いい人のフリ。

今週は雨の多いウィーン。つかの間の晴れ間に2ヶ月ぶりに会う友達と散歩に行ってきました。街はちょっとピントのずれた日常を取り戻した様相で、私たちはお気に入りのケバブスタンドでテイクアウトをして、がらんとしたMQのベンチでちょっと遅いランチを。ちなみにMQは美術館などが集まる複合施設。

 

 

美術館の再開は6月から。この時期のMQは例年であれば、水遊びをする子供や、日光浴しながらビールを食らう若者で溢れます。まだここに人は戻ってきていない。金曜日からレストランが再開になったら、少し人が戻ってきそうであり、その準備に追われる人が右から左へ流れているのを眺めていました。

 

ケバブを食べながら、アジア人らしく「コロナ太りしたか、してないか」と言い合って。国籍で人を括ることはできないが、彼女と私は珍しくお互いのナショナリティを拠り所に、二人でしかできない話や悩み相談を良くしている間柄。彼女は韓国人。

 

彼女から「日本の選挙はいつなの?」と心配されました。

いまだかつて、海外生活で母国の選挙日程について質問されたことなどないけれど。でも驚きもないです。私の知る限りドイツ語圏、英語圏、そして韓国では「日本の政権やべーな」なる報道がなされているので、シンプルな質問であるし、そのベースに「政権交代したほうがいいんだよね?」が暗に含まれているのを感じる日々です。ドイツ語圏出身の友達(多数)にも、電話で最近どう?という流れで、私は元気だけど、両親が住む日本が心配だよ〜と答えると、即答で「そうだよね、うん、そりゃそうだ。いろいろニュースで見るよ」と返事が返ってくるわけで。やべーのだ。

 

 

私が海外で生活をするサイクルが始まったのは3.11の年。その当時から日本のポリティクスについて質問されることは多かったが、ここまでやべーんだよねが説明いらずで伝わるのは初めてです。日本はプロモーションは上手なので、今まではそういう社会的な病気を話しても「でも技術力のある、豊かな文化を持ついい国だし。そんなひどいの?」と言うファンタジージャパンを信じる人からの返答に「いや、文化も人も素敵なものはもちろんあるのよ。私は日本が好きなのよ。でもポリティクスとジェンダーリテラシーは100年前で止まってるんじゃないか!なんだよ」と捻れた論調に陥るのが常でした。今はそんなの不要。なぜならコロナという同一文脈での対比なので、シンプル。皮肉なもので、日本人として恥ずかしいやら、でも裏を返せば、だから君は色々苦労しながら海外生活長いんだね的コンテクストに陥るので、それはセンシティブな状況なのです。

 

彼女に聞いてみたいことがありました。

ウィーンの街からコロナで旅行客が姿を消して、私はストリートレイシズムに出会う機会が減ったような気がしています。もちろん私自身の外出機会が激減したので、それ以前と比較できることではないのですが。でも例えばアメリカで問題になっているような怖い思いはしていないし、道で「チャイナー!」とか叫ばれる状況(もともとかなり少なくはなっていた)でもないというか。ウィーンで生活を始めた当初、この路上での出来事の多さにカルチャーショックを受けました。カナダの次だったので、余計にコントラストが色濃かったのもあります。あるけど。ウィーンでのこれは、他の都市に比べるとちょっと異常だった。

 

ただ、それでも「オーストリア人じゃない人」からの心ない声のような気がしてもいました。オーストリア人だという確信もなければ、国を主語に語るような様子でもなかった。なんなら、リテラシーの低い、私と同じ外国人だろうと感じていたのが正直なところです。

 

差別は差別を受けた人が生んでいて、そしていつの間にか自分が加害者となり、また被害者となり、ドロドロとした負のサイクルを作っているんじゃないだろうか。差別する人は差別からしか生まれないような、そんな気がしてきて、彼女とその話をしました。彼女も一つに、私たちはただラッキーである可能性が高い。長期滞在でおそらく、もう街に馴染んでいて、そういう機会が減っただけかもしれない。でもそれを置いておいても、彼女も私の言わんとしていることに一理あるねと頷いていました。

 

私は自分の黒髪と褐色の肌に対する認識を忘れ去ることができません。出来ないので、できる限り、自分が外国人として扱われる時は異常さを認識しながら「いい人」を頑張ります。私と何かネガティブな体験をしたら、この外国人を扱う機会の多い、この彼女は、この彼は、黒髪の褐色の背の低いアジア人が嫌いになってしまい、ひいては、次に同じ特徴を持つ誰かにきつくあたるかもしれない。そんな思いがいつも頭をよぎるので、移民局ではことさらいい人のフリをしてしまいます。

 

そうやって、私が私を外国人として定義し続ける限り、こういうことに頭を突っ込んでの思考を止めることは出来ないのだろうな。自分で踏み込んでいるんですかね。そういう他者との関わりで私という主体が輪郭を持っているのだから、こういう事象についての興味は尽きないのかもしれません。

 

そんな話から、MQでケバブを完食して、長い散歩へ。お気に入りのアイスサロンでアイスを買って。お店のお兄さんが間違えてコーン2個つかんじゃって、おまけのコーン2個仕様は贅沢でした。

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卒業したらどの街に暮らしたいか。課題は進んでいるか。最近読んだ本。最近話した人。旅行に行くならどこに行きたいか。レストランが再開したら何が食べたいか。誰が元気で、誰が落ち込んでいるか。そんな日常のあれこれをおしゃべりして、別れました。彼女が元気そうで、とても嬉しかった。誰かに会うと嬉しいと感じられるのが、嬉しいなと帰り道一人でぼんやりとそう思いました。