せめて後厄ってことにならないかな。

母が知らない間に3週間も入院していた。退院したからと、早朝連絡が入っていて、それを見た瞬間からもう…慌てて電話をして、最悪のケースには至らなかったと言う現状を聞かされた。手術になったら連絡しようと思っていたと言われて、でも、あぁよかったともならない。

 

日本に住んでいていも、同居していたわけじゃないので、下手したら半年に1回くらいしか直接顔を見ることはなかった。つまりは、日本に住んでいたって、同じように知らずに生活していた可能性はある。でも日本では知らせがあればすぐに夜行バスでも、なんでも駆使して会いに行けるだろう。母だって心細い入院中に我慢せずに連絡してきたことだろう。

 

私は今、ビザ更新の審査待ち。その間に前回のビザは切れていて、今は審査中の紙だけ。MA35には問題ない、時間がかかっているだけだ、と言われたけれど(すでに1ヶ月音沙汰がないので聞きに行った)…もし今すぐ日本に帰りたいってなったらどうなるんだろうか…。日本大使館に聞けば教えてくれるんだろうか。他の国の大使館はビザの問題があれば通訳や弁護士を紹介してくれ、ずいぶん親身だなぁと思う話を大学で聞いているけれど…日本の大使館は基本的に移民局に聞いてくれの一点張りらしいという噂しか聞かないので、追い打ちで落ち込むために電話をして尋ねるのも気がひけるってもので…。

 

とはいえ、今回大丈夫だったけれど、ここを境に母は持病をまた一つ発症したことになる。父は数年前にステージ4の癌から奇跡の生還した身体。健康とは言い難い。

 

私は今日も紙とインクと時間を大量に消費しにアトリエに向かい、将来覚えてないだろう音楽で耳を塞ぎ、夜中まで作業していた。朝の電話から胃の痛みは主張を弱めない。

 

30代で海外に飛ぶというのは、人生における最大の後悔と背中合わせだ。

いや、後悔っていうのはいくら気をつけたところでやってくる。わかってる。

 海外生活で、母に初めて「3日でいいから2月に帰ってきてほしい」とお願いされた。今まで「その時が来たらもう仕方がないんだから気にするな」と言っていた母だからこそ、そういうほどに弱っているのだと思うと、今更ここで何をしているんだろうと言う気持ちで頭がいっぱいだ。

 

それでも、私は明日のフライトで日本に帰るわけでもない。

母だって、初めての長期入院で弱っていて、最大に深刻なわけではない。

 

物事が大きくのしかかり気味なのは、どうにも黄色人種の染色体が短いせいだと思いたい。ここで生活したところで、私の染色体が欧米人並みに長くなり、楽観的になれるわけでもないだろうに。

 

昔バーで隣り合わせになった60歳のマダムに「あなたは母親に依存しているかと思うほどに絆が強いのね、不思議ね、自立しているのに」と言われたことがあるが、まさに的を得ている。この30数年ずっと関係が良い訳ではない。むしろここ数年改善されたのだ。だからこそ、昔を取り戻すかのように、より執着してしまうのだろうか。

 

母イマーゴ、不在の経験だろうか、ラカンさん。

 

兎にも角にも、また月曜日にめげずにMA35に行って、今の状態で日本へ渡航する場合について聞いてこようと思う。どうかご機嫌でありますように。

 

あれもこれも後厄ってことで、あと1ヶ月頑張るので、もう少し軽やかな人生お願いします、ラカンさん。哲学者にお願いしたい程度には、疲れてるようです。でも、せめて出来ることはするべきなので、明日もアトリエ。母に連絡。こんなブログばかりであれなので、次はもう少し明るいのを!散々書きなぐっておいてあれですが、胃が痛くても、ご飯は食べるし、今日も笑いました。私はとことんタフなんだと思われます。うん!ご心配おかけするとわかっていながら、今日もするっと投げ入れます。