2年越しのB2試験合格をギリギリでもぎ取った話。

おはようございます、kikiです。

今日からサマータイムが終わり、いよいよ冬到来。

さて、ウィーンに住み始めて以来の鬼門の10月があと少しで終わろうとしています。皆さまいかがお過ごしですか?私はこの2年間戦いを繰り広げていたösdのB2試験にギリギリで無事合格しました。やっと!とうとう!

 

もはや日本に一度帰ることも覚悟していたほどに追い詰められていました。

自分の馬鹿さ加減にほぼ鬱状態で、本当に辛かった私のドイツ語奮闘記。ひとまず第一章の完結編を(誰にも求められてないけれど)お届けします!これを読んで、こんなへなちょこが合格できるなら自分も頑張れると思っていただけたら幸いです。

 

 

結局去年の10月までに必要だったB2試験には、当時受験するものの、受かる見込みもなく、スタジオの先生が学長に時間談判してくれること2回、あれよあれよと期限は1年伸びました。私のドイツ語コースの成績を含め、その他の単位の取得状況を加味して、まぁサボってるわけじゃないし、本業の分野では通常以上に励んでいるので、多めにみましょう、と猶予をいただいていたわけです。国立大学なのに、この時点で色々とありえないのですが、甘えに甘えまくっていました。ずるいと言われても仕方がない。その通りです。でも掴めるチャンスは手放すな!謙虚さだけでは、ここでは生きて生きないと散々周りに背中を押されて恥と感謝の2年目の挑戦でした。

 

セメスター中は大学で開講されていたドイツ語コースにも通い、夏休みはウィーン大学のドイツ語コース(これは別で書きたいくらい最悪だった…)や去年も通ったスパルタ語学学校、そしてösd試験対策コースにも通いました。

 

とにかく昨年同様にドイツ語漬けの夏でした。

それでも8月に入った時点で、未だにライティングパートが不透明。読解とリスニングはそれなりに合格点が出るようになっていたものの、ライティングは過去問をやっても自己採点できない。そんな私の悩みを聞いていたドイツ人の友人が、雛形を作ってくれて助けてくれた話は以前書きました。

 

kiikiii.hatenablog.com

 それを経て、9月の中旬にB2試験に挑みました。その時の下書きが残っていたので、そのまま載せます。

めげずに受けてきましたドイツ語 ÖSD B2試験。

今回は筆記と口頭試験が2日に分かれている会場を選びました。

IELTSを受験した時に2日目の口頭試験でいいスコアをマークしたのを思い出して(成功体験にすがるくらい追い詰められている。笑)、私には1日で全ては手に負えない、と思ってのチョイス。

これはいい選択でした。

1日目、最後のライティングが終わった時点で私のライフゲージはゼロ。これ以上は集中できませんって感じで帰宅しました。

 

9月に入ってから胃痛と逆流性食道炎に悩まされていたのですが、今日は朝から緊張でお腹が痛いという鉄板を披露して、正露丸に頼る始末。ふと気がつくと正露丸も残り1回か2回分しか残ってない…2年間の緊張のオンパレードが偲ばれます…メンタル弱い。

 

かつてこんなに合格したいと思う「試験」は初めてです。

というか、いい大人になると、試験慣れしてないので、もう1回ずつの重みがすごい。大学でも筆記試験のある授業はありますが、いかんせん割と個性で乗り切れちゃうし、それについては知識を入れる作業も楽しいので、こういう種類の緊張じゃないんですよね…角度が違う。

 

でも今回「緊張できた」のは今までと違って、それなりに準備が出来たからだとポジティブに捉えています。出来は…五分五分です。筆記も口頭も帰り道に「あ〜あそこミスったなぁ」を自分で自己採点できるくらいの減点ポイントはもうわかっています…。それがどのくらいひびいているか…。

