探し物はこの世界からの降りかた。

人間というのは世界中たいして変わらないもんだなぁと思う。もしくは資本主義社会においては。

私はほんの少しカナダやデンマークや、そしてちょっと長くウィーンで暮らしていて、ドイツ語圏で働いてみたり、カナダで働いてみたりした。

 

20歳で社会に出て、フリーランスも会社員も経験した。

いつも素朴な疑問がある。

どうして人間はヒエラルキー社会をどこでも、かしこでも形成しているのか。多かれ少なかれ、ではあるが、ヒエラルキーのない世界で、とりわけ労働市場というのが無いのではないのかというのが私の20歳からの疑問で、長い間どこかに留まると発生する居心地の悪さの理由の一つとしていつも付きまとっている。不思議なもんで、下にいる分には、適当にその役割を演じて、家に帰ってビール飲んで終了だ。でもちょっと長く居座ると、それをされる側になって、ビールじゃどうにもならない。人に敬われるのが、普通に気持ち悪い。でも組織の中で、それを相手に強いるってのも難しい。相手にも立場ってもんがあるのだ。なんだ、立場って。一緒に働いてるだけじゃないか、なぜそれだけの関係で完結できないのか。

上に行くのも、下にいるのも、なんだか馬鹿馬鹿しいといつも、結局思う。間に挟まれた時の「私って何に配慮して右に左に行ったり来たりしてるわけ?ナニコレ、モノポリーかよ」ってね。

 

理想主義とか、子供っぽいといわれても、もう40歳を前にして、少なくとも違う国での経験も含めれば、通るべき経験というのは十分にしたと思う。サンプルは割と多いほうかもしれない。その上でやっぱり思う。馬鹿馬鹿しいって。

 

もう、この上なく思う。私はこのヒエラルキー世界から降りたい。

降りたいし、降りないで、加担しない方法がまだよくわからない。

おかしいと思う世界に参加することは、それを黙認して加担することだけど

でも、それにしてもなんで、なんでしょうね?

 

人よりお金を貰えたり

人より時間を費やしたあかつきをもらったり

誰かに敬われたり

そういうのがないと、人は働かないのだろうか。

たぶん、私が好きなことが労働市場で価値変換される場というのが、よりいっそう、そういうエリート意識とか、ブルジョワジーな匂いがプンプン強くて、つまりは、芸術分野というのは、なぜかそういうフォーマットの上でお金を産んでいるのだ。

 

もっと、ちゃんと人間の営みとして労働したい。

 

すっごい、ご丁寧なハイクラスな語彙を駆使したメールが仕事で届くたびに、めんどくせぇなってなるんです。それでいて社会を痛烈批判した作品を作ってるんだから、ちぐはぐでしょ。自分の立場をわきまえて、大人なふるまい、出来ますとも。してますとも。でも、いつも誰か偉い人に、有名な人にすくい上げられて、芸術家として大成するのを待とうぜ、みたいな空気に付き合えるほど、色々吞み込めないし、そんなことより、フラットに生きたいし、こうやって社会の仕組みだからとあきらめて飲み込まれて、私もこの変なヒエラルキー構造を次の世代にバトンタッチして押し付けるんだ。

反省。

 

もうすぐ40歳だし、もうすぐ学業も一区切りだし、

もう十分そういうヒエラルキー社会に付き合ってきたし、

そろそろ、自分が受け入れられる人間の営みとしての芸術が

出来て、そういう人が集まってくる場所を作りたいな。

降りてもいいじゃん、作ればいいじゃん、失敗してもいいじゃん。

騙すよりマシじゃん。

 

でも、もちろん、子供じゃないから

そういう人生は中々に茨の道だってことは知っている。

でも自分を裏切らなかったことで、大変でも救われる何かがあるような気がする。

私は誰かの特別になりたいんじゃない、特別じゃない普通の自分を守りたい。