モフモフしていない、わたし。

ドイツ語なんか勉強しなくても、よかった、というか。

そんな風に思ってしまうことしばしば。たまに登場していた日本に短期留学に行っていた友達と外でコーヒーを飲んだ。寒いがコロナが怖いので、めちゃくちゃ着込んで、未だに外に座っている。

 

彼は日本で撮った写真を見ても、もう詳細に思い出せない、と寂しそうに話してくれた。そもそも緊急事態宣言とかぶってしまった、時の止まった日本しか知らないので、なおさら記憶は薄いのかもしれない。私に会う日の朝に、散歩でウィーンが一望できる丘に登って、その景色を見て「またウィーンを出たい」という気持ちが湧いたと言っていた。こんな風に綺麗に整理された街が、やっぱりあまり好きではないらしい。確かにウィーンは上空からみると、それは綺麗に整理された街なのだ。

 

流れで、kikiのウィーンの生活はどう?と聞かれた。

正直に50パーセントは憎らしくて、50パーセントは居心地が良いと答えた。憎らしい度合いが高くて、ちょっと驚かれた、が、仕方がない。もう4年目なのです。

 

日本を出る直前に会った、オーストリア人で日本に10年以上暮らしているドイツ語の先生の言葉をよく思い出す。多分ここにも書いたことがある。

「新鮮なのは最初の2年まで、3年経つと、その国の嫌なところが目につく、4年経つと帰りたくなる、そこを超えると7年くらい居ついちゃう、10年超えるともう帰れない」

 

ドイツ語をもはや半強制的に、でもそれだと病むから、自分がやりたい、必要と言い聞かせて習得してきた。でも4年目でも、相手の気分で英語に切り替えられたり、ドイツ語で押し切られたりする。どちらも喋れるからって、そこを勝手に行き来されるたびに、この風貌だと永遠にこの状況と付き合うんでしょうね、勝手ねあなた、って都合のいい女みたいな憂鬱さがある。不思議なことに、どちらも私からしたらただの外国語なのだけれど、ドイツ語ネイティブに英語で話しかけられる、ましてや私がドイツ語もいけると知っている人とその状況に入り込むと”あぁ〜外国人扱いされている”と妙に突き刺さるのだ。

 

でも仕方がない。なぜかというと、感情の問題なので、相手にそれを訴えたところで、別に解決なんてしないし、ましてや相手は別に悪くない。

 

そう悪くない。

私はどこかで、期待してたのかもしれない。ドイツ語が不自由なくなれば、私も他の「ヨーロッパからきた外国人」みたいに扱ってもらえるのかなって。たとえ違う母国語を持って違う文化を持っていても、そこまで摩擦なく、人と人として溶け合っているように見える、そのコミュニティに私も溶解されて馴染むのだと。

 

今の所、そんな未来はなさそうだということを、少なくともウィーンでは、と感じている。インターン先にしても、明らかに他のヨーロピアンと扱いが違くて「おぅ、あからさま〜」と引いている。でも2000人は働いているであろうその場所に正規雇用でアジア人が一人も居ないのが、その答えでしょう。6週間我慢したら、さっさとお別れしたいから安心してほしい、と心の中で毒づいている。

 

ただ、こういう事態にいちいち心動かして居たら、いけないとは思っている。HPはマイナス急下降。でも、鈍感になりきれないので、それも仕方ない。ましてや誰かにぽろっと漏らそうものなら「それは解決したほうがいい」とより迷宮へと誘われるのだ。

 

彼らが私のそういうモヤモヤストレスが理解不能なのが仕方ないように、私がダメージを受けてしまうことも仕方がない。

 

ウィーン生活で一番鍛えられてるのは、スルースキルに間違いない。笑

私の最近のお手本は、お家で飼われているペットたちである。人間様は彼らに人間的様式の生活を仕方なしに強いているが、これは愛だと信じて疑わないし、事実野生よりは安全で居心地も悪くないし、愛だって感じていることでしょう。飼い主だって、あなたの言葉が理解できればと心の底から願っているのよ、でも仕方ない、と。

そんなことを考えると、「お互い頑張ろうぜ、愛嬌って大事だよな」という気持ちになって、相手のどんな言動も「悪気はない」とスルーすることに成功する。

 

彼らのように、愛されるには、モフモフしてない私は、努力が必要なのだ。

 

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それでもご安心あれ。50パーセントは居心地良く生きている。

 

つれづれなるままに、
ひぐらし硯にむかひて、
心にうつりゆく

よしなしごとを
そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。