ルームメイトがコロナになって落ち込んだ37歳の進路相談。

この一週間色々ありました。

すごく疲れました。お疲れ様、わたし。

お疲れ様です、私より何倍も働いていらっしゃる世間の皆様。

 

先週の日曜日にルームメイトと久しぶりにみんなで夕食会をしました。私以外は全員社会人で、かつ二人は研究員で、最近まで大きなカンファレンスで出払っていました。やっとタイミングあったので、という夜でした。

 

翌日の朝、ルームメイトの一人が喉に激痛を覚え、体がだるいと。おやおや、オミクロンの初期症状そのままじゃないか!と全員あわててPCRを早朝に提出。そのまま自宅待機しているあいだに、彼女が金曜日に会った友人たちがこぞってコロナ陽性の連絡。これは十中八九クラスターだな、ということでもう覚悟はしていました。翌朝1450から電話で陽性の知らせ。私を含めた他のルームメイトは陰性だったのですが、日曜日にご飯食べましたんでね。こりゃあ貰ったのでは。とりあえず発症する前に買い出しをどかんとして、全員で隔離と看病に入りました。

 

毎日PCR検査をしていて、彼女以外は陰性が続いていたのですが私を含めて全員喉に違和感が…これただの軽症でCTが40前後で陰性が出てるだけだろうというのが私たちの共通の見解で、今週は仕事も予定もすべて早々にキャンセルとなりました。CTが30以上であれば拡散力がないというのが今のところオーストリアのルールなのですが、PCRの検査結果は半日ほどタイムラグがあるので、どこかで30以下に落ちても自分じゃわかりませんので…。

 

三食ご飯を作り、生姜湯を入れ、お世話の毎日。相手が大人だから、ダダをこねずに状況を報告してくれるので楽なもんですが相手が子供だったらと思うと。子育てされている皆様、本当にお疲れ様です。

 

そして金曜日。陽性だった子のCTが30を超えて、無事解放となったと思いきや、今度はもう一人が発症。潜伏期間は40時間とニュースで読んでいたのですが、想像以上に長かったようです。というわけで一人復活して一人病床へ。でも彼は彼女よりはだいぶマシそうですが…鼻をかみすぎて、耳が聞こえないという症状で苦しんでいます。ほんとうにものすごく重たいインフルエンザのようですが、ふたりとも高熱がそこまで出なかったです。12月にまだデルタ株が流行ってた時に感染した知り合いの話のほうがキツそうだったので弱毒化みたいな話はけっこうリアルに実感中です。みんなで12月に3回目接種した恩恵でしょうか…彼らがまだ20代だからでしょうか…。神のみぞ知る。

 

家にずっといて、誰ともおしゃべりしていない2月は落ち込みやすくてですね。

 

今週はとても落ち込みました。この先のことを考えては、30代で学問に戻ったことを後悔したり。そもそも日本で展開されていない分野を選んだことを後悔したり(でもそもそも展開されてない分野だから留学するしかなかったんだけども)。

何をしたら日本に帰ってからくいっぱぐれないのかと考えだしたら、もう今すぐ帰るべきなんじゃ…とまた落ち込む。そんなさなかに大学からPhDの推薦と卒業制作として出した作品のプライズへのノミネート予定との連絡がきたのですが、このまま博士課程…また学生…興味はあるし、このまま自分のテーマを掘り下げて専門家になれたらいいのかもしれないけど…現実的にPhDの先に何があるんだろう。プライズのためのプレゼンの準備…あぁ。といい知らせのはずなのに、このままなんだか道を踏み外して、もう普通の生活や安定した老後を望めない、迷宮へ入る気がしています。そもそもプライズなんて…私が私の才能を一番疑ってるのに、堂々と何を話せばいいのか。

 

投げ出さずに何とか卒業できたたはずで。前教授からもわざわざ「あなたの作品がほんとうによかったって色々な人から連絡をもらったから電話したわ」なんてありがたい電話をいただいたりしたのに。そんなことより37歳で芸術にしがみ付く人生に恐怖で足がすくんで、震えています、なんて言えませんでした。あまり明るくない私の声に「うれしくないの?満足してないのか」と優しく声をかけてくれたのですが…うれしいより怖いです。何か自分が大きな間違いを犯している気がします。

 

とことん落ち込んでるのに、人にも会えない。

なんだか耐えきれなくなって、ドイツに住む親友君に電話でぐちぐちと悩みを垂れ流してしまいました。でも彼にびしっと言われました。

「君の言う才能って何?自分が何に興味があって、それがどこで仕事になるかじゃない?とりあえずPhDをスタートして、同時に仕事も探して、夏に決めればいいじゃない。どちらにせよ新しい出会いがあるだろうし、いやならいつでも辞められるじゃん」と。おっしゃる通り。

 

37歳じゃなかったら、たぶん嫌なら辞められるじゃんという言葉に救われていた気がします。でもなんていうか、間違えたくないという恐怖心が。とくに日本に帰ってみじめな思いをしたくないという、どうしようもなく浅はかな気持ちがあるのだと思います。みじめな人生なんてないよ、そんなことわかっているはずなのに、現実的なことを知りすぎているからか、弱い自分に負けそうです。

 

もう猫になりたい。PhDのテーマ、warum muss ich ein Mensch seinだよ、もう!と電話口で項垂れていたら大笑いされて、そもそも君の悩みはどこか贅沢すぎるんだよ。芸術やって、お金貰って、なんとかして生きろよ。もう歳だって気にしてるんだったらなおさら、チャンスをつかめよ!あんぽんたん!優先順位のリストでも作って、視覚化しなさいと叱られました。おっしゃる通りだよ。いい友人を持ちました。

 

彼が来週末から2か月ザルツブルク音楽祭の仕事でオーストリアに滞在するので、とりあえず全部悩みをパックして会いに来い、そのへにゃへにゃのあほの背中叩いて押してやる!僕がさっさとCVをばらまいてやる!と息巻いておりました。

 

ちょっと目が覚めました。

落ち込んだって、コロナになったって、お金を貰って、家賃払って、ご飯食べて、いつか日本に帰ったってなんとか生きなきゃいけないんだよ。悩んだってなにも変わらないのにね。贅沢病だ。彼がそこら中に本当にCVを送り付けそうな気迫だったので、とりあえずその前にリストを作成して、自分を顧みて現実的になろうと思います。

 

現実的になる。卒業後のスローガン。

 

30代後半で大学を卒業したその末路なのか未来を、ここで垂れ流していこうという所存であります。

 

…みなさまもコロナにはお気を付けください。