簡単に褒め言葉を発してくる人アレルギー。

実は大学の教授陣の中で、唯一苦手な先生がいます。今日はそんな話です。

 

セメスター最後の1週間は建築図面を起こす授業で埋まっています。建築図面は今やAutoCADなんかのプログラムを使って書きおこすのが主流ですが、アナログに手書きのパターンも同時に勉強しています。夕方までアナログ版の授業で、夕方から夜までAutoCADの授業をみっちり受けています。

 

私は芸術建築学科のScenographyのスタジオで勉強しています。建築要素を勉強する必要があれど、耐震やそれこそ消防法とかやりませんし(たったぶん!)。インスタレーションやパフォーミングアーツの分野に隣接と云うか足を突っ込んでいるというか、まぁScenographyなんですが、技巧系の授業はこの2つくらいです。重たいのは。この授業を受けていると、つくづく建築専攻でなくて良かったと思わされます。

 

永遠と線を追う集中力がないというのもあります。身も蓋もないですが。

でもそれ以上にどうにも、アナログ手法を教えてくれる建築分野の先生と相性が悪いんです。こんなに的確に私の気持ちを突落せるのは彼女くらいかもしれない。笑

 

 私視点ですが、彼女はいわゆる「太鼓持ち」的なキャラクター。

教授に対する太鼓持ちっぷりはあっぱれなのですが、それ以上に学生に対しても小太鼓あたりを鳴らしてきます。変な表現ですが、普段周りにそういう人がいないので、彼女の集中講義が始まるとそれがどうも気になって落ち着きません。

よっと持ち上げるけれど、持ち上げてるだけで実際の本音が違う人なので、いざ課題も最終段階となったあたりで急にひっくり返すような駄目出しをしてきます。私はそれに振り回されるのにあ〜うんざりってなっちゃいます。駄目なら駄目で、最初から指摘してほしいし、もう一つ言いたいことといえば「あなたの望むものを描かなければならないなら最初からそう言ってほしい」ということです。

私が想像するに、普段ヒエラルキーの中で生きることが自然な人は、他人にもそれを自然と課してきます。彼女の授業だけ、なぜか「彼女のビジョン」にピッタリはめるまで、終了を向かえられません。

 

これは私がこの授業が苦手だからかなぁ、言葉が拙いからだろうか、と実は1年一人で小さくストレスを降り積もらせていました。でも最近、それが彼女のキャラクターだということがわかりました。相手がどれだけ製図が得意な学生であろうと「彼女だけが正解」という状況は変わらないのです。

 

これだけ書き連ねると、だったら彼女の満足するようにうまいことやればいいような気がするのですが。厄介なのが、上辺はいい人風なところです。本心が見えないので、何を要求されているのかもイマイチよくわからない。そして、1年の付き合いで思ってしまいました。本当にいい人は上辺など繕わないので…いい人じゃないんだろうなって。

 

割とあ〜もうこの人苦手だわっていう出来事がありました。

前述したように、最後の手のひら返しが嫌なので。なんとか最初から本音を言ってほしいと思い、ちゃんと「意図がわからない」と聞くようにしています。それでもわからない時はドイツ語のせいだろうか?と思って最後の手段で英語で聞いてみます。だって彼女は、やたら私のドイツ語の上達を褒めるのに日常会話を英語でしてくるのです。今やクラスで日常会話を英語でしてくるのは彼女だけです。だから英語も有りかというと「今はドイツ語がベスト」と私が英語で質問しても、一番肝心なことはドイツ語以外では話してくれません。イギリス人の子には英語で説明するのに。だったら普段もドイツ語だけにしてほしい。言語ですら私に何を求めているのか。私が彼女を苦手だと思っているように、彼女も私のことは別に好んでないのでしょう。噛み合いません。苦笑。

 

こんなに噛み合わないのに、他の教授陣の前で私をやたら褒めたりします。もはやミステリーに近いレベルで 、私は混乱の中。この人なんでこんなに軽く心にもないこと言うんだろうって。あっ辛口ですいません。

 

今朝、アトリエに向かいながら。このやたらと簡単に褒め言葉を発してくる人アレルギーについて考えてしまいました。褒め言葉より、必要な会話がしたいんだよ、私は…。でも、よく考えたら、今までそんなこと気になったことなかったんです。

 

私はどうも頑張っている人に見えがちなようで、実はそれも小さな悩みです。自分でそう演出しているつもりは毛頭ないのですが、20代以降「いつも頑張ってて偉いね」と云う言葉を日本人の友人にかけられることが多いです。不思議なのが私が何をしているかについては興味もなさそうだし、実際何をしてるかなんて知らない。そんな人によく言われることです。最近そんな挨拶的なお世辞がちょっと気になるようになったのは、つまりはそんなお世辞と無縁の環境に自分がいるからかもしれません。

 

私も今まで、よく話も聞かずに「頑張ってて尊敬するよ」なんて言っていたのではないだろうか。発していた時は、その人が好きで上手く付き合いたかったんだろうけど。今は、それはあまり優しい言葉ではないなぁと思うようになりました。

 

ちゃんと話を聞こうと反省しました。相手の今に興味を持って、ちゃんと耳を傾けて、質問して、キャッチボールすることの方がよほどコミュニケーションとして心が通うような気がします。別に私が誰かにコメントする必要など、そうそうありません。

 

 そんなモヤモヤを抱えて、夕方からはAutoCADの授業へ。こちらの先生はさっぱりしていて「さぁて、kiki今の説明わかんないだろう」と隣へやってきます。本当にわからないことが多い授業なので、同じことを何度も聞いてしまいます。申し訳ないと思いつつ、根気よく教えてくれるので苦手でも気負わずに集中できます。同じことをPCか手書きか、それだけの違いなのに自分自身の理解度の差に密かに驚いています。さっぱりした先生ですが、時々、ちゃんと理解しきれて描ききれた時には褒めてもくれます。当たり前ですが、この場合はとても嬉しいです。

 

苦手な人と好きな人。

アップダウンの激しい1日を1週間毎日過ごしているわけです。とはいえ、どちらの授業も必要なこと。先生が苦手だろうが、さっさと単位を取ってしまおう。そしてお目にかからず済むようにするのが一番平和な解決策でしょう。

 

まぁ、でも。社会人で働いてて、職場で毎日そんな人に顔を合わせることもあったし。ママ友で嫌でも顔合わせるとか、さらに大変だろうなぁ…。今の大学での友人関係にそういう人がいるわけじゃない。こんなストレス大したことありません。うん。

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今週はずーっと肩を丸めて図面を描き殴っているので、肩こりがひどい私たち。