「上から指示がない」という理由で命を落とさないでください。

東京に住む父が発熱。私の両親は住み込みで学生寮の管理人として雇われている。住居こそ学生寮から徒歩10分ほどのところにあるが、朝、晩とハイリスクの彼らが元気な学生に「雇われているから」食事を提供し、共有部を除菌していた。共有部は勿論三密である。食事の時間以外は来ないように母がいくら話しても、学生達は聞く耳を持たない。「もし感染したらホテルに行くから大丈夫ですよ〜ホテルの方が広いし〜」と返答してくる。頭が痛い、頭が悪すぎて、頭がいたい。

二重構造の会社組織で運営とクライアントが分かれており、現場からの吸い上げがなく、気遣いもない。ここまで聞くだけで、私が「今すぐ仕事をやめてもいい」と毎日口うるさく、色々な理由をつけては電話しなければならなかった理由を、欧米圏の方ならお察し頂けると思う。

 

安倍総理の会見を見た、私の感想は一言「あぁ、もう国に頼ってはいけない」だ。

そんなの薄々とうの昔に気がついていたけれど、どこかで期待していた自分がいたことに驚いた。無政府主義者じゃないので、当然なのだが。

 

というわけで、ここを読んでくださっている方で日本在住の方には心からお伝えしたい。「上から指示がない」という理由で命を落とさないでください。私は両親からこの言い訳を嫌という程聞かされ、この後に及んでまだ言う母に「じゃあ明日の便で帰る!私が話す!あなたも感染してるかもしれない、感染してなくても明日するかもしれない。なんでそれがわからないのか。私は医者じゃない、治療はできないけど、自分の身を守るために意見を言うことはできる」と。

 

父はまだ病院にすら行けていない。コロナかどうかをこの際横に置いたとしても、彼は数年前に癌でステージ4までいき、生死を彷徨い、体に穴が開いており、高血圧で、めちゃくちゃたくさん薬を処方されている。高熱の場合は通常すぐに主治医にかからなければならない。いつもは熱が出れば、すぐに大学病院へ直行だ。

 

だが、今日は大学病院に主治医の先生がいない日で、病院から診察を断られた。

保健所は、医師の診断がないとコロナのテストはできないと言っている。電話口の人が悪いわけでは勿論ないが、合理性のかけらもない仕組みで意味がわからない。医療機関の人たちのリスクを無駄にあげているだけなのではないだろうか。

 

さらに驚いたのが、両親が自宅待機になった代わりに、会社から別の人間が同じ寮に派遣され、食事を作っているという。もし私の両親のうちどちらか一人でも陽性だったら、その人たちが働いている場所は除染もされていない非常に危険な場所で、事情を知らない学生もそこへやってきて、口を開けて食事をしているわけです。

意味がわからない。

 

ただの発熱である可能性は勿論ある。もちろあるけれど、その希望を抱くことによるリスクはでかい。予測と期待は切り離して考えるべきだ。そんなの大人なら誰でもわかる。何も難しい話はないのに。お金分のご飯を命がけで作れというのであれば、もう部屋のドアに弁当形式で配達すればいいじゃないか。国が色々グズグズしているせいで、再開されるかもわからない大学入学のために、とりあえず引っ越しだけしにくる親子が死ぬほどいるのだ。100人未満の小さい学生寮じゃないので、そんな親子が1泊2日で50組、どこから来たのか、2週間前にどこにいたのかわからずふらふらと出入りしている状況を想像してほしい。毎日母から聞かされる日常に、絶望感しかなかった。

 

私は3月のウィーンのロックダウン前に帰国し、両親を説得しなければいけなかった。

国が、会社が、最低限の対応をするだろうと少しでも期待し、最悪の事態を予測できなかったことを後悔している。そしてなんども帰国便とにらめっこしてしまう。でも母の抵抗も半端ではない。きちんと対応してくれている国に住んでいる、ある意味安全な娘が帰ってくるのを断固阻止したい構えだ。そして彼女の言い分「きたって役には立たない」は的を得ている。

 

当たり前だが一睡もできなかった。そして今も、何かしながら日本の朝を待っている。病院に行けなくても(むしろ病院の外でやってほしい)、とにかく検査をして、予測を立てさせてほしい。検査の性能が低かろうが、やらないよりましである。

 

もう一度。上司や会社や国はもうあなたの命のことに真剣ではないと思った方がいい。日本の対応は理論性に欠けていて、「日本は清潔」という神話のもとに成り立っており、誰かの命令に従うしかないというのは戦地に送られる兵士と同じ。私たちは歴史の過ちから何を学んだのか。誰かが経済を回さなければならないなどど公で口にしている資本主義の亡霊に騙されないでほしい。戦後の焼け野原や震災から、日本経済は立ち直ってきたのに、死んだ人は帰ってこなかった。

 

事実を見つめてほしい。

今日は言葉を選ぶ余裕がないことをお詫びします。