね。ウィーンは深夜です。

ようやくビエンナーレの映画マラソンが最後を迎えました。見終わりました11本!暫定1位は変わらず!1週間で他の授業も合わせたら合計20本は見ました。フィルム専攻じゃありません。フィルムの人たちは1日何本見てるんだろうか…。

 

今日は朝9時半に図書館へ行き、11時からの授業に出て、15時から美術館に移動してチーフキュレーターのレクチャーを受け、18時にアトリエに戻り、21時から最後の映画を見て帰宅。もう朝の図書館で見た資料は記憶の彼方。またいかなければ…。

 

忙しいアピールがしたいわけじゃありません(ちょっとあるかも、誰かに労われたい日もある。笑)が、何が言いたいかというと朝から晩まで人に囲まれ、ドイツ語か英語でひたすら意見を述べている日々だということです。

 

そう…意見を述べるのに疲れている!

 当初はこのディスカッション、ディベート文化に馴染もう。私も意見があるタイプだ!と頑張っていました。実際おそらく、それなりに自分の意見はあります。ただ、どうもキャラクターというか制作する日々を送るようになってから「今は話したくない、特に進行していることについて」という波が定期的にやってきます。

 

でも時すでに遅し。私はすでに周りの人に自分の意見を述べ、常に制作について「説明できる人」という認定を受けています。どうにも「話すことがない」という言葉を信じてもらえません。同級生のブリティシュくんがとても羨ましい。彼は一切エクスキューズをしないので有名です。プレゼンに不参加な時も「参加できない」の一言。私の解釈が間違っていなければ、ヨーロッパで理由を説明しない、言い訳をしないというのは中々の珍種です。大抵は「それは理由なのだろうか。堂々と主張できるの驚くわ!」ということをとにかく真剣に説明され、そして説明があれば相手も何故か「そうか」となるわけです。日本の自己責任文化に馴染んだ私は、時々「oh...!」と心の中で驚いています。堂々とあんな風になりたいかは、ちょっと疑問ですが生きるには正直で、色々と楽なんだろうか、とも思います。

 

さて、そんなわけで、私はブリテッシュくんのようなミステリアスなアジア人になることは出来ず。そして教授からクラス中の人にもれなく「kikiはとにかくず〜っと制作のことを考えているハードワーカーな変わり者」だと勘違いされています。いくら強く否定しても、改定されることなく今に至ります。疲れた日は1時間、頭をからっぽに猫動画を見ていると言っているのに…その猫動画を制作に生かしていると思っているのだろうか…なんなら韓国屋台の動画も見ている…それも話しているのに…謎である。

 

昨日、教授との全体ミーティングがあった。制作についての進行状況についてのシェア。私はどうにも息詰まっており、思考だけで見せられるものがなかった。最初に順番が回ってきて、正直に「今日は何もありません」と言ったが、結局また最後に私の番が回ってきた。「あなたは考えているはずだ」と、嬉しいような困ったような、そんな信頼から「今日はない」を信じてもらえませんでした。トホホ…。

そしてもう一度「スタックしている」と説明したけれど、そしたら今度は「kikiがスタック?!嘘だろう!」と周りに心配されました。どこまで優しいんだ。笑

 

ここまでくると「意見を述べるのを今日は休みたい」というわけにもいきません。クリティック抜きに映画や音楽、芸術に浸りたい、そんな時もあります。

 

今宵も猫の動画でも見て、言葉を持たない自由について考えようと思います。笑