カウントダウンしよう。

吐く息が白く認識できる23時、この時間に帰宅するのが当たり前だった冬セメスターもあと少し。例のごとくエキシビジョンを控えたこの時期に急に降りかかるチームワークに毎年鬱々としていた。のだけれど、今年はどういうわけか、ソロプレーを黙認されて黙々と自分の世界を生きています。

 

3年目。

それが日々小さく自分の日常に屈折して表象されている感じがあります。

なんだか変な表現ですが、簡単に言えば私と言う人間の周りにスペースがあることに周りが慣れてくれ、私もなんだか開き直ったかのごとく、それをありがたく頂戴しているわけです。

最初の2年間で一所懸命もとい、言葉の問題で否応無しに常に「グループ」に振り回されること度々。振り回された、と言うと語弊がありますが。日常の上でのグループ生活には120%感謝しているので。でも制作面で言えば相当窮屈でした。

 

 

ですが、昨年のこの時期に作っていた作品を皮切りに、制作状況を、ちゃんとドイツ語で説明できるようになったことで「あぁkikiはそういうプロセスの中にいるのね」とわかってもらえるようになりました。これはそんな気がする、とかじゃなくてはっきりと前回のプレゼンで教授からそうコメントされたわけで。面白いですよね、言語ってコミュニケーションにおける安全バーなんでしょうね。

「あなたはかなり独特な思考回路で制作プロセスとコンセプトを並行している。アドバイスとして言えるとしたら、そのまま進めること」そしてつけられたキャッチフレーズはkikiのドクターアルバイト。クラス全員の前でそう言い切られると、良くも悪くも私と並列で組んで何か作ろうっていう雰囲気はなくなるわけです。変わり者の中においての変わり者感が増しました。笑

 

ある日本人キュレーターがパリで展覧会を企画した時に日本のアートが欧米圏でどう映るかに対して「曖昧でよくわからずモヤモヤさせられるけれど視覚的魅力がある」と説明していて、それがとても私の腹に落ちました。私の作品も常に彼らをモヤっとさせているし、批評しづらい。プロの批評家でも自分がどこまでアジア的コンテクストを捉えているかにとらわれて、ただの学生の作品に振り回されてしまう。私は時々ヤパーナと言う亡霊に受動的に変身するようです。そこに足を取られて身動きできずに割ともがいた最初の2年から、今はそれは相手の問題で、私には関係ないと思えるようになりました。いいか悪いかは別として。

 

あと3セメスター。早ければ1年半での卒業が見えてきました。

 

来週教授と卒業制作の時期について話します。彼女もちょうどあと1年半で教授職を退任します。アーティストとしては現役でまだまだバリバリとやるのでしょうが、教育には8年間携わりもう一区切り、そう思って決めたという話を年の初めのクラスミーティングでされました。私も同じタイミングで学生を卒業したいと思っています。

 

思い返せばカナダへ行く前、2012年にデンマークから帰国した時から大学へ行って真正面から勉強し制作だけに打ち込みたい、それがやんわりと、でも偶発的に形になってのウィーン生活のスタートでした。実際は語学に足を引っ張られたり、経済自立の中での留学なのでバイトもしたりで色々と横槍はありますが。概ねその欲していた時間というのはもう過ごせたのではないかと思い始めました。

社会において、評価やリミッターを設けられることで成長できることがある。その経験を経ての学生生活。不思議と社会へ戻ることへのネガティブな気持ちはありません。むしろ学生を終えてからが本番だということも20代で十分理解している。

 

そういうことが、圧倒的に周りのクラスメイトたちとは違います。当たり前ですが。

だから3年目あたりで先行きに不安を感じてインターンに打ち込んで、卒業を伸ばす学生がとても多いです。私も同じ年齢だったら、そうすると思います。

 

でも私の3年目は、もう少し傲慢に進んでいるようです。

 

自分のナショナリティからくるヨーロッパにおける作家としての文脈を表面的には理解できました。それを受け入れてどこまでヨーロッパに拠点を置くのかというのが、これから卒業までに出さなければならない答えのような気がしています。とはいえ、ウィーンでないにしろ卒業後に2〜3年こちらをベースに活動してから日本帰国、というのが今の所の青写真です。この年齢で海外でマスター取りました、と日本に直帰したところで「あぁそうですか」となることぐらいわかっています。作家としての名刺を持つのか、はたまた作家ではない何か別のポジションで経験を積むのか、それもこれからの1年半にある程度自分で見切りをつけたいと思っています。

 

いつまでも夢を追える体力があることは素晴らしいけれど、私にとって夢は叶えるものだから、現実の中で少しずつ形を変えてバランスをとっていきたい。

 

今はまだ、周りには言えません。

今日、卒業制作中の友達にそんな話をぽろっとしたら「日本に帰るの‥」と、とても悲しい顔をされてしまいました。自分だって卒業後にパリに行くじゃん〜と思ったのですが、未開の地日本に行ってしまうのとはわけが違うようです。

 

色々な国で生活をすると、もう二度と会えないであろう、でも大切な人、というのが増えていきます。それは悲しいことのようで、実はそうではないということをもう私は知っています。それは今会えない日本にいる人たちにも当てはまります。もう亡くなってしまった人にも。会いたいと願う以上に、一緒に過ごした時間のフラッシュバックでその寂しさを何度でも埋められるのです。なぜなら、私はたまたま今日ここに存在しているだけで、私もすでに誰かの中では二度と会えない人で、でもそれを誰かが思い出してくれていれば。それはもう、それで嬉しいから。

 

1年半、あっという間だろうなぁ。

こんなにだらだらと書いておいて、本当に卒業できるかはわかりません。本来4年で卒業する人はいないし、うっすらとまぁ2年くらいになっちゃうかもしれないという覚悟も少々。でもまぁ、カウントダウンで加速度あげたいんです、うん。私の未来計画など、あってないようなもの。世界一自分が信用ならないので、半年後、1年後にどこで何しているか。このブログを読んでくださっている方に「おいおい」って突っ込まれるのは覚悟の上で。

 

こんな私ですが、今年もゆるりとよろしくお願いします。