年の差リレーションシップ。

私は年齢が離れているクラスメイトと生活する上で自分に意識して課していることが一つだけある。それは経験を振りかざすようなことだけは絶対にしないこと。

 

不思議なもので、私自身は自分より経験豊富な人の話を聞くのが好きだけれど、自分はそういうのは出来ない。日本にいた時も今も60代くらいの人と仲良くなりがちで、インターネットのない時代から今の世の中まで生き抜いてきた人の話は、私には宝物のようで楽しい。知らないことを教えてくれるのは面白いし、率直で柔らかいアドバイスもくれるので年上の人と話すのが私にとっては一種のセラピーみたいなものだ。こんな風に自分も柔らかく人生を生きたいと思わせてくれる。ただ甘えたいだけ、というのもあるけど。笑

 

素直でいることや、オープンでいることが私にとってはとても大切。でも残念ながら私は出来た人間ではないので、自分を奢ってしまうところがある。そしてそういう所がもっとも私が私の中で嫌いな所だ。だから、何かを教えたりするのが兎に角苦手で、自分が出来ることを掲示する時間は常に、私偉そうじゃないだろうか、大丈夫だろうかとネガティブな気持ちが支配する。そんなわけで、それが最大のストレスなので、そういうこととは今は関わりたくない。いつかバランスの良い、私の大好きな60代の先輩たちのようになれたら、さりげなく相手に渡せることもあるかもしれない。そうだと良いなぁと言う気持ちはある。

 

さて、話が見えないけれど。

そうは言っても、現実問題。一回り分多く時間を過ごした私は、私のクラスメイトより単純に技術や経験、知識と言う部分で「知っていること」がある。そんなの簡単な算数だ。12年分多く本を読み、人と出会い、移動した。そして日本とデンマークでその教育を受け、日本とカナダで働いてきた。彼らが私と同じ年齢になれば、むしろ私より豊富に多くのことを知っているに違いない。ただ私たちのタイムラインが重なることは永遠にない。

 

「完成」のラインが学生しか経験していない彼らと違う所にあることが多い。

 

個人的なプロジェクトをやる分には問題ないのだけれど、誰かと組む場合にはこの「完成ライン」を共有出来ないので、割と毎回悲惨な気持ちになる。その相手のことは大好きだし、自分が同じ年齢だった頃と比べれば、それはもう当時の私よりは立派である。でも私はどうあがいてもその頃には戻れないし、だけど彼らにそれを押し付けるわけにももちろんいかない。何より誰かをコントロールするようなことは一番避けたい。

 

 繰り返すけれど、ただ知っているだけのことが正しいとは思わない。

経験したことがあるから、その経験が正しいとも思わない。

技術がなければ超えられないかといえば、そうじゃないとも思う。

何より、今まで幾度なく、一回り若い彼らの言葉に助けられてきた。彼らのハグに沢山それは何度も救われてきた。年をとって知識があるから自分が正しいなんて思えるわけがない。

 

そもそもそう思うのに、反面、完成ラインが常に自分の中に存在してしまうことに対する自己嫌悪があるのであって。ただそれは正直譲ってはいけないことでもあって。故にグループワークには気軽に参加できないし、あんまり好きでもない。

ある種、学生特有の問題でもある。

将来的に何かのプロジェクトをやる場合は役割の違う人たちが一緒にチームになる。その場合には持ち回りが違うので、上手く運ぶことが多い。けれど同じ立場を目指している同じ専攻の学生同士でグループワークをするということは簡単に言えば1つのデザインに対して10人テイストの違うデザイナーが一緒に1枚の絵を書くことで、そんなの、全員が同じ比重で上手くいくことのほうが奇跡に近い。

でも学生だから、作るものが適当で良いなんて思えないし、そんなの悲劇だ。

 

えぇ、お気付きのようにそういうわけで。現在進行形でそんな暗雲立ち込めるプロジェクトを抱えています。

 

私がグラフィックの素養があるからと先生から頼まれた本の制作に、クラスメイトが私もやりたいと参加しているのだけれど。いかんせんグラフィックの勉強をしたことがない子なので、お互いの完成形にズレがある。で、なんか面倒な気持ちと、偉そうって思われたくないという自己愛から、もうその素人クオリティでも良いかという気持ちになって。何より言葉が拙い私を彼女が信じていないのも感じている。グループワークのキーは信頼関係なのに、私の言葉が拙いせいで、彼女にそれを感じさせてあげられない。だから彼女は自分の別の友達の名前を頻繁に出して「私は出来ないけどマリーなら分かるから」を連発する。私のドイツ語が原因とはいえそれを聞くたびに「彼女は私を信じてないなぁ」と感じて、なんかいたたまれない気持ちになる。で、ウンウンってうなづいて彼女のご機嫌を伺ってしまう。こうしたら出来ると分かっているけれど、どこまで口に出して良いかもはや迷路に入ってしまった。

 

ただ、なんていうか。

これを一回してしまうと、今後グループワークにおいて、私にとって、正直作った意味のないものが蓄積されることになる気がしてきて。そしてそれは、ここでドイツ語に首絞められながら勉強している自分に対する最大の冒涜のような気すらしてきた。もちろん上手く皆んなと仲良くやることは大事だけれど、それはイコール、グループワークになった途端にYESマンになることじゃない。

 

 

欧米人の女性は強い。

私も本当は同じ強さで付き合わなければいけない。その方が相手も付き合いやすいことも分かっている。でもどこかで日本人的な柔らかいコミニュケーションを維持したい気持ちがある。私は別に欧米人のように自己主張が出来る人になりたいかと言われれば、そうでもない。むしろ日本社会においてはすでに十分主張は強いタイプだ。

 

ちなみに余談だけれど、オーストリア人よりドイツ人の方が主張が強いというのが今のところの私の統計です。何人でくくれるものではないけれど、得てしてオーストリア人の言い回しはドイツ人より柔らかく感じたり、逆を言えば曖昧に感じることもある。でドイツ人ははっきりしていて、ぱきっとしている。私には刺激が強くてなかなかの殺傷能力でドイツに住む勇気はまだ湧かない。これも逆を言えば押し切ってくれる強さがあるので味方としては心強い。ただ責任感においては日本人は中々にストイックだと最近気がついた。日本人はどMかもしれない。そなわけない。超余談。

 

さぁますます話が見えませんが。

we'll see.

ここに意味不明に書きなぐったことにより、まだ諦めるには早い。

明日もう一度彼女と話してみよう。押し付けなくとも、私の知っていることをシェアする方法があるはず。そしてこれを乗り越えれば、まだここで3年は勉強する私にとっていいターニングポイントになるかもしれない。

 

…とりあえずドイツ語の復習して寝よう。

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ウィーンにも春の気配です。