3年目のウィーン。


 3年目に突入しました。通常運転でセメスターがスタート、と言いたいところですが、周りはただいまヨーロッパ各地にプロジェクトのため離散していて、なんとも静かに冬セメスターはスタートしました。それでも新しいアカデミックイヤーの始まりでもあるので、入学してきたフレッシュな顔ぶれでちょっと華やかでもあります。

 

2年前の今日は最初の1週間が終わって、お米を食べて、という日だったようです。

 

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 覚えています、とっても鮮明に。全然美味しくない中華のファーストフードみたいなお店で、食べ切れなさそうな、8ユーロもするご飯をかきこみました。それでもなんだか、あたたかいお米だから美味しい気がして、ちょっとホッとしたのを思い出します。もう、あれ以来、あの観光通りには行っていません。

3年後の私は、友達の卒業制作の最終リハーサルのためにアトリエへ行き、お昼はその子と、日曜日でもやっている中華屋さんで餃子を食べました。2年前と違うのは、もうそこは馴染みのお店で、5ユーロで、お腹いっぱい美味しい餃子が食べれること。私たちの生活圏にある、いつものお店で、毎日会う友達と、会話がなくてものんびり食べれること。お腹を抱えてアトリエに戻り、自分の作業をしていたら、教授とコピー機の前で会って「日曜日なのに」とお互いに言い合いながら、彼女がぎゅっとハグしてくれる。

 

夜は今回のオペラの台本が読み切れない、一緒にサマリーしてほしいという要請を受けて、その友達の家へ。ちゃっかり夕食をご馳走になって、19時からサマリースタート。私は原作の小説を夏の間にドイツ語、日本語、英語、とさらっていたので原作との違いに行ったり来たりしながらみっちり2時間。骨組みが見えて、あとは自分でもう一度読んでみる!という明るい表情の友達に安堵。お茶を飲んで、外に出たら、もうウィーンは冬でした。

 

秋物のコートが1週間しか用無しで、そそくさとクローゼットに帰っていくのも、もうそういうもので。春も秋も、猛ダッシュの全力疾走で駆け抜けるウィーンの、長い冬とまた上手に混線していくのでしょう。

 

まだまだカオスな文法で、発音で、それでも生活の9割はドイツ語になりました。

最初の教授とのクラスミーティングで「kikiが夏にリサーチ済んでるから、聞くといいわ」を連発されながら、そういえば2年前も本当は私はこの立場を期待されてたんだよなぁとぼんやりと思い出しました。でも当時の私はドイツ語は愚か、大学生活が初めてで、右も左もわからず、何一つ「期待に応える」ということには至らず、程遠いところで、最初と最後の5分の英語の説明を頼りに講義や議論に参加していました。

 

2年経ったんだな。

目に見える成長を自分で実感できるのは、大人になった特権かもしれない、と最近思います。子供の時の方が、とんでもないスピードで、膨大なことを自分の小さい心身に取り込んでいたのに、そのことを客観視できないから、そしてする必要もなく日々が流れていました。今は、日々の中で、自分の変化に敏感で、そういう意味ではずいぶん自己顕示欲が強くなったようにも思うし、かといって確固たる自我があるわけでもなく、なんとなく、今と今の知覚を必死に束ねてる、そんな感じです。

 

一つ、そんな自分を置いておいて言えることは。

この2年で大事な人達が増え、そして私を大切にしてくれる人達も増えました。

同じように、きっと何かを失っているのかもしれません。

でも、おはよう、と、またね、をいい合う相手が増えました。

それも、またいつ終わってしまうかわからないものだけれど、ずっとそうであるようになんて欲は捨てて、毎日、ちゃんと今を初めて終わりたいと思います。

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冬はちょっと寂しくなるから、と友達がアトリエのダイニングテーブルに彩りを。

冬でもこれから咲く蕾がたくさんあるよねって。