3月に落ち込んで大変だった時に母がお好み焼きセットを送ってくれた。中身は五百円そこそこだけど送料はなんと四千円。一番早い便で、高級お好み焼きセットに化けた代物が手元に届いた。
先週から教授の集中講義で頭がパンクしているにもか関わらず、でもなんだか去年に比べれば落ち着いたもので。そういうわけで、少し暖かくなった今日、友達を誘って公園にピクニックに行ってきた。小脇に赤ワインとお好み焼きを抱えて。お好み焼きが大うけで嬉しかったので、母に写真を撮って送信。
14時に集合して、気づけば21時までしゃべり倒してきた。
3月に大変だった時に支えてくれた彼女は今年の入試に受かって、夏にイタリアのホームでBAを終えたら秋から正規の学生として私たちのクラスメイトになる。合格発表の時、うれし涙を流していたのを見てもらい泣きしたものだ。最初は短期留学制度でやってきた彼女も、今では私たちのファミリーで、イタリア人らしいと言ったら語弊があるけれど、明るいその気質は私たちにとって欠かせないものになっている。例えば寝坊してもボイスメッセージで「I am so sorry to be late~ but I want to take a shower~ and~」って歌が送られてきたり。遅刻しようがウクレレは忘れなかったり。
たくさん、それは沢山、4人で色々なことを話した。
金曜日の夜にアトリエで会った4年生のルーマニア人の友達も誘ったのだけれど、それは彼女がここ最近元気がなかったから。なんだか塞ぎ込んでいたから、誘っても来ないかもと思いつつ、でも声かけてみたら、来てくれた。そしてやっぱりここ2週間相当鬱々していたことや、悩んでいることを話し始めた。彼女が話そうと思ってくれたのはきっとイタリア人の彼女の存在が大きい。私とイタリア人のその彼女は、よくお互いの悩みを話してはどちらかの涙をシェアしている。泣きたい時は一緒に泣こう!をモットーに手をさすって流してしまう。そうすると、さて、美味しいお茶でも入れて作業に戻ろうと言う気持ちが湧いてくる。彼女は明るいけれど、繊細で、まっすぐだから、何を話してもバカになどしないという安心感がある。ルーマニア人の彼女が悩みを人に話すのに抵抗があることもなんとなく感じていたけれど、今回は彼女の明るさと、赤ワインとお好み焼きで気持ちがほぐれたみたい。お好み焼きをとても気に入っていたもの。
そんな冗談はさておいても。
いつも週末一人で寂しいと行っていた韓国人の友人も含めて、同じことを勉強しているからこそ話せる具体的な悩みをみんなでシェアできて、明るい気持ちで「また明日ね〜」と別れてきた。
私が言語でジャッジされるように、私も簡単に他人を言語でジャッジしていたことに最近気がついた。私のクラスメイトたちがドイツ語も英語もペラペラなことを理由に、彼らは私より楽に勉強できていると信じていた。でも、言語というのはあくまでツールであって、ネイティブみたいに喋れても当たり前だけれど悩みはある。もし私たちのサブジェクトがドイツ語だったら話は違うのかもしれないが、あくまでドイツ語はツールだ。そんな単純なことに気がついてから、と言うか実際は教授からは口を酸っぱくそう言われていたけれど、今はドイツ語は続けていくことでどこかで楽になる日が来るんだから、もういいか。そんな気持ちが芽生えた。それが多分、去年と一番違うところで、今の私が日曜日にピクニックでもしようなんて自主的に思えるようになった理由のような気がする。
秋で2年。
そういえば英語が急に楽になったのも2年を超えたあたりからだった。今回のセメスターでは少し自分を解放して、少し甘えて、やっとバランスが取れてきた。外国人である足元のグラグラはいつまでも私を不安にさせるけれど、それよりも今をちゃんと噛み締めようと思う。先のことはわからない。どんなに準備しても、どんなに万全だと信じても、どこかしら綻びというのはあるものだ。
韓国人の友人が言っていた。一人では何もできない、私も手伝う、誰かが私を助ける、ただそうやって私たちは成長していくしかない。
その通りだと思う。
こちらは別の日。自分を徹底的に自堕落に落とし込んだ日曜の深夜のカフェ。
甘くてしょっぱくて、平行する強烈な味覚にしびれた。
I lose the balance to keep the balance. 今の私のプロジェクトテーマである。