でも落ちても諦めずに、頑張ります。

ドイツ語の勉強を初めて約1年と9ヶ月。ノロノロのマイペースに周りや英語の学習と比べて、ほとほと落ち込むことばかりです。情けないけど、もはや仕方ない。

ただ、やっと自分のドイツ語のここがちゃんと理解できてないなぁ〜が自分で自己採点できるようになってきました。それと同時に周りがネイティブもしくはほぼネイティブなので「B2レベルのドイツ語とは?」状態なのですが、

もうなんでもいいから受かりたい。切実。

 

とりあえず結果が出るまでは、溜まっている夏の課題や教授がから頼まれている次のセメスターの準備、奨学金の最終レポートなどに集中して、このドイツ語試験から現実逃避しようと思います。今週だけは読みたかった本を読むぞ〜。

 

ウィーンでの生活の悩みの大きな位置を占めてきたドイツ語問題。

正直もうお腹いっぱいではあります。

ドイツ語の悩みなんて聞く方も面白くないだろうし、私ももっと違うことを話したいんだよ!というジレンマを抱えて生活してきたので、試験に合格してその荷をおろしたいです。何より試験前日や当日に頑張れメールを送ってくれた友人たちにいい報告がしたいです。ArmなKikiはもう卒業したい。

 

そんなこんなで、明日は祖母の命日です。

おばあちゃん、ウィーンからだけど、お線香あげるよ。

おばあちゃんにはありがとうと、自分のことばかりして何もしてあげられなかった後悔が沢山あります。

 

というわけで、緊張しすぎてふらふらで試験を終えました。

この試験の結果は、筆記試験合格!

でも口頭試験は1点足りずに落としました。

 

ただ、1点足りず、ということはもう一度対策をして練習すれば希望があります。去年の夏とは雲泥の差。一度は落ち込んだものの、すぐに気持ちを切り替えて…と言いたいところですが、このあと2週間、例の卒業制作にぶんぶんと振り回され、10月の頭に発表が終わると同時にかなり重めの風邪を引きました。ついてない。でもそりゃ10月に半袖着させられてリハーサルに何時間も駆り出されれば、風邪も引きます。笑

 

そんな重度の風邪の中、口頭試験の再受験の日が来てしまいました。

解熱剤を飲まないと起き上がれない状態でも受けに行く貧乏性。もちろんと言ってはなんですが、前回よりさらに2点下げてまた落ちました。

 

Ösdの試験にいくら投資するんだって感じですが、10月は在留許可(いわゆる学生として滞在するためのビザ)の更新をしなければいけない月で、その更新には学籍登証明書が当たり前ですが必須で、つまりは語学証明がなければ5セメスター目の登録ができないわけで…そうドミノのように…超絶ピンチだったわけです。察してください。

 

本来は語学証明→大学受験→合格→移住(ビザなど)という流れなのですが、

私はドイツ語ができない状態で合格をもらってしまった上に、芸術の学生として取るんだから!と色々とすっ飛ばして学生生活を始めることが出来てしまいました。今思うと、上記の流れが一番ストレスが少ないのは明白です。どうしてその手順についてもう少し熟考しなかったのだ、私!と実はこの2年ドイツ語に苦しんでは後悔していました。いくら専門分野で買われて引っ張られたとしても、語学が短期間でどうにもならないことなど知っていたのに…あほすぎる。

 

いよいよ追い込まれていた私を見かねていた韓国人の友人。3度目の口頭試験、そして最後のチャンス。試験1週間前から彼女は私を家に招いてはひたすら口頭試験の練習相手をしてくれました。夏にもよく練習に付き合ってくれましたが、落ち込み気味の私を心配して「毎日やろう」と声をかけてくれました。嬉しくて泣くよね。

練習を重ねながら、Ösdの過去の自分の失敗を思い出し、過去問についている採点基準を見比べながら自分の弱点に気がつくことが出来て、その足りない部分を毎日少しでも、試験当日まで埋める作業。

 

そして訪れた最後のチャンス。それが先週の土曜日でした。例のごとく吐き気を催しながらの緊張状態でしたが、普段の自分が使っている限りのドイツ語能力は出せました。前回の反省を生かして、足りなかった部分も今度はちゃんと補えた気がしました。

