めちゃくちゃ、わたしを削っている。
こんな風にえぐってると、つくるたびに、こんな感じだと、寿命も長くないなと。
誰に言われるでもなく、積み重なる本の山と
書き溜めてしまうメモと
これがどうなるのか、自分が一番聞きたくなるオブジェクトと
それが、なんだか、わからないという人が私以上に増えないように
ちょっと言語に助けを求めたり
これをしていると、たぶん長く生きられないけど
君にしか話せないことだ、と誰とミーティングしても背中だけ押してくれる、
誰かに、そんなバカみたいなこともうやめとけって言われるの期待してるわけじゃないけど、言われたら、それはそれで、これを期にと思えるのかも。
でも、
とりあえず今は、好きでやっている以上に、卒業という通過儀礼を全うするため。
奨学金まで頂いたし
数えきれないほどの様々な方に助けていただいたし、いただいているし
エゴにまみれて日本を飛び出したあげく、
一向に帰ってこなくても娘としてまだ見守ってくれているし。
そんな大義名分を理由に、とりあえず今回は頑張らなければ。
ただ、なければ、がなくなったら、何をどうしようかと考えて。
最近思うのは、削っていくことを楽しいと思う、べきだ、と。
ある人が夢中になっていると、他人はそれの人は、それが好きだからで、楽しいからと描写するけれど
夢中というのは、もちろん好きで楽しいのかもしれないけれど、そこでしか息ができないという閉塞窒息感と隣り合わせで中々に怖いものだ。もしくは、室内犬が、フローリングの床であることを、どこかで理解していたとしても穴を掘ってしまう本能のような。夢中というのは一種の本能的トランス状態で、これはこれで、怖い。
たかが卒業制作で、こんな感じだとやっぱり不健康で
ルームメイトに、こんなこと続けてたら、友達を失いそうだよとこぼしたら、
それでもいい友達は残るよ、大丈夫と励まされた。
世界はそんなに、こんなぼんくらな私に優しいだろうかと、キウイを食べながらぼんやりと。ビタミンDって酸っぱいんだな。
話は戻って、夢中を他人が形容するように、
私もこういった状態を楽しむというマインドを手に入れるのが
この卒業制作中の裏テーマ。
それでも心が折れそうだった今夜はこんな言葉を本から拾って。
aufs Haar genau soviel mit der Welt zu tun wie die Zeitung: er berichtet von ihr, aber er stellt sie nicht dar; er vermehrt ihre Ereignisse um ein Ereignis, ihre Zusände um einen Zustand, ihre Menschen um mehrere Menschen- aber die Welt selber, das alte Objekt geht weiter, verdunkelt durche einem neuen Tatbestand, staat erleuchtet durch eine Vison.-Bernard von Brentano, Kapitalismus und schöne Lietratur, Berlin 1930
そっか、じゃあ、もう少し頑張らないとね、きっと誰かがやるけど、私も頑張ろう。
笑っちゃうのは、一度学生を終えて、社会に出て、学生生活の「しょせん感」を
知っているはずなのに、今が人生で一番の一大事感があることだ。36歳にもなって、と思うと情けないというより、不思議で笑ってしまう。
小学校の運動会の前日の緊張感とか
受験の前日の圧迫感とか
合格発表の前の最後の審判感とか
結局そういうものって、そこで一生懸命やれば、年齢なんて関係なく
これこそ人生の一大事、となるみたいです。今なら運動会前日の君と、心からその気持ちを分かち合えそうだよ。前夜って、歳を重ねてもあるもんなんだな。
あっ、まだ私の前夜まではあと1か月半ほどあります。
今はただの日曜日の夜。23時33分。