イーラーニングの方が忙しい。

3週間の自主自宅隔離を経て、両親が仕事に復帰しました。いつだって危険と隣り合わせなことに変わりはないので、気をつけていただきたい。気をつけよう、お互いと言う感じで私の昼夜逆転生活も矯正期間へと移行しました。日本の朝に合わせて毎日、体調確認の連絡をしていたら夜型生活になってしまいました。授業は10時から毎日あるので体がしんどい。というわけで朝型に修正したい。ひとまず一難去った。と思いたいが日本のニュースを見ると日々げんなりします。リアルタイムで見ている日本在住者のストレスが偲ばれます。

 

さて、そんな最中。規制緩和の予定がどんどん立つオーストリア。しかしながら、当初からアナウンスされていたように大学の再開はまだはっきりとしません。目下の課題は今セメスターの卒業予定者の卒業制作のコミッションについて。それに異論はないのです。個々に5月から卒業制作過程中の学生だけはアトリエに戻す方向で検討中とアナウンスがあり安心すらしています。というわけで、なんとなく手が回らない我々通常セメスターにいる学生のアトリエ制作再開は夏以降な様相です。致し方ないけれど、正直結構限界です。

 

この1ヶ月遠隔授業を受けてすでに思ったのです。

 

 

それはイーラーニングの方が忙しいんですけど!問題

 

これは私に限らず、オーストリアの義務教育過程の彼らも軒並みイーラーニング中なのですがそれはもう宿題に追われております。子供が遊ぶ姿を週末の公園でしか目につかないのはそのせいだろうと思われます。いや、もちろんいるんですけど。日本で報道されているような(どこまで実態通りかは不明ですが)公園に子供が密集!みたいなことは、少なくとも私の近所では起きていません。でも私も宿題に追われている同じ立場なので、私も外に行く時間がないというのもありますかね。笑

 

 

イーラーニング中で開講している先生方も資料の収集に手を焼いています。苦肉の策として、1回3時間の講義を埋めるために学生に自主的なプレゼンを提案してきます。これも同時に発生するともうカオスです。今、カオスです。1900年初頭のドイツのソーシャルドラマをドイツ語で分析しながら並行してそれがイギリスでどう翻訳されたかを調べながら、バウハウス近辺のフォトグラフィーの作家を調べ、フランクフルトの劇場図面を引いています。来週から休講していた他のセオリーのクラスも再開するし、主任教授からは香港でのプロジェクトの資料が送られてきています。切り替えが難しい。どの講義もじゃんじゃん、全然関連性のないテーマで課題にレポートと、宿題が課せられます。課題図書が多すぎて、しかもデジタルでしか読めないので吐きそうです。一番の問題はテーマ間に全く関連性がなく、制作がとっ散らかることです。苦笑。

 

どの隙間で自分の制作を進めたらいいか迷子です。

でもよく考えれば、忙しくなってしまうのも当然です。外出自粛で消失したのは通勤通学の時間、友達との雑談(コミュニケーション)、肉体労働。

それ以外は家に無理やり詰め込まれただけで、減ってもいなければ、むしろ話して1分で終わりそうな確認事項も全部メールになったので、手のかかるコミュニケーションが増えた。アトリエで、ランチ作りながらさらっと聞いたり共有できたことを、いちいち文字に起こしてテキストするか電話しなければなりません。めんどくさい。

 

滑り出しは順調だったイーラーニングですが、同時多発は結構しんどいです。ただ、もしかしたら同じくらい今までもカオスな中で授業をこなしていたのかもしれません。とっている授業数は少ないくらいなので。ということは、そう感じる理由があるのかも。

 

 一番の問題は息抜きができないことかもしれないなぁと思っています。

忙しくても、ランチで友達と話したり、夜のアトリエでビール片手に映画を見て議論したり。そういうリフレッシュを自給自足しなければいけない。イーラーニングに無理があるというよりは、イーラーニングだけ、が大変なのかもしれません。

 

芸術教育における、または自分の表現体系における限界をひしひしと感じているわけです。質感が、質量が、密度が、空間との関係も感じられないオンラインプラットフォームでの作品共有は、それがデジタル作品であろうとも無理があります。筆圧を感じられない、流れを、厚みを感じられない絵画鑑賞がただの知識共有でしかないのは当たり前のことで、このままこれがメインになることはない、これだけははっきりと思います。芸術とは知識の結晶ではないと思うからです。何より映像やデジタルを介すということは、すでに誰かの何かの視点で編集された視点を追体験するということです。わかりやすく言えば、演劇の映像化は演劇そのものを体験することが不可能であるように。自主的な視野でものが見られないというのは、芸術との関係において致命的です。今はそれでも、自分の小さな部屋で黙々とテキストを書き、図面を引き、絵を描き、組み立てることを続けるしかないわけなんですが。

 

子供がこれをやっていると思うと無意識下のストレスが心配です。いろんな意味で、学校の再開が待ち遠しいです。

 

こういう生活を続けていると、

どれだけ共同体の中で感覚的切り替えを享受していたのかを思い知らされています。

できるだけ散歩をして、リフレッシュを自給自足して頑張りたいと思います。

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最近の散歩記録。ソーシャルディスタンス的日光浴するマダムたち。