 

試験が終わって、もしこれで落ちたら今の私にはまだこのレベルに合格するのは無理なんだという気持ちが生まれて、ダメだったらビザを更新せずに一度日本に帰ろうと思いました。なんだか良くも悪くも吹っ切れてきたというか。やれるだけやった、と。そもそも色々すっ飛ばしてきたのが原因で、本科の勉強をしながらドイツ語の勉強にも100%の力を注ぐ限界も感じていました。だったら一度最初に戻って、半年日本に戻って、ドイツ語だけやろうと。そんな気持ちで今週を迎えていました。

 

試験結果が出る前日、この2年私のために注力してくれていた先生の授業がありました。授業の後に、先生に呼び止められました。私が今回もダメだったら一度日本に帰るつもりだというのを小耳に挟んだようでした。驚くことに、まさかのビザの発給条件まで調べていて、学籍登録がなくてもどうにかならないかという話をされました。

 

「先生、もう先生に迷惑はかけられないし、これは私の問題だし、今の今までこれ以上にないほど多くのことを助けてもらったので。落ちたら一度帰るのは、本当は1年前にそうなるはずだったことで、1年ここで勉強を続けられただけで感謝しかないです。もしダメでも諦めずに日本で頑張ります」

 

そんな私に「帰るなんてとんでもない!」と、こちらが驚くほどに切々と説得されました。先生に今のあなたのドイツ語能力がB2以下とは到底思えない、この夏を経て、どれだけ勉強したのか、この2年でどれだけ努力したのか私は見てきた、そう言ってとにかくあらゆる可能性について検討するべきだと説得されました。

私はウィーンに来て、勇気をもらうとはこのことだなぁという場面を何度も体験してきました。それだけでも価値があったと思うほどに、です。

 

そんな風に周りを振り回すだけ振り回して、金曜日の朝、口頭試験の合格通知を受け取りました。良い成績で合格しました。嬉しくて、道端で泣いて、すぐにその先生に、いつも助けてくれて、心配してくれて、勇気をくれた友人に一人ずつ電話をしました。

 

先生は電話口で大喜び!祝い酒だ〜飲みに行こう〜と言ってくれて、友人たちは「受かると思ってた」と結果が出る前から言い続けてくれて「ほらね」って。ある子は部屋でクラッカー鳴らした動画を送ってきてくれて、スタジオについたら机の上に祝杯のシャンパンが置かれていました。

f:id:kiikiii:20191027215529j:plain

本当に周りの人みんなに心配をかけていたので、この日は会う友達全員が、笑顔全開で「kikiおめでとう〜」と抱きしめてくれました。スタジオにきていた他の先生が走って私に「おめでとう〜」といいに来てくれました。たかが語学試験、でも誰一人「たかが」と言わずに今日まで励まし続けてくれました。

 

こんなに情けない語学試験体験記もないかと思います。笑

こんなに人を巻き込んで、迷惑かける30代留学生もいないでしょう。私よりも時間をかけて、私よりも努力して、B2よりも難しい試験に短期間で挑んでいる人も沢山いらっしゃる。私は誰かより努力したわけでも、誰かよりひどい目にあったわけでもなく、むしろある意味特別なルートを用意されて、甘い蜜ドロドロの中でもがいていたわけで、多くの人の目には、たぶん特に日本人学生の目には「ずるい」、そんな風に映るだろうと思います。それを承知で、正直に自分の体験を書きました。

 

ただ、今回のこの経験の中で私が実感したことは、何かに挑んでる人を何かと比べて意見するより、ただ頑張れと励ませる、私の友人たちや先生のような人に私もなりたいということで。不特定多数の人に、例えばブログを通じてそういうことを無責任に出来るわけではもちろんないけれど。せめて現実の世界で、私の目の前にいる人には、私もそうあれるように、そう思います。自分の中の暴慢な自分へ向けての備忘録として、ここに残します。だから長くてもいいか、そんな気持ちで書いています(ごめんなさい)。