書き残すだけでいいか、とりあえず。

軽く寝込んでいた。家にずっと居ることでサイクルが崩れてそうなったのか、なんだか気が抜けてそうなったのか。ただずっと息苦しい感じが咳をするたびに深まるし、微熱は上がりもしなければ下りもしないで、食欲はなくなって、そうやって気がつけば4日目くらいから6日間、自粛も何も、外に出られていない。なんだか感染の兆候に似ているけれど、症状が軽いので自宅待機が推進されている。それはそうで、だって病院に行ったってこの状況ではただ安静にするしかなく、なんならその道中で誰かに移し、また病院で…ウィルスとはとても厄介なものだ。

幸い、こうして机に向かってキーボードを叩ける程度には回復してきて、今朝は微熱も下がった。無理は禁物、何よりもし感染しているなら家ごもりを徹底したい。幸いこの家には一人だし。

 

そんなわけで、こんな世紀末的緊急事態を自分の身体でひしひしと感じていた。もし私が陽性ならば、私のような風邪かも、みたいな人がうようよしているのだと思う。幸い、濃厚接触者であろうクラスメートや教授の中に同じような感じで体調を崩している人はいない。コミュニティの外で、もらったのかもしれないし、ただの風邪かもしれない。ただ、ただの風邪にしては息苦しいのだけれど。それも気持ちの問題かもしれない。

 

今回のことで、時期が延びるかもしれないけれど、卒業が見えてきていろいろ考えている。家に一人で居るのだから、やることは考えることぐらいなので、今、まさに色々と考えてしまう。

 

ここに私のホームはない。

どんなに日常で温かい人に囲まれていようと、ここに私の家族はいない。だから積極的にコミュニティに入る努力をして、一人でいることをカムフラージュして生きてきたような気がしてならない。でも、そういう郷愁みたいなものが漠然と襲ってくるようなことは頻繁ではなくて、それは制作に没頭できていたからに他ならない。

 

今、それを取り上げられて、なんだか目が覚めたような気持ちだ。

ここでは海辺でぼんやり缶ビールを飲むことはできない。夕焼け小焼けを聞くこともないし、夏の夜風を嗅ぐこともない。私は自分の中に冷凍保存した景色を、よそ者という摩擦で少しずつスライスしながら制作してきた。私がうっかりすると、彼らの興味の対象となり、素材になってしまうのは、私がそれを内包しているからだと薄々気がついてた。それがなぜか堪らなく苦しい。でも、ここで生きていても、私の共感覚はあの海辺にある。

 

思い出は世界に少しずつ点在している。デンマークの夏に歩いた森の涼しさや低温火傷しそうなピンク色の冬の朝焼け、カナダで見たブルーモーメント、身体を突き刺すような寒さに薄暗いバスターミナル。スウェーデンで登った坂道もベルリンの黄色い街角もロンドンの人混みもパリの地下鉄も、そうやって思い出す場所があるけれど、胸ぐら掴まれて押し戻される場所はあの海辺で、ともすれば同時に高層ビルの狭間を自転車で駆け抜けていた二十歳の自分を追いかける。ウィーンの街にまだその面影はない。そして多分、もうそういう思い出はここでは、どこにも出来ないような気がしている。

 

なんだか皮肉なものだけれど、国境が閉じている今そんなことを考えてしまう。

3年目の現実だろうか、それとも旅の終わりが見えてきたのか。

もしかしたら、最後のクラスミーティングでウィーンの文化誌の人が口にした「今はアーティストにとってのチャンスでもある」に心底がっかりしたからかもしれない。あぁ、ここで私が悲しみを共有する人に出会うことはないのではないかという予感が目の前で現実として突きつけられた感じがしたのだ。欧米社会で唯一私の中でずっと感じていることは「悲しみの質感が違う」と言うことで。そういう種類の共感がここにはないのかもしれないし、ここではなくて、ただ私にないのかもしれない。デンマークで初めてそれを感じてからもうすぐ10年経つけれど、その境界線は薄くならない。

 

どこにいても自分が一人であることは変わらない。それはわかっているし、それでいいのだけれど。目に写る景色とは、できれば会話をしていたいのかもしれない。

 

自粛生活とはなんら関係ないけれど、人の消えた街で自分が思うことというのがなんだか可笑しかったので書き残しておこうと思う。