久しぶりの文化考察。

もうすぐ5年目が目の前のウィーン、もはやドイツ語圏生活。

私は割と大人になってから海外を経験しているので、自分でも日本人社会のしがらみ、みたなものを、良くも悪くも受け入れようとする気負いがあるなぁと思う。

日本で働いていたころの自分は、文句ばっかり言ってもしょうがないからなぁと思っていた。でも、文句は心の底で溜まりにたまって、限界が来た時の逃げ道というのも必要なのではと、次なる選択肢を視野に入れ始めた。

 

結果、今度は選択肢が増えたゆえの悩みを抱えている。

人生が自分の努力によって複雑になっていくなんて、皮肉なもんである。笑。

 

望めばドイツでもウィーンでも、ヨーロッパのどこかで収入を得て、生活できそうである。まったく知らなかったがヨーロッパの大学を卒業すると現地に留まる道があるようだ。かといって、いつまで留まるのか問題である。

でも、日本に完全帰国した場合にも、仕事の場を欧州に持っていたいと思う。つまりはそのブリッジ期間として、卒業後しばらくは、このガイジン生活を続けることになりそうでもある。まぁ、最近は考えることを放棄して、とりあえず卒業したら考えようモードである。インターンの終わりに際して、教授からも次はインターンではなくアシスタントとしての職を提案されたが、それはやんわり断った。とりあえず卒業したいので、卒業したら考えますって。何様な回答だが、私の36年の経験が警報を鳴らしていた。長いものに巻かれても、最後は自分で生きないといけないんだから、もう自分の足で歩いたほうがいいと。彼女は有名すぎるのだ。

 

現実的なことを考えると、メイン住所を日本に戻したほうが、ビザの問題でプロジェクトに制限がかからない。でも、卒業後は新しいことをたくさん試したい。そういう意味では欧州に留まったほうが気が楽そうでもある。

 

私の少ない経験から思うに、欧米圏での仕事環境は非効率的である。責任の所在にこだわりがないので、やりたくないことをたらい回しにする人がめちゃくちゃ多い。信頼できる責任感のある人を見つけるのが最初の仕事ともいえる。日本人からしたらけっこうストレスだと思う。でもどんな物事にも凹凸がある。その代わり、だれが間違えたんだ!というように詰問されることもほとんどない。

 

ドイツの劇場の技術部のシェフが、東京での客演の時に「だれがミスしたか」が明らかにならないと次に進まないという場面をよく目にしたと言っていた。それゆえに、意味のないルールも、厳密に守っていて窮屈そうであったと。ただ意味のないルールを守るがゆえに、全部のルールが支配力を発揮するのでミスが起きずらいと。

ドイツで彼が率いるチームは、建て込みのたびに同じところをミスする。だが、だれがとか、どうして、を追求せずに、またばらして建て込むだけである。ゆえに繰り返すが、職場の雰囲気はいつものんびりしている。

 

こののんびりした、優柔不断な空気は新しいことを試しやすい。日常的な失敗を細かく指摘されないので、チャレンジしてみようという気持ちになる。やり直せばいいかという気持ちのもと、計画できる。

 

日本語で見る有名なキュレーターが「やったこともない、意義もわかっていないのに面白そうだからって簡単に組み込むな」みたいなことを物申していて、あぁ日本だなぁと思った。やったことがなければ、おっしゃる通り意義などわかりっこないし、簡単に計画だって口にしちゃうよ、そりゃ。でもそうやって確率論や正答率みたなものに縛られずに新しい経験をしてみたいと思うことや、それを支援することのほうがよっぽど意味があるように思う。とくに自分が経験者なら。

 

そんなわけで、経験至上主義にちょっとビビっている。

大人相手ならまだしも、子供や若者には、どうか「たいへんだ」の前に「やってみよう」と言える社会であってほしい。命に係らないなら、失敗に終わっても、そのほうが健康的であるように思う。

 

そんなわけで、仕事をしていて久しぶりに文化考察。

まぁ一番は国や国籍に関係なく、気の合う人と仕事の苦楽を共にできることである。