feminism、脇毛、ブラ。

タイトルそのままに、夏のご報告です。下品な話にはならないはず。信念の話です。

 

最近、ドイツ語を勉強する喜びが出てきました。尊敬するアーティストや作家の本をその母国語で理解できることが単純に嬉しいです。日本の皆さんにも馴染みがあろう、そして私が敬愛するピナ・バウシュの言葉を。

 

„Es geht nicht um Kunst, auch nicht um bloßes Können. Es geht um das Leben, und darum, für das Leben eine Sprache zu finden.“
- Pina Bausch

英語にすると

"It is not about art, also not about pure technique. It is about life, and therefore it is about finding a language for life."

-Pina Bauch

 

芸大で勉強していますが「芸術を作ろう」と思っているかと言われれば、違います。

「プロ」を目指しているかと言われると、それも違います。

修練の大切さは身に染みていますが「プロ」になる為ではありません。私は彼女が、ピナが残したこの言葉のように、これが私の人生におけるランゲージなのです。

 

よく「同じランゲージを持つアーティストと組め」というアドバイスをされます。ランゲージとは言語ではなく、表現や信念、何より感覚的なことを指します。例えるならば、教授は私たちに「同じ言語」を見出し、学生として迎えてくれました。学生側も同じく教授の思想や作風から「同じ言語」を期待して、彼女を選んでいます。まるで恋愛のようです。うまくいくこともあれば別れることもあります。現に、狭き門をくぐって合格しようが、スタジオを去る学生はいます。教授が追い出すこともまれにあります。それは、私たちのスタジオに限らず、居るだけでは学生として認めてもらえません。「彼氏」や「彼女」の肩書きの下に多くの時間と行為が積み重なるように、私たちも人生をかけた時間と行為を示す必要があります。

 

私たちの教授は女性です。彼女が選んでくるトピックも女性(一応表記上そう書きます)アーティストが多く、もしくは非常にジェンダーレスです。私は男性的な教育から離れたい気持ちが強かったので、ここはとても居心地がいいです。

 

生徒の比率も、パスポート上なら男女比は女性が多いスタジオです。でも見た目が女性だから、きっとこうなんだというものはありません。同じく見た目が男性だから、どうというのもありません。画一的なものは存在しません。

 

私のスタジオでは脇毛がそのまま、ナチュラルな子が沢山います。

ブラをしていない子もいます。

feminismなのか?あなたはフェミニストなのか?と聞く人もいません。