制限されたと思うか、自制しようと思うかの2週間。

だいぶ元気になってきた、というか、このまま寝込んでいると体力の低下が著しくて勝てるものにも勝てない気がするので、鼓舞してちゃんと生活を立て直したい気持ちで机に向かい始めました。かれこれもうこんな生活10日以上。やっぱり長い間座っていたり、家の中をウロウロするとちょっと背中が痛くなってきて、咳が深いところでもやもや、ズドンって感じで鈍い痛みが走り始めて止まらなくなる。

頭痛とめまいも相まって、つい甘えてベットに横になりたくなる。ただ、起き上がれるし、ちょっと会話したり、お風呂に入ったりできる。熱が出るのは夜間。なんだかずーっとだるいというか、怠けている感じなのです。でも日々のニュースを見ていると、自分は大したことない、そういう気持ちしかない。そもそも、ただの体調不良かもしれない。今がコロナパニックじゃなければ、ホームドクターに寄って、咳止めでももらいたいな〜ぐらいな感じかもしれない。呼吸が苦しい感じ、は初めてなので病院には行こう、みたいなね。

 

感染しているかどうかはこの際、していると仮定して、家ごもりをしている私を心配した友人が今日家のドアの前にプレゼントを置いていった。涙が出るほど嬉しい。今日は彼女の手作りスープを食べるのです。元気になったら私も宅配する。

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さて、そんな私の体調話はさておき。首都圏でも週末の外出自粛要請が出された日本。

首相の会見を見て、あぁなんでこの人が母国の代表…という気持ちになるのもお約束なのですが、今までの信用のなさからか、お粗末な経済支援案に呆れたのか、まぁそもそも政治意識の低い若い世代には彼の言葉は届いていない様子です。韓国の友人と話した時も、韓国も当初は統制が取れずにそんな感じだった、と。私たちは今ウィーンにいて、自分たちを含めて結構ちゃんとコントロールできていると感じている、母国に比べると。それでも日々の中で救急車のサイレンは響くようになった。街が静かだからか、実際に増えているのか。

 

体調不良により離脱気味だが、大学は着々と遠隔での授業と環境づくりをスタートしている。先週から講義形式の授業がZoomで再開されている。大学から必要なソフトの共有アカウントなどが配布されたので、学生は講義の時間にZoomにオンラインすればいい。オンライン図書館のリンクやそれぞれの制作状況を共有するためにグーグルドライブなどを利用してのプラットホームをクラスのみんなで作った。金曜日に大学の先生たちのオンラインでの情報共有があったようで、必修クラスの成績の出し方についての説明も学生に連絡があった。実践的な分野なので、簡単ではない。けれど、キャンセルせずにセメスターをなんとか走らせるつもりのようだ。

 

同時に先生や大学から今回のコロナでの学生向けの経済支援についての連絡も多く届き始めている。私は市民ではないので、全てに該当しない可能性はある。まだきちんと把握できていないけれど、仕事を失った学生への給料の補償なども含まれている様子。ロックダウンになる時に政府は国民に対して、これを理由とした解雇はできない旨すでに通達している。

 

支援金がどうやって賄われるのか。私たちは将来のオーストリアに借金をするのかもしれない。それでも、今はお金の問題ではない、ということだ。お金が生活を支えているのは事実だけれど、資本主義を維持することが全てではない、今は。もしくはここで、そういう社会的構造を見直さなければいけないのかもしれない。でもそれはコロナが収束してから、かもしれない。

 

事実は淡々としている。

淡々としているけれど、議論は活発に行われている。先の韓国の友人が言ってた。ニュースを聞いていると自主隔離生活について驚くほど人々が議論している、と。それは社会的にどうなのか、メンタル的にどうなのか、プロパガンダ的に…とあらゆる視点から話し合われている。最初はこのことに、私たちは心底驚いたし、驚いたことに、また気づかされたこともあった。

 

おそらく私たちのアジア的というかまぁ近い文化的コンテクストの中では事実をそのまま右から左へ受け入れるという根深い教育が息づいているのかもしれない。それがとても危険なことなのだと、改めて感じている。自分だけが取り残されたくない、自分だけが損をしたくない、自分だけが…という恐怖がとにかく多数に同調せよと信号を送っているようで怖い。

 

誰かのせいにしても、大事なものを失うかもしれない事実は変わらない。何が最善なのかを自分でよく考えないといけない。私は感染症の専門家ではない。事実を見つめて考えることしかできない。

 

桜は来年も咲くと思います。あなたが生きていて、あなたの大切な人が生きていれば、また何度でも見ることが出来るはずです。

 

今少し生活をリデュースすればいい、自分に実感がないのは幸せな証拠です。病院を必要としている人はコロナの患者だけではない。病院で働いているのはロボットじゃない。リスクを抱えて働いていて、働かなければいけない状況に飲み込まれている。自分が発症しなくても、自分だけその幸せを続けることで誰かの幸せを奪うかもしれないということを考えないといけないのだと思っています。

大げさですか?もしそう思うなら、あなたこそ、そうするべきだと思う。

 

できれば私だって、大げさだったなと笑える未来がすぐにくることを願っています。