46日と5日目。

朝8時に一瞬起床、二度寝、起床。同居人が深夜に散らかしたキッチンの掃除とコーヒーを入れる。10時、授業を受けるためオンライン。12時47分、担当教授へ質問と簡単なレポート的メールを送信し受講完了。ここまでがルーティーン。

13時、うどんを打ち昼食。14時、昨夜から読んでいるジェームス ジョイスのトランスレーションについての考察237ページの35ページから再開。17時、ヘビーな投稿にいつも返事をくれる知人がFacebookに投稿したので、そこにコメント(と言う名の応援!)。18時、お昼の残りのうどんを再利用して夕食。ご飯食べながらジュディス・バトラーのジェンダートラブルを再読つまみ読み。19時ブログをふと開く。

 

 

一時期、ほんのいっとき、吹き荒れた日本の友人とのオンライン飲み会も。こちらに住む友人とのメッセージでのやりとりもすっかり鳴りを潜め、これが今の私の日常です。

 

46日間のロックダウン生活中に始めた事は、手作りうどん、マスク、夏服の手作りです。ミシンを借りたので、時々カタカタ縫い物をしています。うどんはホウトウときしめんの間のような出来栄えで、人様には振る舞えませんが節約にはもってこいです。

 

今日はこれから、Forced Entertainmentのオンライン公演 End Meeting For Allの第二幕が21時から始まるのを楽しみにしています。非常に興味深い実験的な作品なのでパフォーミングアーツに興味がある方にはオススメです。

 

本日の目標はジェームス ジョイスの237ページを読み切る事です。ただいま半分を通過しました。とても読みやすい英語でありがたい。でもデジタルで読んでいるので目がしばしばします。視力の低下が心配であります。ただ、デジタルだとマーキングか簡単で、レポートにするには便利で楽させてもらっています。一長一短。

 

みなさんいかがお過ごしですか?こっそり覗いている欧州在住の方のブログを見るに、いろいろ工夫して日々を過ごしているなぁ。元気が出るな〜と思っています。

 

私はどうにも、斜めな視点で物事をかき混ぜてしまう性質の人間なので、元気の出そうな素敵なブログが書けませんが、それなりに元気に過ごしています。読みたい本があちらから、こちらから湧いてきて、見たい演目が洪水のようにオンラインを流れていて、家にいると1日があっという間です。課題も山盛りで、これが夏も続くのは中々です。以前より外に出られるようになったので、散歩をもっと頻繁にしてアンバランスな日々に多少の色どりでも。

 

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昨年末に突如ご近所に多発出現した謎のアーチ付きベンチ。春になり、このアーチは緑のアーチとなるべく頑張っていることに気がついたり。

 

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誰かが忘れてしまったカチューシャにクスリとしたり。一人の時はボ〜ッと街を徘徊します。そんな時間は実は4月の最後の2週間くらいしかなかったので、5月は増やす。

 

今日はまだ救急車の音を聞いていません。

たまたま耳に入らなかっただけかもしれません。

 

外出規制が解除されて(と言うか新しいフェーズに突入し)、友達と4時間の長い散歩に出かけました。1mの距離を保つのは非常に難しく、なんだか規律訓練に参加している気持ちになりました。確かに、これは公衆衛生を最優先とした規律権力下の生活であろうと思う…と散歩からの帰り道、フーコー先生の監獄のうんたらを思い出していました。友達はとても元気そうで、私たちはそれはノンストップでおしゃべりをして、アイスを食べました。

 

 

私の「人は長生きしたいと言う前提で生きていると他人に期待してるんだろうか?」と言う私の予てからの疑問に、彼女は「わからないけれど」と前置きをして"but we lost a chance to die naturally in this time.  If I could correctly understand what's your question."と言いました。

 

同じ話を別の友達とロックダウンに入る前夜にもしました。彼は私に"Wir sollen uns um ein langes Leben bemühen, bis unsere Eltern sterben."と言いました。私は彼の家庭が複雑だという話を去年の秋に映画館のカフェのテラスで聞きました。そのことを思い出して、素直にそうだな、と思いました。

 

そう思いました、と言うことをたくさん繰り返した46日間と5日間です。

 

今日授業をしてくれた先生は3月に一人息子と別れました。私たちはセレモニーのためのメッセージカードを一枚送ることが精一杯で、今も先生の顔を見る事は叶いません。明るいメッセージで授業を再開してくれたけれど、失ったものの先の世界は、新しい世界ではなくて、地続きの今なんだということを強く突きつけられたような気持ちです。それは、部外者の私たちこそ忘れてはいいけないと、そう思うからです。死亡者数を数字で追うことに慣れてしまいそうになるのに最大限の抵抗を。

 

そういう痛みに効く薬は、誰が探してくれるんでしょうか。